13

 凪の台詞に耳を疑った。

 今日でアルバイトは終了だと彼は言った。全く兆候のない話で、陽向は海鳥の座敷で茶碗を持ったまま、唖然とする。図書館を出てから店を手伝い、最後の客が帰ってから夕飯を摂っていた。隣では、陽向の表情にきょとんとする小夜が、絵本を読む手を止めて顔を上げている。

「すまない、急な話だというのは分かってる」

 座敷の端に腰掛け、床に足を下ろす凪が言った。これまで、あと何日という具体的な話は出てこなかった。夏休みいっぱいいてほしいと嘗て彼が言ったから、陽向もギリギリまでここにいるつもりだったのだ。

「……それって、俺が、ケガレのことを調べたから」茶碗と箸を静かに置く。「神志名之久にまで辿り着いたから?」

 それしか心当たりはなかった。その証拠に凪は黙ったままでいる。カウンターの内側で律が洗い物をする水音が救いだった。

「きっと俺が、このままだと悪影響をもたらすから」

「悪影響だというわけじゃない」

 床から上げた片足を座敷に乗せ、半分あぐらをかいた姿勢で、凪は陽向を見つめた。

「ただ、陽向はケガレに近づきすぎている。あのお守りがない以上、次に襲われたらお終いだ」

「そんなのわかってる、でも……」ちらりと小夜に視線を向けた。彼は再び絵本に集中している。

 小夜を襲ったばかりだから、当分ケガレは誰も襲わない。そんなこと、彼の前で言えるはずがない。口を噤んだが、凪は陽向の言いたいことを察し、軽く顎を引いて頷いてみせた。

「あくまで推測でしかない。ケガレは分からないことだらけだ。神志名という名を口にするきみを襲いに来る可能性がないわけじゃないだろう」

「そんなの」反論しようと口を開いたが、確固とした台詞は何一つ思い浮かばない。乗り出しかけた身をゆっくりと引いた。「……推測でしかない」

「陽向、これだけはわかってくれ」凪はじっと陽向を見つめる。「俺たちは、きみをみすみす犠牲にしたくないんだ」

 だけど、でも。そんな幼稚な言葉が滑りそうな唇を噛み締める。凪は本気で自分を心配してくれている。

 けれど、やっぱり、あんまりだ。自分の膝を両手できつく握りしめた。

「陽向が、俺たちのために頑張ってくれていることは、誰もが知っている。だからこそなんだ」

 座敷に上がり、そばに腰を下ろした凪の手が背に触れる。

「俺たちはここにいる。また街で会うこともきっとできる。武藤さんに手紙を託したっていい」

 こみあげて零れそうになる涙を必死に堪えた。凪はこう言ってくれるが、やっぱりここにも居場所はなかった。ようやく自分の存在が許される場所を見つけたと思ったのに。そんな悲しみに懸命に抗い、歯を食いしばった。

 いつの間にか水音が止んでいた。座敷に上がった律が小夜を抱いて横に座る。項垂れたままの陽向に、小夜が心配そうに抱きついた。耐えることができず、彼を抱き返しながら、少しだけ泣いた。

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