12

 壬春にも本の内容を説明したが、最も新入りの彼にも、神志名の姓に覚えはなかった。

 陽向には一つだけ考えがあった。

 ケガレは憎き神志名の子孫を喰うために存在している。家を継ぐべき長男を順繰りに殺害していく。その目的を失えば、存在理由を失くしたケガレは成仏するのではないか。

 神志名の家が続いているのは、ターゲットとなる長男が既に子を持っていたからか、弟妹が子を成し、次代の家督としてきたためだろう。

 つまりは、家を継ぐ者が子を成す前にケガレに食わせる。その際、そいつに弟妹がいれば加えて始末し、次代の家督を継ぐ者がいない状況を作る。

 そこには問題だらけで、陽向は頭を抱える。まず神志名之久の血族を見つけなければならない。そして見つかればターゲットを殺害する、もしくはケガレに捧げて始末する。

 できるわけがない。見ず知らずの他人を殺す度胸も道理も技量も道徳観も持ち合わせていない。

 万が一にその問題をクリアし、ケガレを消滅させられたとする。ケガレの中に妖たちの記憶があれば、きっと彼らにそれが戻る。しかしケガレが消えれば、ケガレの一部である彼らも消えるのだろうか。そうなれば全く意味がない。殺人を犯した上に、妖たちまで消してしまうだなんて。

 ケガレに立ち向かい、妖たちの記憶を取り戻す方法。海鳥で皿を洗いつつ途方に暮れていると、肩を叩かれた。手を止めて見ると、律が不思議そうな顔をして立っていた。

「ちょっと、呼んでるの聞こえなかった?」

「ごめん、気付いてなかった」

「ふーん」店の入り口に目を向ける。「壬春が呼んでた。行ってきなよ」

「壬春が?」

 彼が自分を呼びつけるなんて、用件は一つしかない。

「今度、皿洗い二倍ね」

 そう言う律に泡だらけのスポンジを手渡し、足早に店を出る。軒下に立っていた壬春はこちらの姿を捉えると、さっさと背を向けて歩き出した。

「なんだよ」

「見せるものがある。黙ってついてこい」

 この場で説明する気はないらしい。少しぐらいわけを聞かせてくれてもいいだろうに。不満はあったが、何も言わず陽向は壬春の背について歩いた。彼は足が速く、狼を思わせるしなやかな身のこなしで、道の石や張り出す枝葉を避けていく。彼もやはり妖なのだと、背を見ながら改めて思う。

 図書館につくと、席で待ってろと言い残し、彼は書庫に向かっていった。大人しく席に着き、海を眺めながら待つ。今日は少し雲が浮かんでいるが、雨は降りそうにない。

 壬春がクリアファイルを手にやって来た。図書館に居合わせた島民が興味深そうに声を掛けるが、彼は何でもないと追い払う。島民は二人の組み合わせを訝しんでいたが、書棚に歩いていった。

 受け取ったファイルには、一枚の紙が入っていた。

「もう一冊、借りられていない本が見つかった」

 はっと顔を上げる。壬春に任せた二冊のファイル。その中に、貸出履歴のない本があったのだ。

「その本、どこにある」

「書庫にあったが、古いからな。紐が解けて、とても本として読める状態じゃなかった。神志名の記載がある部分だけ写したのがそれだ」

 彼は視線でクリアファイルを指す。陽向はファイルに挟まれた紙をそっと指先で取り出した。白い紙には祈祷師としての神志名之久について綴られ、陽向がすでに知っている内容と変わりない。

 目を引いたのは、下部で左右に連なる名前の一覧だった。名から推測する限り全員が男性だ。そして名前の下にはそれぞれ漢数字が書かれ、脇に一文が添えられていた。

 ――穢れに喰われし者の名と享年を記す。

「享年……」

 二十八、二十四、二十五……。誰もが若くして亡くなっている。順当にいけば神志名の家督を継ぐはずだった者たち。神志名之久に罪はあっても、彼らには何の罪もないはずだ。ただこの家に生まれただけで、三十年も経たず命を奪われてしまう。彼らの具体的な名前と年齢を目にすると、改めてケガレの禍々しさを感じてぞっとする。

「ケガレは、神志名の長男が成人したら喰うみたいだ」

 沈黙する陽向の視線の先で、壬春の指がとんとんと享年の一つをつついた。二十七。陽向も目を動かして確認したが、彼の言う通り、最も若い者で二十一。享年は確か数えだから、二十歳になる者。

「それまで、ケガレは別の人間を喰うのか……ターゲットが、二十歳を過ぎるまで」

 陽向が呟くと、壬春は顔をしかめた。

「だろうな。おまえ、何考えてんだ」

「神志名を継ぐ長男やその兄弟を全員死なせれば、ケガレは成仏するかもしれない」

 少し黙った後、壬春は笑うように口の端を歪めた。

「そんなこと出来んのかよ」

 すぐさま、できないと小声で答えた。

 ケガレは神志名の者だけでなく、腹を満たすために無関係の者も大勢喰らってきた。いくら恨みがあっても、四百年も続ければ、もう十分だろう。

 だが神志名があり続ける限り、ケガレは存在し続ける。最後の一人が自ら名乗り出て、喰われてくれないだろうか。そんなあり得ない想像までしてしまう。

「もし……」知らぬ間に声が掠れる。「もしケガレが消えたら……妖も、一緒に消えるのかな」

 乞うように壬春を見た。彼も一度口を引き結び考えていたが、やがて絞り出したのは「さあな」という言葉だった。

 弱点を見つければ、なんとか太刀打ち出来る気がしていた。それを武器にして、彼らの記憶を戻せると思っていた。だが、その武器はあまりに非現実的すぎる。全国から目的の神志名を見つけることも、その末裔を殺すことも。

何か、良い方法が他にあるはずだ。

しかしいくら考えても、犠牲の出ない方法など存在しないような気がした。

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