5

 翌日、店での手伝いを終えると、早速図書館に向かった。壬春がいる可能性を考えると足が遠のきそうになるが、その足を叱咤し山の方へ向けた。

 スミレの次に図書館のことをよく知っているのは壬春だ。だから受付に彼がいるのにはげんなりしたが、陽向は素通りして本棚に向かった。相手も一度顔を上げた後、すぐに手元の本に視線を落とした。

 記憶に関する本を数冊探し当て、カウンター席で読みふける。まず妖たちに共通するのが、かつてケガレに襲われたという事実だ。本によると、事故などによる脳震盪により以前の記憶を失うことがあるらしい。

 だが、全員が同じ障害を負うとは考え難い。やはり肉体と同時に記憶も滅びてしまったのか。いや、そう決めつける証拠もない。頭を振って、僅かな希望に縋りつく。可能性が僅かでも存在するなら、それを徹底的に洗い出して潰していかねばならない。

 記憶が滅びていなければ、やはり彼らの中に残っているのか。ケガレの力や影響で魂の奥底に封じ込められていて、その封印を解く方法があるのではないか。

 そもそも記憶は生き物のどこにあるのだろう。古く分厚い本を開く。記憶は脳の海馬に一次的に保存される。何度も思い出すことにより、記憶は海馬から大脳皮質に転送されると考えられ、記憶固定化の標準モデルと呼ばれている――。

 段々と難しい話になってきたぞ。頭をよぎる挫折を払いつつ、取りあえずざっと目を通すことにする。一巡だけで到底理解できるとは思えない。

 ページをめくる手がとまった。記憶はRNAに保存されるという、更にミクロな話だ。だが、RNAではなく、述べられている実験内容に覚えがあった。

 1955年に行われた、プラナリアを用いた実験。結果として、喰われた個体の記憶は、捕食した個体の記憶として保存されていることが明らかとなった。確か夏休み前、生物教師はこの現象を図で示し、記憶転移と締めくくっていた。

 喰う側と喰われる側。これはまさに、ケガレと妖の関係と同じではないだろうか。厳密にいえば、彼らはプラナリアとは違い、共食いされたわけではない。だが、彼らの記憶も同様に、喰った側の中に保存されているのではないだろうか。

 つまり、妖たちの記憶は消え去ったわけではなく、ケガレの中に溜め込まれているのかもしれない。

「おい」

 唐突な声に、はっとした。顔を上げると、正面の窓の外は随分と暗くなっていた。海からは太陽が頭の先っぽだけを出している。

「いつまでいるんだ。とっとと帰れ」

 振り向くと、少し離れた場所に壬春が立っていた。集中していて気付かなかったが、閉館時間になっていた。それにしても言い方があるだろうと、気分が悪くなる。

「これ、借りる」

「は?」

「借りて帰る」

 ぶっきらぼうに言い捨てた。近くのテーブルに備えつけられた鉛筆を使い、スミレに教わった通り貸出カードに名前と日付を記入する。そのカードを預けることで、貸出が完了する。

 彼の元に歩き、ずいとカードを突き出した。憮然とした表情で受け取ったカードを眺め、彼はふっと鼻を鳴らす。

「随分難しそうな本だな。おまえに理解できるわけねえよ」

「うるさいな。何を借りようが勝手だろ」

「記憶力が悪くて苦労してんのか」

 あくまで彼は喧嘩を売るつもりだ。だが容易に買うのも癪なので、「別に」と素っ気ない態度をとる。

「ケガレについて、気になることがあるだけだ」

 壬春の眉がぴくりと動いた。

「おい、おまえ何生意気なこと考えてんだ」

「あんたにはどうでもいいだろ」

 首元を掴まれ、息が詰まる。狼のような鋭い瞳が眼前にある。次に殴られたら反撃してやる。そのつもりで陽向も睨み返したが、壬春は手を上げず呻くように言った。

「いいから言え。何をするつもりだ」

「それがものを訊く態度かよ」

「てめえの喉元かき破ってもいいんだぜ」

 せめて大仰なため息をついた。口先だけでなく、壬春ならやりかねないという気がする。こんなことで怪我をするのも嫌なので、仕方なく返事をした。

「記憶だよ。あんたたちの、記憶を戻す方法」

 ようやく彼の手が緩んだので、手を振り払って一歩退く。壬春は訝しげな顔で「記憶?」と繰り返した。

「そんな方法、あるわけねえだろ」

「かといって、記憶が消え去ったっていう証拠もないんだろ。もしかしたら、人間だった頃の記憶を取り戻す方法があるかもしれない」

「嘘つけ」

「嘘ならそう思えよ。俺はただ探してみるだけだから」

 壬春は腕を組み、真剣みを帯びた顔つきで思案している。

「……なにが目的だ」

「目的って?」

「俺たちに記憶を戻させて、おまえに何の得があるんだよ」

「別に……」本を抱えていない手で、こめかみをかいた。「そんな方法が見つかれば、俺も少しは役に立つかと思っただけ」

「やっぱり馬鹿だな、おまえ」

「うるせえな」

 陽向は壬春の横をすり抜けた。振り向くと、同じく振り返った壬春と視線がかち合う。何も言わず目を逸らし、陽向は図書館を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る