3

「……きっと見つからない」

 うずうずしている陽向を、そう言って白樫が窘めた。

「彼女は、消えちまったんだ」

「消えた? いなくなったんじゃなくて」

「人の寿命を、全うしちまったんだな」

 意味が分からない。そんな顔をする陽向に、彼は続ける。

「俺たちは、妖怪と人間が半分ずつ混じってるのを知ってるだろう。喰われた時点の見た目のまま、歳をとることもない。だが完全な妖怪じゃねえからな、もともと人間として与えられた寿命だけ年月が経っちまったら、消滅するんだ。何だかんだで、彼女は俺より長いこと、この島にいたからなあ」

 しんと場が静まり返る。

「人の魂の寿命が来たから、スミレさんは消えたってこと」

 誰かが、「ああ」と肯定した。白樫が付け加える。

「人の魂には、もともと寿命が決まってるんだ。それを超えて肉体や魂を保つことはできん」

 歳をとることなく、妖として超常的な力を持って生きることができる。一見それは、人には持ち得ない長所のように思っていた。

 だが、それだけではなかったのだ。人の魂を半分残している以上、元々定められた寿命に抗うことは、彼らにも不可能なのだ。

「もう、魂も……身体さえ見つからないってこと」

 誰も返事をしない沈黙で、質問の答えが肯定であることを悟った。以前、ふと考えたことがある。遥か昔からケガレが喰い続けてきた人が妖として島に現れるのなら、いつか島は島民で溢れてしまうのではないのかと。だが、現れる者がいれば消える者もいる。そんなことわりが暝島にはあるのだ。寿命を全うした魂が消えた。それだけのことなのだった。

「栄えることもなければ、滅ぶこともない。それが暝島なんだよ」

 カウンターの椅子に座る凪が、そう締めくくった。やり切れない思いで、陽向は座敷で畳に視線を落とす。

 唐突に、強い力で引き寄せられた。次の瞬間、頬に重い衝撃が走り、あっという間に畳に身体を打ち付けていた。

「てめえのせいだ!」

 何が起きたか把握できないまま、再び胸ぐらを掴まれる。

「てめえのせいでスミレが消えたんだ、そんな面してんじゃねえ!」

 二発目が繰り出される前に誰かが壬春を取り押さえ、下敷きになっていた陽向はその隙に引っぱり出された。大丈夫かと口々に尋ねられ、呆然としたままこくこくと頷く。だが、切れた口の中では血の味が広がり、頬がじんじんと熱を持っている。壬春に殴られた。向こうで怒りに歪む彼の顔を見て、ただ混乱する。

「八つ当たりするな、壬春」

 憎々しげにこちらを睨む壬春の肩を、凪が掴んだ。彼は凪にも噛みつきそうな視線を向ける。

 てめえのせいだ。その台詞が陽向の頭の中でリフレインする。スミレの消えた原因が自分にある。壬春の言っている意味が分からない。だが、唖然とする顔すら壬春には苛立たしいものらしい。唾も吐き捨てかねない荒々しさで立ち上がると、座敷を下り、店を出ていってしまった。

 誰かが渡してくれた濡れタオルを頬に当てる。壬春の台詞と鋭い目つきが頭の中に残っている。凪が心配そうに隣に座った。

「大丈夫か、陽向」

「大丈夫、だけど……」

「気にするなよ、陽向は悪くない。あいつ、元から陽向には敵意があったろ」

 思わず頷いた。初めて会った時から、壬春は自分をよく思っていない様子だった。あれからも、まともに会話をしたことすらない。

「壬春はな、スミレが好きだったんだ」

 凪の台詞に、思わずはっと顔を上げて彼を見る。

「あいつは三年前に島に来て、当時からあまり周りと馴れ合わなかったんだ。それに根気強く付き合ったのがスミレだった。彼女のおかげで、周りとも少しずつ打ち解けていったんだ」

 記憶を失くし、知らない島で妖として生活をする。容易に適応できない者もいるだろう。きっと彼は、その一人だったのだ。

「俺たちも仲間として受け入れているが、やっぱりスミレにはかなわない。壬春は、突然現れた陽向にスミレを取られた気持ちになったんだな。きっと彼も混乱していたんだ」

「それと、俺のせいで……っていうのはどういうこと」

「八つ当たりだ」凪はきっぱりと言う。「スミレを取られた気になっていたから、陽向に悪意があったんだろう。殴れる口実を探していたんだ。口実になってないけどな」

「あいつは一匹狼だが、根っから悪い奴じゃねえ」

 白樫がフォローを入れる。

「彼女がいなくなって、一番落ち込んでるのは壬春だ。だからっておまえを殴っていいわけにはならんが……あまり恨まんでくれや」

 頬を抑えたまま、陽向はゆっくりと頷いた。突然殴られて腹が立たないわけがない。しかし化け物に喰われ、妖として生きねばならない壬春の境遇を思うと、スミレの消失は悲しみの絶頂だ。行き場のない怒りが爆発したのだ。

 今後どうやって彼と顔を合わせればいいのだろう。それを思うと、スミレがいなくなったことと併せて、心がずっしりと重くなるのを感じた。

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