第6話
猪狩沢にある旅館“喜多楼”の北棟に設けられた従業員部屋の一室に、布団が仲良く3つ川の字に並べられ、少女達が眠りについていた。
枕元に置かれた目ざまし時計が6時10分前を指し、セットされたアラームが鳴り響く……その直前に、布団のひとつから伸びた手がボタンを押してそれを阻止する。
──って他人事みたく言ってるけど、ソレをやったのは、ほかならぬ自分なんだけどね。
「ふぁ……もう、こんな時間ですか」
まだ少し眠い目をしばたたきながら布団から出て、傍らのふたりを揺さぶりながら声をかける。
「晴海さん、雪さん、6時ですよ、そろそろ起きてください!」
「──了解した」
雪さんは、さっきまで寝てたのが嘘みたいに、シレッとした顔で起きてくれるのだけど……。
「んん~、あと3ぷぅん……」
昨夜、3人で布団に入ってからも何かゴソゴソやってた、ねぇ…晴海、さんは、どうもまだおねむらしい。頭から布団をかぶってイモ虫になってる。
そう言えば、平日はともかく休みの日には、ベッドで惰眠を貪る人だったなぁ──と、弟としての知識をチラと思い出す。
もっとも、だからこそ、こんな時の晴海さんの扱いは心得てるわけで。
「別に構いませんけど、朝ごはん、食べる暇なくなっちゃいますよ?」
「!」
途端にガバッと飛び起きる晴海さん。まったく、どんだけ食い意地が張ってるんだか。
ともあれ、“友人”にして現在のバイト仲間であるふたりと、互いに「おはよう」と朝の挨拶を交わしてから、急いで身支度を整える。
とりあえずこの長い髪をなんとかしないといけない。“朝日奈恭子”の髪質はやや猫っ毛気味だけど、そのぶんブラシが素直に通るのは有難い。
鏡台の前で、雪さんに教わった方法でブラッシングしてから、リボンでポニーテールにまとめる。
「うーん、こんなもの、かなぁ」
どうもイマイチ決まってない気がするんだけど……まぁ、見苦しくなくて、仕事の邪魔にならなければ当面はOKかな。
「──大丈夫。ココをこうすれば……完成」
と、横から現れた雪さんが、いったんリボンを解いたのち、再び結わえてくれた。
「わ、すごい!」
やってる事はたいして変わらないはずなのに、自分でやったのより数段可愛く見える気がする。
「──問題ない。ちょっとしたコツと、あとは慣れ」
ニコッと微笑みかけてから、雪さんが身支度を始めたので、慌ててワタシも着替えに取りかかった。
七分丈の白いパジャマの上を脱ぐと、裸の上半身に枕元に置いてあったクリーム色のブラジャーを着けてホックをとめたのち、脇の肉を無理くり集めてカップに押し込む。
胸にささやかながら膨らみらしきものが出来たのを確認してから、ロングドロワーズタイプのパジャマの下も脱ぎ、着物を着る前にまず白い足袋を履く。
そのあとで、縁側に移動させたちゃぶ台に畳んで置いててあるこの旅館の制服──仲居さん用の萌黄色の着物を広げて、身につけた。
最後に、着物の上から白い
いくら晴海さんの“術”の助けがあるとは言え、最初の頃はやはり戸惑ったんだけど、4日目ともなるとそれなりに慣れて、かなり手際よく着替えられるようになっていた──制服だけじゃなくて、下着その他も、ね。
これは、一緒にいるふたり、晴海さんと雪さんが、ワタシをほぼ完全に“同級生の友人・朝日奈恭子”として扱ってくれる点も大きいんだろうな。無論、その他の旅館の人達は言わずもがなだし。
一応2日目くらいまでは着替えの時は多少はコッチを気遣っててくれたみたいなんだけど、昨日辺りからは完全に自然体になって、ごく普通に談笑しながら着替えてるし。
そもそも、晴海さんがかけてくれた術は、本人よりその人を見た他者に影響を及ぼすものらしい。しかも、現状を見る限り、術のことを知ってる雪さんや術者である晴海さん本人にも、ある程度効果があるみたい。
そうなると、自分ひとりがアタフタしてるのはバカらしいし、挙動不審で怪しまれるのも避けたいから、“僕”もワタシとしての立場に身を委ねるようにしてたら……一週間も経たないうちに、すっかり今の立場に馴染んじゃったみたい。
そして、それをごく当り前のことと受け止めている自分がいるのも確かで、ふとした拍子に我に返ると、微妙にフクザツな気分にならないでもないんだけどね。
──まぁ、今は気にしたら負けだよね、うん。
着替えのあと、従業員棟の洗面所で洗顔と歯磨きを済ませたのち、部屋で化粧水とジェルで簡単なスキンケア(こちらは晴海さんに教わった)してから、まずは厨房脇の控室に顔を出す。
そこには小さめのおにぎりふたつにお新香を添えた小皿が3つ置いてあった。これがワタシたちの朝食代わり。ちなみにお茶はセルフサービスだ。
「フンフンフ~ン、今朝の具は、なにかなっ♪」
晴海さんは上機嫌で早速手を出している。
「もうっ! 晴海さん、お行儀悪いですよ。「いただきます」くらい言いましょうよ」
「──いただきます。貴方も早く食べたほうがいい」
雪さんに促されて、時計を見ると……6時18分!? ヤバい、急がないと。
慌てて、ワタシもおにぎりを手に取り、食べ終ったのが6時25分。簡単に口をゆすいで、厨房に顔を出したのが6時28分。
(ふぇえ~、ギリギリだぁ)
やっぱりあと5分早めに起きたほうがいいかもしれない。
仲居頭の多岐江さんから、今朝の仕事──食堂代わりの座敷への配膳の指示を受けながら、ワタシはちょっぴり反省するのだった。
* * *
6時半から9時まで配膳と片付け作業、9時からは厨房でお皿洗い(と言っても、食器洗いマシンがあるから、わりと楽だけど)……と、立て続けに仕事をしたのち、10時過ぎにようやく一段落。
もっとも、11時過ぎからはお昼の配膳があるし、正社員(って言うのかな、この場合も)の仲居さんたちは、この時間もお部屋の掃除とかで忙しく働いてるんだけど、ワタシたちバイトは、いったん小休止となり控室でお茶くらいは飲める。
「それにしても、団体客がいると、やっぱり忙しいわね」
「──しかし、だからこそ、私たちがヘルプとして雇われたのでは?」
「それは、まぁ、そうですよねぇ」
他愛もない雑談をしながら、お昼は14時ごろまで食べられないので、それまでの“繋ぎ”に、控室に置かれたお煎餅やクッキーに手を出すワタシたち。
初日とかは多少遠慮してたんだけど、けっこうハードなこのバイトで、ハラペコのまま仕事するのは辛いということが身に染みたので、ここは有難く頂くようになっていた。
11時ごろになって、板前さんたちがお昼の料理を仕上げていくと、ワタシたちも仕事を再開。朝と同様に、座敷のテーブルに料理を配膳していくことになる。
もっとも、朝に比べると、この旅館で昼食を摂るお客さんは少ないから、多少楽だけど。
で、そのあと片づけとお皿洗いがあるのも朝と同じ。
それが終わる2時過ぎに、遅めの賄いご飯を控室でいただく。
「へぇ、今日は豆腐とナスと鶏つくねの味噌田楽かぁ。美味しそー♪」
「──ワカメとサヤエンドウの和風スープも、大変いいお味」
長身でスポーツウーマンな見かけどおり(というと本人は怒るだろうけど)食いしん坊な晴海さんと同じくらい、小柄な雪さんも実は健啖家だったりする。
(この3人の中で一番小食なのが、本当は男のワタシってのも、なんだかなぁ)
え? 「そんなんだから、背が伸びない」? 大きなお世話ですよーだ!
15時から18時までは、廊下や庭園、裏口なんかの掃除、あるいは近所のお店へのお使いなどの雑用を言いつけられる。
最初の頃は、簡易タイプとは言え、着物で作業するのはちょっとやりづらかったし、この格好のまま外出するのはちょっと照れくさかったけど、人間、何事にも慣れるモンなんだね~。
今じゃあ、内股気味にしずしず歩くことや、裾さばき袂さばきもずいぶん巧くなったし、仲居姿のまま買い物に出かけて、お店の人と雑談交わすことにもなんら抵抗がなくなってる。
昨日も、仲居頭の多岐江さんから、「恭子ちゃんは和服での立居振舞が随分達者ね」と褒められたし。まぁ、これは一緒にいるふたりとの比較の問題かもしれないけどさ。
晴海さんはあの性格だから、着物姿でも随分豪快に動く(転びもせずにそれができるのは流石だけど)し、雪さんは逆に着物に“拘束”されたような感じでどうにも動きがぎこちない。
多岐江さんいわく、「だから、旅館の仲居としては恭子ちゃんみたいなのが一番映える」んだってさ♪
で、午後の雑用に引き続いての夕食の配膳作業が終わると、バイト組のお仕事は無事終了となる(なんでも、高校生をあまり遅くまで働かせたくないらしい)。板前さんたちが作ってくれた賄いを食べたあと、部屋に戻って私服に着替え、あとは自由時間。
もっとも、「外に出てもいいですが、22時ごろまでには帰って来てくださいね(ニッコリ)」と、仲居頭の多岐江さんから釘は刺されてるけど。
それでも、好奇心と遊び心のカタマリみたいな晴海さんが大人しくしてるワケがなく、雪さんとワタシは彼女に色々引っ張り回されることになるのが常だ。
「あ! 見て見て、雪、恭子、ここのボーリングセンター、プールバーもあるみたいよ」
「──私は、ダーツに興味がある」
「え、えっと……こんな時間に高校生が行っても大丈夫なんでしょうか?」
“朝日奈恭子”は、この三人娘の中では「常識人のストッパー」的役割を担ってるみたいなので、一応牽制の言葉は口にしておく。
まぁ、いざとなれば、晴海さんの“暗示”でいくらでも誤魔化しようはあるんだけろうけどさ。
ちなみに、今のワタシの服装は、ノースリーブの白いブラウスに赤いチェックのネクタイを締め、ボトムは膝上10センチの黒いティアードスカート、足元は素足に心持ちヒールのあるグラディエーターサンダルといった格好。
髪型は、赤地に金のラメの入った少し派手めのリボンで、トレードマークになりつつあるポニテにまとめている。
このバイトを始める前なら、こんな格好恥ずかしくて仕方なかっただろうけど、ココまで来たら今更だし、晴海さんの暗示の助けもあってか、開き直ったら気にならなくなった──というか、鏡を見て、実は自分でもちょっと可愛いと思ってしまったのは内緒♪
ついでに言うと、晴海さんはちょっと襟ぐり深めな空色のミニワンピ、雪さんはピンクのベアトップに小豆色のビスチェを合わせ、同色同素材のかなりタイトなホットパンツを履いている。
(ふたりとも、スタイルがいいから、こういう服装してると、女子大生くらいにも見えるなぁ……)
なんとなく自分のペタンコの胸元を見下ろして溜め息をつきたくなったのは、きっと気のせいだよね、ウン。
ともあれ、ワタシ自身も含めて、普通ならこういう格好の女の子3人が避暑地の商店街をこんな時間にうろついていたら、ナンパやよからぬ誘いの標的になるんだろうけど、そこはそれ、晴海さんの“ナンパ避けの香”におかげで、スルーされてるのは有難いなぁ。
だから、そんな状況下でワタシが“彼”に出会ったのは、後になって考えればとんでもない幸運か──あるいは運命の導きだったのかもしれない。
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