第12話 領収書のような答案も小説も、駄目!
これは、私が学生時代に拝読した元最高裁判所判事で東京大学教授の団藤重光氏が執筆された自伝に書かれていたことです。
最近ふと思い出したので、ここに記してみます。
・・・・・・・ ・・・・・ ・
大正から昭和初期にかけて活躍された東京帝国大学の民法担当教授・末広巌太郎氏は、講義中に学生がノートにメモすることを禁じていたという。何やら書こうとしようものなら、筆記止めろと怒声が飛んだとさえ言われている。要は、ノートなんかに頼らずテメエの脳にしっかりと記憶して帰ってそこで換骨奪還して自らの知識を向上させよということか。
さらに末広氏は、こんなことも言っていたという。
「領収書のような答案は駄目である」
これはどういうことなのだろうか。私なりに考えてみた。
とは言うものの学生時代には、なんかすごい大先生やなと思っていた程度。
なぜかこの年になってふと記憶がよみがえってきたのよ。
領収書のような答案って、どういうことかいな。そもそも領収書とは何かから考えてみればよさそうやな。領収書には、宛名と金額、その内訳、そしてその金額の領収日が記され、金を受取りましたという事実が受取人の住所氏名とともに書かれているわけだ。そこから末広大先生のおっしゃる「領収書のような答案」とは何ぞやと考えてみれば、こういうものではないかと思料される。
その答案の宛名は、書くまでもない。受講した先生宛だから、そこは省略。
問題は、金額とその内訳。それは、世にもありがたき講義を延々してくださったその内容をトレースして、先方の課題に合せて書いておく。間違えても大先生の批判などしない。それでよし。
締めはもちろん、上記内容確実に拝領いたしました、ってこと。
日付はその試験日(提出日)なので、省略。住所氏名は、学籍番号と氏名で。
これにて、領収書のような答案出来。ま、単位くらいは頂けましょう。
ってか?
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さて、私の小説家としての活動において、それこそ「領収書のような物語」なんてものを書くとしたら、どんな感じになるか。
先ほどの話をもとに書いてみました。
子どもの頃はこんな感じで、あんなことこんなことあったです、嬉しかったこと楽しかったこと、いつになっても忘れていません。嗚呼、子どもの頃は楽しく、古き良き時代でした。いい人たちに恵まれて、ときにはいさかいもあったけど、いい思い出ですわぁ。懐かしいなぁ。みんな元気かなぁ。メデタシメデタシ。
ってか?
こんな感じになりましょうな。
書いていて思ったが、こんな小説、死んでも書きたくないわ。どこやらの編集者や出版社の社長に土下座されても書かんわと、そんな思いがこみ上げてきますよ。
そんなゴミのような内容の文章でも、喜んで読む人もいるのでしょうけどね。
わしゃ、死んでも書かんわ。愛想なしで済まんけど。
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というわけで、これまでさんざんボロクソ書いてきました。
わしの作品群は領収書のような小説や詩作ではないと自負しておる。押忍!
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