第3話 綻《テン》の章


 泣き叫ぶ少年の腕を老人が掴む。果たして人の体はこれほど震えるものなのかと思うほどに、少年はがたがたと震えて「嫌だ嫌だ」と喚く。もはやそれは痙攣と言って差し支えないほどの震え。


 切り落とされる──


 抉られる──


 削ぎ落とされる──


 掻き出される──


 少年の頭の中を恐ろしげな文言もんごんがぐるぐると回る。だがその文言もんごんに反して、老人からは意外な言葉が投げかけられた。


 怖がらせてすまなかったな坊主──


 そう老人が言うと同時、少年の体がぐいっと引っ張られ、社殿しゃでんの外へと放り投げられた。少年は放り投げられた勢いのまま地面に叩きつけられて転がり、あまりの痛みに意識が遠のく。そんな少年に向けて老人が言葉を続ける。


 ここは穢れている──

 穢れを払おうとして穢れたのだ──

 私は人鬼ひとおにへと堕ちた──

 果たして穢れが先か咎が先か──


 朧気な意識の少年の耳に、老人の声がはっきりと届く。少年がなんとか上体を起こし、霞む目で老人がいる社殿しゃでんを見る。するといつの間にだろうか、老人の周りには三つの樽が置かれていた。


 仕来しきたりだったのだ──

 地獄へ落ちると言われたのだ──

 断ることなど出来なかった──

 だがそれも今日で終わる──

 私が命をもって地獄の蓋を閉じる──


 ずるり──と、樽からが這い出し、社殿しゃでんの中の闇がうごめく。はぬらぬらと血にまみれ、まるで臓物が絡み合うような醜悪な形をしていた。

 

 よく聞け坊主──

 はいるのだ──

 坊主がここにいるのは偶々たまたまなのだろう──

 時に穢れは意味もなく、訳もなく祟る──

 知ろうとするな──

 関わろうとするな──


 ぐちゅり──と、樽から這い出たが老人に絡みつき、腕を引き千切る。そのまま足を引き千切って目を抉り、耳と鼻を削ぎ落として中身を──


 今さっきまで老人だったはそのまま樽の中へと引き摺り込まれ、老人が掛けていた眼鏡が少年の前へと転がってくる。


 少年がその眼鏡を握ると、かろうじて繋ぎ止めていた意識はぷっつりと途切れた。



---



 鷹臣たかおみを語り終え、机の上に置いてあった金縁の丸眼鏡を手に取る。そのまま懐かしむように眺めてから、かちゃりと鼻の上に掛けた。


「……え? もしかして今の少年って……鷹臣たかおみのことか?」


 雪人ゆきひとが怪訝な表情で問いかける。その問いかけに対して鷹臣たかおみは「どうだろうね?」と言って笑った。


「いやいやいや。なんだ? 夢の話か? 昔話って言ったから『むかーしむかしあるところに……』的なやつだと思ったら──」


 雪人ゆきひとが言い終える前に「夢か現実か……どっちだと思う?」と、被せ気味に鷹臣たかおみが問いかけた。


「え? まあ少年が鷹臣たかおみのことだとして……そんなの夢に決まってるじゃないか。なんだよ樽から出てきたって。そもそも変なことだらけじゃないか。なんで周りの人が鳥居を指差していたんだ? 祭りの舞? だっけ? が遠いのによく見えるとか……本殿ほんでん? の中に誰もいなくて蝋燭ろうそくが灯ってるとか……危ないだろ。火事になるぞ? それに宙に浮いた般若ってなんだよ。それで? 最後少年は気絶した後どうなったんだ? 心霊番組とかでよくある『気が付けば……朝でした……』とかいうやつか?」


 実は雪人ゆきひとは怖がりだ。今の話が怖かったのか、それを誤魔化すようにまくし立てる。


「あの後は『気が付けば……病院でした……』というオチだね。確か小学二年生の時だったかな? どうやら熱中症で倒れたらしい。祭りは祖母の家東北地方だったが、僕が目を覚ましたのはこっち東京の病院だ」

「やっぱり夢じゃないか。おばあちゃん家に行ったという記憶自体も夢ってことだろ? じゃなきゃ東京の病院じゃなくてあっち東北地方の病院にいるはずだ」

「まあ後で父に確認したら『祖母の家には行っていない』と言っていたが……本当のところはどうなんだろうね」


 そう言って鷹臣たかおみが眼鏡をかちゃりと上げる。


「いやいや、どうなんだろうねって……夢だろ? なんだ? もしかしてその鷹臣たかおみが掛けてる眼鏡が老人の眼鏡だとでも言いたいのか? 夢の中で転がってきた眼鏡を? 鷹臣たかおみが?」

「……病院で目を覚ました時に握っていたのは確かだ。色も形も老人が掛けていた眼鏡と同じだね」

「ちょっと待てちょっと待て。それはどういうことなんだ? 熱中症で倒れた時にでも拾ったのか?」

「いや、この眼鏡に関しては医者も看護師も知らなかった。運ばれた時には持っていなかったと言っていたよ。何人かに確認したからそれは確かなはずだ」

「だめだ……理解が追いつかない……え? 夢じゃない……のか……? いやいや……有り得ないだろそんなの……」


 雪人ゆきひとが怯えた表情で鷹臣たかおみを見る。


「実はこの話を思い出したのは高校生になってからなんだ」


 そう言って鷹臣たかおみがふらふらと歩き回りながら話し始めた。この歩き回りながら話す行動は鷹臣たかおみの癖のようなものだ。


「当時……小学二年生の時だね。病院で目を覚ました僕は、この眼鏡を握りしめていた。だけど夢の内容は『なんとなく祖母の家に行っていた気がする』程度しか覚えていなかった。それで目の前には仕事を切り上げて駆けつけた父がいてね。父が言うには『駆けつけた時には既に眼鏡を握っていた』ということだ」


 そう言いながら鷹臣たかおみが、再び眼鏡をかちゃりと上げる。


「当時は夢の内容を覚えていなかったこともあって、それほど気にはしなかった。眼鏡もなんとなくだけど捨てるのがはばかられて、家に持ち帰って机の引き出しの奥にしまったんだ。父も『なにかのお告げなのかもしれない』と言っていたしね。まあそれから時間は過ぎて、思い出したのは高校生になってからだ。ふと目にした古新聞の記事が目に留まってね」


 ばさり──と、鷹臣たかおみが机の引き出しから取り出した古新聞を雪人ゆきひとの前に広げる。


 東北地方〇〇県の山中で多数の人骨を発見──

 樽詰の人骨は猟奇殺人によるものか──

 東北の奥地に伝わる凄惨な儀式──


 と、まるでゴシップ記事のような見出しが古新聞には印字されていた。

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