第2話 削《ショウ》の章


 突然の事態に少年が「わあっ!」と叫び声を上げ、その拍子に尻もちをついた。その間も腕はギリギリと力を込めて握られ、離してはくれそうにない。腕を掴んでいるのは闇から這いずり出た異形のなのではないかと怯え、「ひぃ……」と掠れた声と涙が滲む。体は強張こわばり、振り返ることすら出来ない。


 何故ここにいるのだ──


 そんな少年の背後から、老人特有のしゃがれた声が投げかけられた。おそらく年老いてはいるが、人間の声。異形のなどではなく、確かに人間の声。少年が恐る恐る振り返る。


 そこにはしゃがれた声が示すように、一人の年老いた男がいた。眼こそ落ち窪んではいるが、腰はしゃんと伸び、突き刺すような視線を投げかける白髪の老人が。


「ぼ、僕……迷子になっ──」


 を問うているのではない──


 少年が言い終える前に、老人の身を切るような冷たい言葉が降ってくる。老人は眼鏡を掛けているのだが、その奥、落ち窪んだ目に力がこもり、。今にも掴みかかられてたれるのではないかと、更に少年が身を強張こわばらせる。


 ──

 ──

 ──


 更に老人の語気の強い言葉が続けて投げかけられ、少年は「ごめんなさいごめんなさい」としゃくり上げるように泣き出してしまった。


 ──

 ──

 ──


 更に老人は言葉を続け、掴まれた腕が折れてしまうのではないかと思うほどにギリギリと力を込められる。あまりの痛みに悶絶しながらも少年が老人を見ると、その後方からは──


 顔


 顔、顔、顔


 無数の般若のような顔が宙に浮き、ゆらゆらとこっちへ向かって来ていた。それに呼応するかのように揺らめく蝋燭の火。


 もはや少年は過呼吸のようにひゅーひゅーと喉を鳴らし、口からは「ごめんなさい」という言葉とよだれが漏れ出るだけ。


 そんな少年の腕を老人が引っ張り、引き摺るようにして歩き出す。少年は恐怖とパニックで遂には小便しょうべんを漏らしてしまったが、それも構わずに老人が進む。気付けば二人は入口の鳥居の前まで来ていた。


 鳥居の前に着いたと同時、老人が少年の頭を鷲掴みにして眼下に広がる祭りの様子を見せる。涙のせいだろうか、視界がぼやけてしまう。


「ちょうど舞が始まったところのようだ。あれはを現しているのだと思う?」


 そう促された視線の先、白と赤が際立つ装束に包まれた巫女が剣のようなものをたずさえて舞っている。距離は離れているはずなのだが、ぼやけた視界が鮮明なものとなって、巫女の舞がはっきりと見える。


 ──


 老人の口から紡がれた暴力的な言葉。


 キリオトシテイル……?


 もはや投げかけられた言葉の意味もよく分からず、少年の脳内で「切り落としている」という言葉が無機質に繰り返される。更に巫女の舞は続き、手にたずさえた剣が小振りなものへと持ち替えられた。


 ──


 続けて巫女は農具のくわのようなものに持ち替え、振り下ろすように荒々しく舞う。


 ──


 そのまま舞は続き、舞台上に三つのたるが置かれた。


 ──


 と、冷たくも淡々と老人が言葉を紡ぐ。紡がれた言葉は虚像を結び、巫女が舞い踊る舞台上には四肢を切り落とされ、目を抉られて耳と鼻を削ぎ落とされ、舌も切り落とされてを掻き出された肉塊が三つの樽に別々に詰められ……


 そんな凄惨な光景が繰り広げられているかのように少年は錯覚し、しゃくり上げるようにして泣きながら……


 吐いた。


 そんな少年に「こっちへ来い」と老人が腕を引っ張り、鳥居の奥、本殿の裏手へ向けて無理やり引き摺りながら歩き始める。


「やぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! はな! 離してよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! おと! お父さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」


 ──

 ──

 ──


 殺される。自分はこの老人に殺されてしまうのだと少年が悟る。もはや涙とよだれ、小便と呻き声しか漏れてこない。そんな中でもなんとか「ごめんなさい」という言葉を形にしたが、そんなものは最早なんの意味も成さないのだろう。


 少年は壊れたように泣き叫びながら引き摺られ、気付けば本殿の裏手、少し大きめの小屋のような社殿しゃでんの前にいた。老人は怯える少年の腕を掴んだまま社殿しゃでんの扉を開け、中へと放り投げた。


 社殿しゃでんの中はやはりそれほど広くはなく、少年は放り投げられた勢いのまま、奥にある棚に体を打ち付けた。その拍子に棚に置かれていたであろう道具類ががらがらと音を立てて落下し、少年の視界に入る。痛くて、苦しくて、怖くて、おかしくなりそうで、背中を打ち付けた衝撃で呼吸もままならない。そんな涙と嗚咽にまみれた少年の目に映るのは──


「ふぐぅ……ぅうあぁぁぁぁぁぁぁぁ……やだぁ……やぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 床に転がるは赤黒く錆びた剣やくわはさみのこぎりおのかんな。そのどれもが毒々しく錆びており、否が応でも先程の老人の話を思い出してしまう。そんな中、老人が落ちたかんなを拾って呟く。


 ──


 と。

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