人鬼の住まふ咎の里

鋏池 穏美

第1話 傀《キ》の章


 祭囃子まつりばやしの賑やかな音が遠くで騒ぐ夕暮れ時、薄暗い部屋の中にたたずむ男が二人。黒い短髪に切れ長の目と、栗色の長髪にくりっとした二重というなんとも対照的な二人だ。


 黒髪の彼の名は佐伯鷹臣さえきたかおみ。栗色の髪の彼の名は奥戸雪人おくどゆきひと。二人は従兄弟いとこという関係性なのだが、見た目も性格も全くと言っていいほどに似ていない。そればかりか、雪人ゆきひとは色白で華奢なことから女性に間違えられることも多く、二人のことを知らない者からはよく男女の仲だと勘違いされる。


「……祭りはなんの為にあると思う?」


 互いの輪郭が朧気に霞む部屋で、唐突に鷹臣たかおみが問う。問いながら明かりを灯すためのスイッチをぱちりと押し、曖昧あいまいな二人の輪郭が鮮明に浮かび上がった。


「え? 神様とかを敬う……的な感じじゃないのか?」

 

 問われた雪人ゆきひとが軽薄な調子で答える。


「まあそうだね。まつるという語源が示す通り、神をあがめ、慰め、祈願する儀式だ。だけど──」


 鷹臣たかおみはそう含みを持たせると、窓辺に手をかけ、沈む夕日を見る。


「どうしたんだ急に?」

「いや、祭囃子まつりばやしが聞こえてきたから……」

「そういえば今日は祭りだっけ? 東京でもやってるなんて驚きだったけど……やっぱり田舎に比べたら規模は小さいよなぁ。まあでも、やっぱりテンションは上がるけどな?」


 言いながら雪人ゆきひとが太鼓を叩く動作を真似る。


「ああ、そうだね。熱に浮かされた人々の指向性を伴った狂騒……果たしてそれは本当に神のためなのか、と思ってね」

「……本当にどうした? なんか変だぞ? 悩みがあるなら俺でよかったら聞くけど……」

「それなら少し……ある少年の昔話を聞いて貰ってもいいかな?」


 そう寂しそうに呟いて語られる、なんとも後味の悪い昔話。昔と表現はしたのだが、今から十六年前、この世に不思議なことなどありはしないと人々がのたまう平成の年。一人の少年のその後を決定的に変えた、日々昭和が薄まっていく──そんなある年の夏。



---



 ── 一九九七年、夏


 参道に立ち並ぶ石灯籠いしどうろうがゆらゆらと温かな明かりを灯す。規則的にぶら下げられた提灯も薄ぼんやりと頭上で揺れ、賑やかな屋台からは食欲をそそる匂いと、じゅーじゅーとご馳走が焼かれる音が響く。


 和太鼓や篠笛しのぶえ摺鉦すりがね拍子木ひょうしぎ祭囃子まつりばやし特有の規則的で激しいリズムを延々えんえんと、それこそ執拗しつように繰り返し、熱に浮かされた人々がやぐらの周りで踊り狂う。


 この一種異様な光景を、一人の少年が目に涙をたたえて眺めていた。夏休みを利用し、父親と共に東北地方にある祖母の家を訪れていたのだが、そこで行われていた夏祭りに参加し……


 迷子になったのだ。


 祭りといっても人口も少ないさびれた村の、である。まさかこれほど人が集まっていようとは思わず、気付けば迷子になっていた。


 そのうえ少年は祖母の家に来るのは始めてだ。父親があまり実家に寄り付かなかったせいなのだが、それもあって土地勘など全くない。周りは人でごった返し、少年の目線では自分が今どこにいるのかさえ定かではない。もともと体が弱く、病気がちだった少年は眩暈めまいを覚えながらも周囲を見回す。


 そんな中、少年の目に一瞬だが確かに見えた赤々とした大きな鳥居。鳥居は長い階段を登った先、今いる場所よりも高い場所にある。気付けば周囲の人が鳥居を指差しており、なんと説明すればいいのかは分からないが……


 少年は恐怖を感じた。


 皆が皆、得体の知れないものに操られている。そんな漠然とした恐怖と迷子の不安も相まって、少年は一刻も早くこの場から離れようと、長い階段の先にある鳥居目掛けて駆け出していた。


「うわぁ──」


 辿り着いてみれば、そこは下から見上げるよりも高い場所にある印象を受ける。そこから見下ろす祭りの景色はとても幻想的なもので、少年の口からは感嘆の声が漏れていた。人口も少なく、夜の明かりも少ない村。祭りの赤や白、だいだいの光がぼんやりと浮かび上がり、まるでその場だけ異界なのではないか、と思ってしまうような光景である。


「ここにいればお父さん見つけてくれるかなぁ」


 そう呟きながら少年が鳥居の周りをふらふらと歩き、ふと鳥居の奥にたたずむ神社が目に入る。祭りの会場と同様に、石灯籠いしどうろうと提灯がぼんやりとその姿を照らしてはいるのだが、どこかじっとりとした暗さを感じる。神聖な場所であるはずなのだが、どこかあやしく、禍々まがまがしくも思えてしまう。


 この少年、普段は大人しいのだが……


 何故かこの日は積極的だった。少年も祭りの熱に浮かされたのだろうか、怖いと思う反面、「神社の奥はどうなっているのだろう」と興味を持ってしまった。そこからの少年の行動は大胆なものだった。


 玉垣たまがきの門を抜けて拝殿はいでんへと立ち入り、散策に興じたのだ。拝殿はいでんの中は自身の呼吸音を意識してしまうほどに静まり返り、蝋燭ろうそくの火がゆらゆらと無数に揺らめいていた。蝋燭ろうそくの灯りが届かない場所は漆黒の闇であり、足元ですら闇に溶ける。


 よくないことをしているのは分かっている。だがもし誰かに見つかったとしたら、「迷子になってしまったので、お父さんを探して欲しい」と頼めばいいだろうと、楽観的にも考えていた。のだが……


 少年の考えに反し、境内けいだいには誰もいない。どれだけ歩き回ろうと、誰もいない。そのまま本殿ほんでんの中も散策したが……


 一人もいない。


 ただただ自身の呼吸音と服の擦れる衣擦きぬずれの音が響き、蝋燭ろうそくの不確かな灯りが闇に浮かぶ。


 この段になってようやく少年は恐ろしくなってきた。もしやこの世界に存在しているのは自分だけなのではと、怖くなってくる。今ここで戻らなければ自分は帰れなくなってしまうという思いに駆られ、少年が駆け出す。


 怖い……


 怖い怖い怖い……


 少年の恐怖心に呼応するかのように、蝋燭ろうそくの火が大きく揺らめく。逃げなければ、去らなければ、帰らなければと元来た道を必死の形相で駆ける。そんな少年の腕を……


 背後からががっしりと掴んだ。

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