記憶を果てまで連れていく
陰日向日陰
プロローグ
「記憶を果てまで連れていけ」
御前裁判。
歴史上で一度だけ行われた、伝説の裁判である。
罪人の名はフィオレンサ。そろそろ成人かと思われる年頃の、『記憶人』の後継者であったはずの少女だ。
師匠を殺した。
『記憶人』とはこの国特有の役人である。
主に貴族や皇族が亡くなる時、その彼ら彼女らの記憶を引き継ぎ、後世に語り継ぐ役目だ。
他にも大手柄を立てた兵士や高位の神官などの記憶についても、彼女らの職務である。つまりは、国に大きな貢献をした者への『忘れ去られない』という褒美であり、最上級の名誉だった。
代々、その役目は見目麗しい少女によって継承されてきた。齢が三十にさしかかると、次の少女に引き継がれる。引き継ぐのは十二から十六ほどの年齢の少女である。
なぜ見目麗しい少女がその任を担うのか。
それはその記憶の仕方にあった。
直接、その手で殺すこと。
毒殺射殺のような間接的な死因ではなく、斬殺絞殺といった直接的に致命傷を与えるのが記憶するための条件だ。
死ぬならば、その直前に見た光景は、世界で最も美しく、可憐なものであるべきだ。そして、死ぬ時に苦痛を感じることはその者への冒涜だ。
『記憶人』は殺す時に舞を舞う。彼女らに代々受け継がれている特有の舞踊だ。この世で何よりも美しく洗練された舞を最期に見る。そして、その最上の記憶を抱えて死ぬ。
それだけではない。顔は世界で最も可憐で、体はまるで絵に描いたような女性らしい体躯で、その所作は神々の体現とでも言えるようなこの上なく美しいものである。先代の記憶人もそうだった。
そして、罪人の少女も。
§
「問う」
髪は乱れ、肌は荒れ、着ている服は奴隷や罪人が着るような薄汚い布切れ一枚で、その少女の美しさは見る影もなかった。後ろ手に縛られ、拘束する鎖の先には逃亡防止に重い鉄球が付けられている。
玉座の間には上級貴族や高位神官、将軍などが勢揃いしていて、その大部屋の中央、王の御前に少女は膝をついて座らされていた。
御前裁判。
少女――フィオレンサは、この世で最も重い罪を犯した。前任の『記憶人』を無許可で殺したのだ。
その裁判である。
不幸中の幸いだったのは、直近で『記憶人』の仕事が必要になりそうな状況になかったこと、殺害方法が刃物での首の両断だったこと、フィオレンサが後任に決まってからしばらく経っていたためにその技術や作法の継承が途絶えなかったことだった。
『記憶人』がいなくなってしまえば、これからの英雄の褒美がなくなるだけでなく、これまでの英雄の記憶さえもきえうせてしまう。文献には残っているが、そんなものは本物の記憶と比べたらあまりに薄っぺらい。
だから本来、『記憶人』の職務の継承というものは国を挙げての祭りとして行われるものなのだ。それまでに後任の『記憶人』は前任の技術を会得し、国民や貴族に初めて披露する場で完璧な舞で前任を殺す。そして、『記憶人』の責を継ぐ。
そのはずだった。
「お前は『記憶人』フィオナを、継承祭の開催を待たず、その手で殺した。間違いないな」
王直々の詰問。
『記憶人』の殺害は大罪だ。それは教わらなくとも、この国の民であれば誰でも知っている。どころか、この国と交流のある国の人間であれば知っていて当然だ。
そして、実際に犯したならば御前での裁判にかけられる。
それだけの大罪である。
フィオレンサはあくまで淡々と応じた。
「間違いありません」
「なぜ殺した」
「彼女からそのように頼まれたからです」
「陛下、よろしいでしょうか」
一人の貴族が頭を垂れて進み出る。王からの許可が下りるや否や、大きく手を広げて周りの貴族たちにアピールするように大声で言う。
「これほどの大罪、生かしておく理由はありません!今すぐに極刑に処し、この罪の重さを全国民、諸外国に知らしめるべきです!」
「それでは舞の継承はどうなる」
「我々の多くは何度も舞を見てきました。文献もいくつも残っております。継承にはさしたる支障もございません」
王はしばし考える間を開けた。集まった者たちが小さな声で話し合っているのが広間に響く。貴族は自信ありげに胸を張っている。
王が口を開くと静まり返った。
「記憶人継承候補者フィオレンサ」
「はい」
「お前は記憶を引き継いだか」
「はい。歴代の記憶人と同様に、滞りなく」
次いで呼ばれたのは、正装はしているもののくたびれた風貌の老年の男だった。研究所の所長らしい。フィオレンサにも見覚えがある。
「研究の方はどうなってる」
「第一号については成功したと見て問題ないかと。第二号以降についても可及的速やかに研究中です」
「いつ頃になる」
「必要とあらば、半年で完成させます。さらに半年後にはお望みの数の量産を可能に致しましょう」
「そうか。……フィオレンサ」
「はい」
「お前の処遇が決まった」
奴隷落ち……なんてことは『記憶人』の能力の特性上有り得ないから、死刑が妥当だろうなとぼんやり思う。案外、師匠に会うのが早くなりそうだ。
一つくらいは土産話でもあげたかったなと思うが、そんなものを用意する暇はないだろうから、精々、会った時にいっぱい愚痴ってやろう。
師匠のせいで死刑になったとか、もっと師匠の舞を見たかったとか、そんな感じの。
「身分を剥奪し、奴隷とする。ただし、主人は個人ではなくこの国そのものだ。――そして、お前には『この国の全国民の人生を記憶し、語り継ぎ、人類最後の人間になる義務』を負わせる」
静まり返っていた玉座の間に、それでもなお沈黙が返って、それからざわつき始めた。
フィオレンサ本人も混乱している。
なんだその刑罰は。似たような例は聞いたことがない。それどころか、自分はただの人間だ。長命でもなんでもないのに、人類最後になるまで生き続けるなんて、そんな馬鹿なことができるはずない。
カッカッ。
王の突いた杖の音が反響する。それで全員が口を閉ざした。
「期限は一年後から、人類最後の日まで。今から一年後まではこれまでの記憶人と同様に職務にあたれ。一年後以降のことについては、研究所と管轄から連絡があるだろう」
侍従に奴隷契約に必要な諸々などを持ってくるように指示しながら言う。怪訝そうにしている者が何人かいることに気がついたのだろうか、続ける。
「案ずるな。時がくれば分かる。それより、『記憶人』フィオレンサは次の公務までに舞を完璧にしろ。初だからといって失敗は許さん」
「……御意」
少々の不可解を伴って、最初で最後の御前裁判は幕を下ろした。この時の王の判決を誰もが理解し、それを受け入れたのは、数百年も経って、その時代のことなど一人を除いて誰の記憶からもなくなった頃のことだった。
――そして、その時代では、『記憶人』とはフィオレンサという名の少女の代名詞である。
《綻》
記憶を果てまで連れていく 陰日向日陰 @kagehinata_hikage
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