第8話 アレタ砂漠の歩き方
明朝、早々にトリトーの街を出発したアリーとカインはアレタ砂漠に差し掛かっていた。
アレタ平野との境界に近付くほど草木が減り、荒れた地表が多くなる。次第に地面が土から砂に移りゆく。
「砂漠は初めてかい?」
本格的にアレタ砂漠へ踏み入る直前になってアリーが尋ねた。
カインが実際に訪れたことがあるのは王都周辺だけだ。当然、砂漠は初体験である。首肯で返すと、アリーは細長い布を取り出し、カインへ手渡した。それから着ているローブのフードを指差した。
「暑いかもしれないけどフードを被って、こっちの布は口と鼻に砂が入らないよう覆う。簡易的な防砂マスクってとこだね」
「わ、分かった」
「あと、砂地は足を取られて体力を使いやすいから疲れたと感じたら早めに報告。水分補給も小まめにね」
カインは呆気に取られてただ頷くしかなかった。
これまでアリーが道中で注意をすることはほとんど無かった。せいぜい思い当るのはアレタ平野で「街道を外れて行くから、川で水を補充できないからね。大切に飲むこと」と言われたくらいだ。
テキパキとローブを身にまとい鼻と口を布で覆い隠すアリーを見て、カインは慌てて砂漠対策を行った。砂漠の旅を甘く見ていたとカインが思い至るのはもう少し先のことである。
砂漠を歩き始めて半日ほど経った。
思った以上に体力が削られていくことにカインは驚いた。もう、すでに一日歩いたのと同じくらいの疲労感を覚える。
しかし、それ以上に心を折られそうになるのは進行速度が前日までの7割くらいに落ちていることだ。
実際のところ、アリー一人であれば前日と変わらない速度で砂漠を踏破できたが、それではカインが付いて来れないと予想できた。そのため、あえて歩みを遅くしていた。
だが、そんな事とは露知らないカインは、自分たちが本当に目的地へ向けて進めているのか半信半疑になる。いつまでも一面の砂丘が広がる光景に、まるで終わりがないのではないかと錯覚してしまうほどだった。
「こんなに砂漠が辛いだなんて……」
「喋れる内はまだ大丈夫さ。それにもう少しで目的地のオアシスに着くよ」
「本当か!?」
その一言でカインの目に生気が戻る。
分かりやすい変化にアリーは思わず笑ってしまった。
「ふふっ、前向きになれたところで退屈な散歩に彩りを添えようか。何か会話をしながら歩くというのはどうだい?」
「あぁ、その方が助かる。喉の渇きよりも、進んでるんだか分からない今の状況の方が辛いんだ」
アリーにとってアレタ砂漠は何度も歩いたことのある土地だ。だから目的地へ着くまでにかかる時間や道のりを感覚的に知っている。それに対して、カインはどこまで歩けばゴールである目的地に辿り着けるのか知らなかった。
ゴール地点を把握しているか、していないかで体感時間は大きく変わる。それに加えて砂漠という悪環境はカインの体感時間を限りなく引き伸ばしていた。
「なら、……今回の依頼内容の話でもしようか」
「あの高そうな馬車で来た貴族の依頼か」
カインの脳裏に浮かぶのは、お忍びでアリーの館へやってきた高級な馬車とフードを目深に被った依頼人の姿。十中八九、どこぞの貴族だろう。
とはいえ、カインにしてみれば依頼を出したのが誰であろうと関係ない。依頼の内容の方が気になる部分だ。ワクワクを悟られないようにしつつ、続くアリーの言葉を促す。
「それで依頼の内容は?」
「依頼人の所望はロックスキンベアーの剥製だよ。知ってるかい」
「聞いたことないな。どんな見た目のモンスターなんだ?」
「頭から背中にかけて岩のように硬質化した皮膚を持つ熊さ。もっと南方の地域に生息してるんだけどね。最近ではアレタ砂漠でも見かけるようになった」
「岩のような肌か……。不思議な生き物がいたもんだな」
「んふふ、驚くのはまだ早いよ。なにせ、ヤツは身体を丸めて転がりながら突進してくるからね」
「えぇっ、転がるのか!?」
「そう、まるで車輪のごとくゴロゴロ転がってくるのさ」
アリーが身振り手振りで説明するが、いまいち想像がつかない。
カインはなんとか想像してみるが、どうにも不格好な前転を繰り返し突進をする熊を思い浮かべてしまい、思わず笑ってしまうのだった。
そんな会話を続ける内に気付けば目的地のオアシスが見えてきた。
それほど大きくはないが湖があり、それを中心に草木が生え茂っている。付近には大きなテントが複数並んでいるのも見えた。
王都はおろかトリトーの街と比べても数段小さな集落レベルの規模だけれど、人の気配は安心感を想起させる。カインは気持ち足早になりつつアリーへ尋ねた。
「ここの名前は?」
「名前なんて無いよ。強いて言うなら私は北のオアシスって呼んでるかな」
「名前が無いのは不便じゃないか?」
「そもそもアレタ砂漠は国に統治されてるわけじゃないからね。今、テントを張ってるのだって南方の国のキャラバンだよ。数日もすればどこかへ行ってしまうだろうね」
カインは驚いた顔をしてキャラバンの張ったテントを見た。よく見れば定住用の石材を使った建物ではなく、持ち運びしやすそうな布製の簡易住居が並んでいる。いざとなればすぐにでも出発できるだけの身軽さを感じさせた。
「そっか、ここは街でも何でもない。だから名前も無いのか」
「そういうこと。とはいえ行商人たちの中継地点として目印になってることも確かだけどね」
二人はオアシスで水を汲んだ。ここまでで飲んでしまった分を補充できた。これでまたしばらくは安心だ。
次々と容器に水を入れ、バックパックに詰め込んでいると不意にカインは視線を感じた。
ハッとして顔を上げる。ちょうど湖の向かい側に拠点を構えるキャラバンの人間が、こちらを見ていた。アリーやカインがしているのと同じように防砂用の布で顔を覆っており、表情は窺い知れない。ただ、目元だけは見えた。
「……警戒?」
その視線からは警戒感が読み取れた。睨む、というほどではない。どちらかといえば監視というのが近いだろうか。
「行商人はいつだって盗賊の襲撃を警戒しているものさ。私たちのことを盗賊の斥候かもしれない、とか思ってるんじゃないかな」
「それで警戒してるのか。なら、誤解を解きに行こう。話せば違うって分かってくれるだろう」
「いやいやー、それは止めといた方が良いね。変に近付いて行ったら、それこそキャラバンの人数や規模を探りに来たんだって思われちゃうよ」
「そ、そういうもんなのか……?」
身の潔白を証明しようとするとむしろ不信感を持たれてしまうというのはカインに衝撃を与えた。
ただ近寄っただけで警戒される、それだけこの場所では人を信じるということが難しいのだ。王都の常識はここでは当てはまらない。
「お互いに不干渉。特に問題が無いのであれば、それが一番だよ」
そう言ってアリーは締めくくるのだった。
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