第3話 仕事の依頼とグッバイ人生
カインが洋館に住まわせてもらい一週間ほどが過ぎた。
その間に任された仕事といえば薪割りである。風呂や調理、暖炉の燃料として薪は欠かせない素材だ。だから一日の大部分を薪割りに費やす。今は居候の身なのだ。できる限り恩返ししたい。
代わりに食事はアリーが作ってくれた。突然転がり込んできたカインに対して、彼女はずいぶんと手厚く扱ってくれる。
そんな洋館での生活にもようやく慣れてきた日の朝だった。
見知らぬ馬車が訪ねてきた。カインはタラリと冷や汗をかいた。馬車の装飾を見れば分かる。お忍びなのか控えめではあるが、綺麗に手入れされた細かな意匠が、中に乗っている人物の高貴さを物語っている。
フードで顔を隠した人物がアリーの案内とともに応接室へ入って行く。
そして、秘密の会話を交わしていった。
驚くほど短い時間でフードの人物は帰ってしまった。半刻も過ぎていない。
一体どんな会話をしていたのだろう。まさか自分を売り渡す気では無いだろうか。
そんな風に戦々恐々としていたカインに向けて、アリーは声をかけた。
「さあ、人手の必要な依頼が入ったよ。付いてきてくれるかい」
カインに断る選択肢など無かった。
その日の晩より出立の準備を始めた。
出発は早朝、夜行性の危険なモンスターたちが寝静まった頃に森を抜ける。
「アリー、行き先はどこなんだ?」
「王国の南、アレタ平野を越えた先にあるアレタ砂漠だよ」
「アレタ砂漠か、行ったことないな」
「あら、そう心配しないでよ。私も一緒なんだからさ」
自然と深刻な顔つきになっていたカインを見て、アリーは笑い飛ばす。しかし、カインは一緒になって笑えない。アレタ砂漠に良い噂は聞かないからだ。
アレタ平野までは王国の領土だ。しかし、アレタ砂漠はそうではない。元々採取資源の少ない枯れた土地であるアレタ砂漠は一種の空白地帯。周りを囲む国々の暗黙の了解の下で生まれた非干渉区域だ。
そういった理由により、アレタ砂漠は各国の法が及ばない場所となっている。そんな無法地帯には当然のように各国を追われた者たちが住み着く。
つまり、治安が非常に悪いのだ。
「本当に大丈夫なのかよ」
カインの心配をよそにアリーは鼻歌交じりに荷物を準備しているのだった。
早朝。もうすぐ日が昇るかといった頃、準備を終えたカインはアリーを探していた。一つ疑問を覚えたので伝えておこうと思ったのだが、肝心のアリーが見つからない。
うろうろと洋館を探し回っていると、モンスターの剥製がたくさん飾られていた部屋からアリーが出てくるのを見つけた。
「良かった、やっと見つけたよ」
「私を探してたのかい。そうか、もう出発する時間だったね」
「あぁ、それなんだけど、……よく考えたら俺って付いて行って大丈夫なのか?」
しれっと同行することになったがカインは王国に追われる身だ。アリーの家に転がり込んで一週間。これだけ経っていれば王国中の街に手配書も回ったことだろう。
そんな自分がアリーに同行してはどんな迷惑を掛けるか分からない。
「指名手配に関してだろうそれについては方法を考えてあるよ。これを見たまえ」
アリーは手に持っていた革袋を掲げて見せる。
ただの革袋? ……いや、違う。所々に穴が空いているし、内側にはモフモフとした毛が生えているようだ。
「これを、こうする」
持っていた革袋をくるんと引っくり返し、内側が外へ来るように反転させる。
するとアリーが持っていたモノの正体がようやく分かった。
モフモフとした毛は体毛。空いていた穴は目玉や鼻の穴部分だった。にゅっと伸びた鼻先と口周り、ギラリと鋭利な歯が覗かせている。つまり……
「い、犬の頭……!?」
「ちょっと惜しいかな。正確にはコボルドの頭だね」
どちらにせよ、頭部だけでは判別はつかない。カインは恐る恐るアリーの持つコボルドの頭部に指で触れた。
「本物かよ」
「当然」
「まさかとは思うけど……、これを被るのか?」
「名案でしょ」
ふふっ、と笑うアリーに、カインはげんなりとした顔で笑い返した。まさかコボルドの生皮を頭に被ることになるとは思いもしなかった。
しかし、顔を隠さなければならないのは事実だ。……変装。そう、変装だと思えば納得できる。
王都では獣人のような亜人種をあまり見かけなかったが、旅の行商人なんかはよく旅先で邂逅すると聞いたことがあった。
「じゃ、じゃあ被ってみるぞ」
アリーから受け取ったコボルドの頭を顔に近付ける。正直、手に触れた生の感触だけでも嫌になる。しかし、せっかくアリーが用意してくれたのだ。文句の言える立場ではない。
意を決して生皮を頭から被った。ぶにゅっとしたゴムのような感触が顔面に張り付く感覚は形容しがたい嫌悪感を催す。
それでも完全に被ってしまえばマスクを被るのと変わらない。目の位置良し、鼻呼吸も問題なし。完璧な寸法だ。
「どう、違和感とかはない?」
「問題ない。目や鼻の穴の位置までぴったりだ」
「うんうん、良かった。それじゃあ、最後の仕上げといこうか」
「あぁ、分かっ……いや、えっ、最後の仕上げって何?」
カインの頭に疑問符が浮かぶ。けれどアリーは意に介さず続けた。
「『汝、贄なる者の皮を借り受け、その身を偽る者なりや?』」
アリーの発した言葉は古い言語のようだった。王国の言葉よりもずっと古い時代の言葉。だからか、カインにはアリーの発した言葉の意味は分からない。
ただ漠然とその言葉には何か強い力が宿っているような気がした。
「はい、と答えて」
「えっ、……は、はいっ!」
アリーに言われるがままカインは肯定の返事を返した。
すると、被っていたコボルドの皮がより強く、ぎゅっと張り付いてくるような感覚が頭部を襲った。
それだけに終わらず、黒いモヤのようなものが全身を這いずり回り、覆い尽くしていく。腕に纏わりつくモヤを手で払ってみたりしたけれど、全然離れる気配は無かった。
「身を任せて」
慌てるカインの耳元でアリーが囁く。何が何やら分からないままカインはそれを受け入れるしかなかった。途中、腕や脚が痒いような不思議な感覚に包まれていったが、それも無視して身を任せた。
不思議な現象を前にただ茫然と立ち尽くしていると、しばらくしてようやく黒いモヤが消え、頭部の締め付けも治まった。
モヤが無くなり、自分の身体が露わになる。
その腕には豊かな獣毛が伸び、指の先には鋭い爪が生えていた。臀部にはふりふりと尻尾まで生えている。
「これって、どういうことだ……?」
声を発すると連動してコボルドの口が動く。
手で顔に触れた。マスクを被っているような感触ではない。まるで自分の肌を触っているのと違いが無かった。
「ど、どうなってんだーっ!?」
まるで本物のコボルドになってしまったかのようだった。
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