第2話 兵士長ジーク

 しばらくしてカインは部屋から出た。

 まるで子どものように声を上げて泣いてしまった。こんな風に感情を強く発露させたのはいつ振りだろう。思い返すと赤面してしまう。

 初対面の女性の前で泣き顔を晒してしまった気恥ずかしさはあるけれど、それでもまずはアリーに感謝の言葉を伝えなくちゃいけない。


 部屋から出て一階へ続く階段に向かう。

 すると階段へ差し掛かったところでアリーと誰かが話している声が聞こえた。どうやら誰か訪ねてきたようだ。玄関で対応しているらしい。


「この洋館に誰か逃げ込んできませんでしたか?」


「おや、王国の兵士が雁首がんくび揃えてどうしたのさ」


 アリーと話しているのは王国の兵士だった。

 カインは顔を青ざめさせると、階段の手すりに掴まったままゆっくりとしゃがみ込んだ。


「この森に犯罪者が逃げ込んだのです」


「ほう、犯罪者かい。一体、どんな罪だね?」


 アリーが尋ねると兵士は言葉に詰まり、しどろもどろになり始める。

 カインは不思議に思った。兵士の立場であればもっと高圧的な態度で尋問してくるはずだ。それがアリーの前ではずいぶんとかしこまっている。


「新人兵士をいじめるのはそのくらいにしてくれねーか、アリー嬢」


「これはこれは兵士長殿じゃあないか」


「その兵士長っての止めろ。サブイボが立つ」


「フフッ、変わらないね。なら昔と同じくジークと呼ぼうか。……それでこんな所にわざわざアンタが引っ張り出されたのかい? 逃げ込んだ犯罪者はとんだ大物なんだろうね」


「ケッ、最近の兵士がたるんでるだけだっつーの。この森すら俺が居なきゃ入れねぇ。子どもの引率かってんだ」


 ジークと呼ばれた男は周囲に居た数人の兵士たちへ向けて苦言を呈する。兵士たちは縮み上がりながらそれを聞いていたが、そんな中でもアリーは笑っていた。


「ふふっ、大変だねぇ」


「そういう剥製師はくせいし様はお気楽そうなこって」


 アリーとジークは楽し気に談笑していた。兵士たちは不思議なものを見るような目で二人を見ている。

 物陰から盗み見るカインも同様の視線を送っていた。王国兵士長ジークと言えば国のトップ戦力であり、同時に国民からは畏怖の対象としても見られている。

 カインが聞いたことのある噂だけでも、王国兵士と千人組手をして全員を救護舎送りにしただとか、王国領土に迷い込んだはぐれドラゴンを単騎で殺しただの眉唾なものばかりだ。


 そんなジークと対等な様子で話をするアリーに兵士たちやカインが疑問を覚えるのは当然のことだった。


「それでどうなんだよ。デカい家だ。一人くらいネズミが紛れ込んでんじゃないか?」


「いいや、私の関知してる限りではこの家に素性の知れないネズミは居ないよ」


「……ほぉ、そうかい。それなら無駄足だったな」


「そうやって足を動かすのも仕事の内さ」


「へっ、食えないヤツだぜ。邪魔したな」


「あぁ、またいつでも来るといい」


 兵士たちが帰っていく。そのことにカインは安堵していた。階段の手すりから頭だけを出して玄関の様子を窺う。ほとんどの兵士たちが退室し、残りはジークだけだ。


 ───ッ!!


 突如、寒気のようなものを感じた。玄関をくぐる時、ジークがちらりとカインの居る方へ目を向けたのだ。その一瞬にカインは蛇に睨まれた蛙のごとく全身が硬直し、息が止まる。


 カインが衝撃を受けているとジークはすぐに興味を失ったようにきびすを返して去っていった。

 ジークたちが居なくなってたっぷり十秒ほど経過して、ようやく最初の呼吸をすることができた。はぁはぁと荒い息を零しながらカインは自分の心臓へ手を当てた。


 自分は今、ちゃんと生きているか?

 それすら確認しないと分からないくらいだった。一種の錯乱状態と言って良い。


「あらあら、大丈夫かい。ジークってば帰り際に余計な事していったね」


 階段を上ってきたアリーがカインのそばに近寄るとしゃがみ込んで背中をさすってくれた。


「さあ、ゆっくり息を吸うんだ。今、アンタは軽い恐慌状態にある。ジークの殺気に当てられちまったのさ」


「はぁ、はぁ……さっきぃ?」


 アリーが説明してくれているがカインには聞いて理解する余裕もなかった。ただただ生きるために呼吸をした。この時、カインは初めて死の恐怖というものを正しく理解した。

 今だ定まらない呼吸を整えつつ、アリーに連れられて居間へ移動する。ソファに腰かけ、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。



 カインが少し落ち着きを取り戻した頃、アリーは温かな紅茶を入れて持ってきてくれた。マグカップをカインに握らせると、彼女も自分の分を持ってソファへ腰かけた。


「冷める前に飲みなよ」


「……温かい」


 久しぶりに人の温もりを感じられた気がした。さっきまで氷点下の中にいるみたいに身体がガクガクと震える状態だった。それがじんわりとした紅茶の温かさで徐々に回復していくのが分かる。


 しばらく二人は無言のまま過ごした。時折、紅茶を飲む音がするくらいで、それ以外は無音。気付けば日もどっぷりと暮れていた。



 館に迷い込んだ素性のしれない男。兵士が追う犯罪者。立て続けに起こったのだ。両者が同一人物であることは、アリーも察したことだろう。そう考えて、「なら何故?」とカインは思った。


「どうして俺を兵士たちに突き出さなかったんだ」


「へぇ、突き出して欲しかったのかい」


「そ、そんな訳ない! けど、おかしいだろ。王国ではもうすぐ手配書が貼り出される。俺を匿ったら共犯になるんだぞ?」


「ふーん、共犯ねぇ。まあ、バレなきゃ良いわけだろう」


「バレなきゃって……」


「それとも、君は何か罪を犯したのかい?」


「そ、そんなことしてないっ!」


 カインが立ち上がり、否定する。それをアリーはジッと見つめた。


「なら、良いじゃない。少なくとも私は君の言葉を信じよう。胸を張って生きなよ」


 アリーの軽々しい物言いにカインは驚いた。

 王国で指名手配されたのだ。その意味が分からない国民はいない。王国全土に手配書がばら撒かれ、見つかれば即刻死刑だ。


「そうそう、実は最近人手が欲しかったんだよ。行く当てがないなら、ここに住んで私の仕事を手伝うってのはどうだい?」


 カインには意味が分からなかった。人手が欲しいというだけで、兵士に追われている見ず知らずの男を匿うなんて常識外れもいいとこだ。

 しかし、笑みを浮かべて手を差し伸べる彼女に、カインはすがりたくなった。それに、ここから出て逃げたところで行く当てもない。

 先ほど見たジークのような兵士に今後も追われることを考えると一人ではとても逃げおおせることなどできないだろう。だったら彼女の下で機を窺うのも手だ。


 悩み考えた末、カインは彼女の手を取った。

 これが剥製師アリーと逃亡者カインの奇妙な関係の始まりだった。

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