第33話 女性を尊重しないと生きていけない時代

 次の日、俺はひとりで瑠美とその兄の屋敷へ来ていた。

 俺が瑠美の解放に失敗したら、理性院さんは強行手段を取ると言っていたので、今回で絶対成功しないといけない。


 何度もインターホンを押すが、使用人がたまに出て、「瑠美様はあなたと会うつもりはないようです」としか言うだけだ。

 それでも粘り強く待ちつづけること五時間後、使用人らしきメイド服を着た女性が屋敷から出てきて、門を開けてくれた。


「瑠美と会う許可が出たんですね」

「いえ、出ていません、これは私の独断です」

「え、いいんですか?」

「よくないです、命令違反なので、私は罰を下されるでしょうね」

「それなのに、どうして」

「私も瑠美様に対する琉依様の扱いはどうかと思っているのです。瑠美さまから聞きましたよ、あなたは瑠美さまの彼氏なんでしょう? お願いします、彼女を助けてあげてください」


 切実な顔でそう言ってくる使用人と共に、広大な庭を横切りながら石畳の道を歩き、屋敷の前まで向かうと、ドアから久留宮琉依が出てきて、その後ろから追随するように、瑠美が出てきた。


「おい、なにをしている、こいつをいれるなと言ったはずだぞ?」


 久留宮琉依が鋭い目をメイドの人に向ける。彼女は顔を真っ青にして、俯いた。


「彼女を責めるな、俺が脅して無理やり中に入れさせたんだ」


 俺がそうメイドをかばうと、彼女はぽっと赤くした顔を俺に向けた。

 久留宮琉依の後ろにいる瑠美が俺たちを見てむっとした表情になる。


「ふん、まあいい……中に入ろうと無理矢理追い返せばいいだけの話だしな」


 と彼が臨戦態勢を取る。

 なかなか堂に入ったかまえだ。空手を習っていただけはある。

 対する俺は素人だ。運動神経には自信があるが、不良でもないし殴り合いの喧嘩などあまりしたことがない。普通に戦ったら勝てないだろうな。


 だが、それは引く理由にはならない。


「お兄様」

「お前が俺をお兄様とよぶな、気色悪い」

「俺があなたとの戦いに勝ったら、瑠美を解放してもらうぞ?」

「お前の言うことなど聞く必要はないが、いいだろう、どうせおまえじゃ俺に勝てんしな」

「……自己評価がずいぶん高いようだな、その自信が過信だということを今から気づかせてやるよ」


 俺がそう言うと久留宮琉依がギロリと目を細める。


「怜久君、お兄様は空手の全国大会で優勝したことがあるんですよ、やめてください、こんなことは!」

「安心しろ、俺は負けないからさ……ところで、瑠美、俺のスマホを預かっててくれないか? 壊れると嫌だからさ」


 裏面が黒色のスマホを取り出すと、瑠美がこちらに向かってきた。

 スマホを瑠美に手渡すと、彼女は俺のスマホの画面をじーっと見だした。


「瑠美、離れていろ、巻き込まれたいのか?」

「あ、はい、すみません、お兄様」

 

 兄のピリピリとした言葉にビクッと震えて、慌てて瑠美は俺たちから離れた。

 そして、俺と久留宮琉依は対峙する。

 俺が構えると、彼は鼻で笑った。


「はん、その構え、おまえ、素人だな?」

「だったらどうした?」

「気づいてないようだな、お前がみっともなく負けることがこれで確定したというのに……なあ、俺がどうしてこの場に瑠美を連れてきたかわかるか?」

「さあ」

「くくく、瑠美にお前が無様にぼこぼこにされるのを見せるためだよ、情けないお前の姿を見たら、百年の恋も覚めるだろうよ」

「瑠美はそんなことで俺を嫌いになる女じゃないさ」

「どうかな……ほら、瑠美を見てみろよ、スマホをいじっているぞ、SNSでも見ているのだろう、これからお前が徹底的に痛めつけられるって言うのになあ、薄情なことだ」

 

 彼女の方を見ると、確かに黒色のスマホをいじっていた。

 俺はすぐに再び久留宮琉依の方に顔を向け、睨みつける。


「さっきから憶測でものを言ってばかりだな、お前、頭悪いだろ? だから女性が男より下だなんて間違った思想を抱くんだ」

「あ?」


 彼は青筋を額にぴきぴきと浮かべた。

 俺はなおも煽る。


「どうした、かかってこいよ? 今は女性を尊重しないと生きていけない時代だということを教えてやる」

「そこまで言うなら、俺からいかせてもらおうか、なっ!」


 ドン! という効果音が聞こえそうなほどの加速。

 ――速い!?

 一瞬で間合いを詰められる。


「ふんっ!」


 繰り出されるやつの右ストレート、それが顔面へ向かう――

 これは、避けられない!


「ぐ、うっ!」


 なんとか顔に届く寸前に反射神経を最大に駆使してガードする。

 拳を受け止めた腕にびりびりと衝撃が伝わる。


 なんて重いパンチだ、こんなのを何度も受けていたら、腕がもたないぞ。

 痛みを和らげる時間がほしいが、あいつは俺にそんな暇を与えず、殴りつづけてくる。


「どうした、防戦一方のようだが? あれだけ大口を叩いておきながら、おまえからは攻撃してこないのか?」

「くそっ!」

 

 なめやがって、そのムカつくイケメン面に一発ぶちかましてやる。


「うおおおっ!」


 わずかにできた隙を狙って、反撃。拳をやつの顔面へ叩き込もうとする――

 が、ひょいっと、いとも容易く避けられてしまう。


「どうした、そんなのろのろとしたパンチじゃ俺には届かないぞ?」

「ちっ!」


 いったん後ろに下がる。

 俺は汗びっしょり、たいしてあいつは汗ひとつかいてない。

 運動神経には自信があったんだが、ここまで差があるとはな……。


「はぁはぁ、はぁっはっ……」

「どうした、息が上がっているぞ? そんなに疲れたのか? 俺は全然疲れていないぞ?」

「疲れて、ねぇよ……これはエロいことを考えて興奮してたんだよ、だからはぁはぁ言ってんだ……エロいこと考えられるほど今の戦闘に余裕があったってことだ……」

「ハハハ! 苦しすぎる言い訳だな、自分で言っててみじめにならないのか?」

「ならないね……みじめなのは、むしろおまえのほうだろ?」

「なんだと?」


 と眉根を寄せる久留宮琉依。

 おかしそうに半笑いして、彼は言う。


「俺のどこがみじめだというんだ?」

「みじめだろ、そんな歪んだ女性蔑視的思想を持つお前は誰の目から見てもみじめに見えると思うぞ?」

「あ? どこが歪んでいるというんだ、俺の考えはちっともおかしくない」

「いいや、歪んでいるね、なぜおまえはそんなにも女性を見下す?」

「女がバカで感情的だからだ、事実そうだろ?」

「ふぅ、やれやれ、バカで感情的なのはむしろお前のほうだろ、たく、女にもてなさ過ぎて、思想をこじらせちまったか?」

「なんだと? こじらせてなどいない、女が無能なのは事実だ!」


 そう叫んだ彼は俺に再び迫ってくる。

 彼が殴る、俺がそれを防ぐ、というのを繰り返しながら、俺たちは舌戦も同時に繰り広げる。


「ちがうな、女性は素晴らしい、平塚らいてうが言っていたように女性は太陽のような存在だ、そんな女性を見下すおまえは最低だ!」

「俺は最低じゃない、女性が男に劣るのは事実だろう!」

「ちがう! 男も女も変わらない、男女は平等だ! いや、むしろ、男より女性のほうが優れているくらいだ!」

「男より女性のほうが優れているだと!? お前は男のくせに何を言っているんだ! その根拠はなんだ!? どうせ根拠もなく言ってるんだろう!?」

「根拠ならあるさ!」

「なら言ってみろ!」

「根拠、それはおっぱいだ! 男にはないおっぱいが女にはある! だから女は男より優れている!」

「そんなものが根拠になどなるか! バカかおまえは! おまえは間違っている、絶対に!」


 俺の正論を頑なに否定する久留宮琉依の様子を見て、思わず鼻で笑ってしまう。


「ふっ」

「なにがおかしい?」

「いや、こうやってお前と拳を交わし、会話をして、わかったことがあってな」

「なんだ? 俺の何がわかったというんだ?」

「いいのか、言ってしまっても? きっとショックを受けるぜ?」

「もったいぶるな、早く言え!」

「じゃあ、言うが……おまえ、童貞だろ?」


 それを言った瞬間、久留宮琉依の目と口がこれでもかと開かれる。


「!? な、お、俺は――」

「その様子だと、図星のようだな」

「ぐ、な、なぜわかった!?」

「おまえの幼稚な思想やその動揺具合を見ていれば瞭然だ、そんなに女性を見下している奴が童貞じゃないわけがない、一度女性のことを深く知れば、女性の素晴らしさがわかるはずだからな」

 

 彼は拳を強く握り、わなわなと震わせる。


「く、くそ……くそくそくそくそ、童貞だから、なんだというんだ、くそ!」

「ふっ、そういらつくな、安心しろ、俺も童貞だ」

「安心できるか!」


 あいつは渾身の攻撃を俺に当てようとする――

 パンチが顎をかすめそうになり、とっさに避ける。


「おっと、危ない危ない」

「同じ童貞だというなら、お前も俺と変わらないじゃないか!!」

「いいや、お前は女性を見下している、対して俺は女性を素晴らしい存在だと思っている、この違いは大きい!」

「違わない、違ってたまるかぁぁあ!」


 顔に向かってくる拳を、華麗に全て避ける。

 彼はもはや冷静さがなくなり、動きに精彩を欠いていた。


「なぁ、どうしておまえはそんなに頑なに女性を認めようとしないんだ、なぜ妹を信じてあげない? 確かに昔は病弱だったかもしれないが、今は違うぞ?」

「お前があいつのなにを知っている、俺は妹をずっと見てきたんだ。あの、弱くてなにもできない妹の姿を……。だから代わりに俺が、俺がしっかりしなきゃって、思って……俺は、俺はっ!」


 思い詰めた顔で、彼は恐らく本心からくる言葉を吐いた。

 なるほど、それがこいつの思想の根幹か。


「そうか、お前は妹を比護すべき存在だと思っているんだな……女性は弱い、だから男が守らなくちゃいけない、女は弱いから危険なことはするべきでない、そう思っていたから妹を部屋にひきこもらせていたんだな?」


 あいつは苦渋に歪めた顔をするだけで何も言わない。俺はそのまま話を続ける。


「だが、それは過保護というものだ。はっきり言ってやるよ、お前は自慰行為をしているにすぎない!」

「な、俺が過保護だと……しかも自慰行為をしている、だと!?」

「ああ、そうだ、お前は妹のことを何にも考えちゃいない。ただお前が守りたいから守っているだけだ、お前の妹は守ってほしいだなんて思っていないし、お前が守る必要もない」

「違う、違う、俺は、守らないといけない、妹は弱いんだ、だから守らないといけないんだ……」

「まだわからないのか! わからないならもう一度言ってやる! おまえはひとりよがりのマスター○ーションをしているに過ぎない!

自分のオ○ニーに妹をつきあわせるな、この変態が!」

「変態は、おまえだぁぁぁああ!」


 大きなモーションで兄は殴り掛かってくる。動作が大きいから、避けるのもたやすい。

 いくら熟練者といえども、怒れば冷静さを失い、型が崩れる。

 これなら、何とか対処できる。


「殺す、殺す、もう許さない、殺してやる、お前を殺して、お前を終わらせてやる……」


 久留宮瑠偉の怒りを載せた拳が俺に何度も向ってくる。

 勝負は持久戦になっていた。

 始めは対処できていたが、しかし、疲労感がたまっていき、だんだん俺の動きは鈍り、あいつの攻撃をよけきれなくなってきた。


「ぐぬぅ」


 避けるのを諦めて、何とか腕で防御するもののダメージは蓄積されていく。

 何度目かの攻撃を防いだとき、とうとう俺は膝を地面についてしまった。

 奴の哄笑が響き渡る。


「ハハハハハハ! 威勢のいいことをさんざん言っておいてそれか! そもそも素人のお前が俺に勝てるわけないだろう、お前の負けだ!」


 俺はあまりの悔しさに歯ぎしりをする……


 ことはなかった。

 元々、普通に戦って勝つつもりなんて最初からなかったからな。

 くくくく、と俺は思わず笑ってしまう。


「ああ、単純な殴り合いだと俺の負けだな、だがな、この勝負、俺の勝ちだ、くくくく……」

「何を言っているんだ、お前は? なぜ笑っている!?」

「瑠美、こいつに俺のスマホを見せてやれ」


 俺がそう言うと、瑠美は兄に近づいていき、俺の裏側が黒いスマホを彼に見せた。

 そこでは、ライブ配信がされていた。


「この戦い、実はずっとライブ配信されていました。お兄様の女性蔑視的な発言が、今、チャット欄でとても炎上しています。ツブッターでも話題になっていて、今、トレンド二位です」

「な、に、いつの間にライブ配信なんて……だが、瑠美はライブ配信のやり方なんて、知らなかったはず……」

「俺が教えたんだよ、戦う前に俺のスマホを瑠美に預けていたのを覚えているか? その時にメモ帳のアプリにこの戦いをライブ配信するように指示を出していて、ライブ配信のやり方までそこに詳細に書いておいたんだ」

「なんだと!? まさか俺とお前の戦いの最中、スマホをいじっていたのはライブ配信をしようとしていたのか?」

「そうだ、お前は瑠美がSNSでも見ているのだろうとか言っていたよな? だが冷静に考えてみろ、あの時、瑠美が持っていたのは裏面が赤い自分のスマホではなく、俺の黒いスマホだ。普通、SNSをするなら、自分のスマホを使うと思わないか? まぁ、お前は俺に意識をさいていて、瑠美が自分のではなく俺のスマホを操作していることに気づかなかったのだろうがな。しかし実はそれも俺がそうなるように仕組んだことだ。俺は戦闘中、わざとおまえを煽るようなことを言って怒らせて、俺の方に意識を集中させ、なるべく瑠美のほうに意識を向けないようにさせていた。瑠美がライブ配信していることを悟らせないためにな」

「な、お、おまえ、まさか最初からそれが狙いだったのか!?」

「最初に言っただろう? 女性を尊重しないと生きていけない時代だということを教えてやるってな」

「く、くそ、あれはそういう意味だったのか!」

「そうだ、今更気づいても、もう遅いがな」


 俺は瑠美から自分のスマホを受け取ってライブ配信のチャット欄を見る。


「かなり炎上しているぞ、お前の発言。これでわかったか? お前の女性蔑視的な考えが客観的に見ても間違っているということが」

「悔しいが、わからされたよ……」


 彼は崩れ落ちる、精神的なショックでもはやとても戦える状態ではなさそうだ。


「もう終わりだ、動画配信者としての俺は……」


 ははは……とだらしなく開いた彼の口からかわいた笑いが漏れた。

 そんなあいつの肩に、俺は手を置いた。


「まだ終わりじゃねぇだろ、一回炎上したくらいで何を言っている、他の有名な配信者を見てみろ、炎上しまくっているけど、なんだかんだで何年もたくさんの信者を抱えたまま活動しているじゃないか」

「そうですよ、お兄様、とりあえず謝りましょう? 誠心誠意、頭を下げれば、きっとみんな許してくれますよ」

「瑠美……こんな俺に優しくしてくれるなんて……今まですまなかった、俺は全然おまえのことがわかっていなかった」

「いいですよ、お兄様は私のためを思って言ってくれてたんですよね? でもね、お兄様、私、もうお兄様が思うような、弱くて頼りない自分じゃないんですよ? 勉強も怜久君が教えてくれたおかげで前よりできるようになったし、体力だって前よりついたし、サンタの仕事だって、頑張ってこなしたんですから」

「瑠美……そうだな、俺はお前のためを思っているようで、実は自分のことしか考えていなかったんだな、おまえは俺が庇護しないといけないような女の子じゃ、ないんだな……」


 そう言って泣く兄を瑠美はずっと励ましていた。

 これにて一件落着だな。



 それから瑠美は部屋に閉じ込められることはなくなった。

 自由に家を出れるし、兄からいろいろうるさく言われることもなくなったようだ。


 久留宮琉依は土下座して謝罪する動画を公開した。それでもしばらくアンチコメントは大量に来たが、徐々に炎上は治まっていった。

 彼は今後も、動画配信者として活動を継続するつもりのようだ。


 理性院さんには、後日、感謝の意を伝えられた。

 今回のお礼として、もう少しだけ瑠美が天界に帰るのを待ってくれることになったらしい。


 しかし、それも少しだけの間でしかなく、あっという間に日々は過ぎていく。

 そして、夏休みも終わりが近づいたころ、とうとう、彼女と別れる日が来てしまった。

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