第29話 夏祭り

 夏祭りに行く日になった。

 この日は、久留宮の家があるマンションではなく、現地集合することになった。


 祭が行われる神社の鳥居の付近で待っていると、「志津木くーん」と声が聞こえた。


 声がした方向を見ると、浴衣を着た久留宮がこちらに向かってきていた。

 まさかわざわざ浴衣を着てくるとは思わなかったので、俺は目を見張ってしまった。

 彼女は赤地に花柄模様の浴衣を着ていて、黒い帯をつけていた。

 よく似合っていたし、しばらく見惚れてしまっていた。

 久留宮が俺の前まで来て、「おーい」と声をかけてくる。


「あ、す、すまん」

「どうしたんですか、ボーッとして」

「いや、なんていうか、久留宮の浴衣姿があまりにきれいだったから見惚れていた」

「きゅ、急に誉めないでください、照れるじゃないですか、でもありがとうございます」


 それから俺たちは鳥居をくぐるが、なんだかお互い喧嘩しているわけでもないのに、気まずい空気が流れていた。


 なんかしゃべろうと思うが、久留宮を見るとドキドキして、なにを話せばいいかわからなくなってしまう。

 久留宮も先ほどから頬をほのかに赤くして黙りこくっている。


 なんとかこの沈黙を破りたいと思いながら参道を隣り合って歩いていたが、道の両脇に屋台が並んでいるのが見え出すと、彼女のテンションが見るからに上がり、自然と向こうの方から話しかけてきた。


「わあ、美味しそうなのを売っている店がいっぱい……見ているだけでワクワクします」

「もしかして、祭とかに来るの初めて?」

「はい、実はそうなんです」

 

 そう言って、目をキラキラさせながら屋台を見ている久留宮。

 俺もちっちゃい頃、初めて祭に来たときはこんなかんじだったっけと、なんだか懐かしくなった。


「楽しそうでけっこうだが、人が多いから迷子にならないようにな」

「バカにしないでください、子供じゃないんですから」


 とむっと少し唇を尖らせる久留宮。

 まあちっちゃい子供でもあるまいし、さすがにそんなことにはならないか……


 と思っていたが、二十分くらい経過した後、見事に俺たちははぐれてしまっていた。


「まじかよ……」


 久留宮が気になった屋台を見つけては、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするから、人が多いのも災いして、見失ってしまった。


「迷子にならないようにって言っておいたのに」


 一度大きく溜息をついてから、俺は久留宮の捜索を始めた。


 三十分近く経って、ようやく久留宮を見つけた。

 境内の奥の方にある、本殿の裏に彼女はいた。


 なんでそんなところにいるんだよ……。

 久留宮は俺を見ると、涙目で駆け寄ってきた。


「あ、し、志津木くん! なんでどっか行っちゃうんですか!」

「どっか行ったのは久留宮の方だ、たく、何泣いてんだよ、ちょっとはぐれたくらいで」

「だ、だって、知らないところで、心細くて……」


 彼女の声はしぼんでいくように、だんだん小さくなっていく。

 やれやれ、と思いながら、俺は手を差しのべた。


「ほら、手、つなぐぞ、もう二度とはぐれないように」

「は、はい」


 少し顔を朱に染めた彼女は俺の手を握ってきた。

 それから俺たちは手を繋いだ状態で並んだ屋台を見て回った。


「志津木君、あのゴリラのお面をかぶりましょうよ」


 お面を売っている屋台の前で止まった久留宮が言う。


「君はどうしてそうゴリラを推すんだ」

「いいじゃないですか、ゴリラ、かっこいいじゃないですか、きっと志津木君、似合いますよ?」

「嫌だな、ゴリラのお面が似合う男とか……」


 と言いつつも、久留宮がどうしてもつけてほしそうだったので、俺はそれを購入することにした。


 早速ゴリラのお面をつけた俺を見て、久留宮が嬉しそうに言う。


「ほら、やっぱり似合う、かっこいいですよ、志津木君」

「あんま嬉しくねぇ……」


 その後、久留宮も同じのを買って、二人そろってゴリラのお面をつけて境内を練り歩く。

 周りから視線を感じるが、隣の彼女は気にしてない、というか気づいてなさそうだ。


「あっ、チョコバナナが売ってますよ、買いましょうよ」


 と久留宮がある屋台に向かっていくので追いかける。

 二つ購入した後、二人でゴリラのお面をつけながら、繋いだ手とは別の方の手でチョコバナナを持つ。

 なんだかゴリラ感がさらに増してしまったような気がする。


 そんな俺たちを、少し離れたところで指差して笑う子供がいた。その隣にはその子の母親らしき人物もいる。


「あ、お母さん見て見て、ゴリラのカップルだ、ゴリラのカップルがバナナ食べてる! ぎゃははは!」

「こら、笑ってはいけません、ふふふふ、ふふふふふ!」


 母親にも笑われてしまった。

 ていうか、あの親子、以前、球場の隣の大型デパートにいた親子じゃないか?


 俺はあまりの恥ずかしさから、久留宮の手を引いて早足でその場を離れた。

 

「どこ行くんですか?」

「あんな人がたくさんいるところでは落ち着いて食えん。もう少し静かなところへ……」


 といっても、静かなところってどこだろうと考える。

 ふと、先ほど迷子になった久留宮を発見した、本殿の裏の辺りは人が全然いなかったなと思い出し、そこへ向かう。

 そして本殿の前に着いた時、ドン、と急に大きな音が鳴った。


 視線を上に向けると、真っ黒な空を赤い花が明るく照らしていた。

 次々と音が鳴り響くと、夜空があっという間にキラキラとした花畑になっていく。

 隣にいる久留宮が、ほぅっと感嘆の息を吐いた。


「きれいですねぇ、花火」

「久留宮のほうがきれいだよ」

「ぷっ、なんですかそのキザなセリフ、似合いませんよ、志津木くんには」

「な、なんだと!?」

「ふふふ、でも、ありがとうございます、嬉しいです」


 と花が咲いたように笑う彼女は、本当に上空で輝いている花々より美しく感じた。


 花火が終わり、チョコバナナも食べた後、俺たちは帰ることにした。

 しかし、来た道を引き返し、鳥居を抜けた辺りで久留宮が急に立ち止まった。

 

「久留宮、帰るぞ?」


 と俺が声をかけても、なぜか彼女は動かない。


「どうした?」

「その呼び方、嫌です」

 

 唐突に、彼女はそう言った。

 呼び方っていうのは、俺が彼女のことを久留宮と呼んでいることか?


「じゃあ、どう呼べばいいんだよ」

「久留宮じゃなくて……その……下の名前で呼んでください、瑠美って……私もこれからはあなたを怜久君と呼ぶので……」

 

 彼女は脚や手をもじもじとさせながら、そう言った。

 なんだ、そんなことか。

 俺もずっと前からそうしたかったけど、彼女にいやがられないか怖くて言い出せなかった。

 

「わかった……瑠美、帰ろう」

「はい、怜久くん」


 歩き出す俺に、どこか悲しげに目を細めた彼女がついてくる。 

 なんでそういう顔をしているかは見当がついていたが、気づかぬ振りをして、今は彼女と一緒にいられる幸福を噛みしめた。

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