第26話 彼女が家に来た


 海に行った日の翌日。

 俺は久留宮と今後の予定についてココアトークで話しあった。

 俺の家に久留宮が来るのは明後日に決まり、夏祭りに関しては一週間後に行くことになった。


 そして今日の夜――

 夕食前に、俺は両親と妹に久留宮が家に来ることを言っておくことにした。


 俺はダイニングテーブルに向かい、いつも座っている席に着いた。

 その向かい側に、父と妹が着席する。

 母がご飯と味噌汁を運んできて、テーブルに並べ終えたときに、俺は告げた。


「明後日、俺の彼女が家に来るから」


 最初、俺以外の全員がきょとんしたが、数秒後、爆笑が三方から起こった。



「フフフフフ、お兄ちゃんが彼女? 何言ってんの? フフフフフフ!」

「ウフフフフフフ! ウヒヒヒヒヒ! アヒヒヒヒヒヒヒヒ! イーヒヒヒヒヒヒヒヒ! 突然何を言い出すかと思ったら、も、妄想もたいがいにしときなさい、アーッヒッヒッヒッ!」

「ウヒョヒョヒョヒョヒョ! きっとエロゲの出来事を現実だと思い込んでいるのだろう、アヒャヒャヒャヒャヒャ! 父さんと違っていくらモテないからってエロゲばかりしていてはだめだぞ、アヒョヒョヒョヒョヒョ!」」


 特に母と父は腹を痛そうに抱えるほど笑っていた。

 たくっ、何がそんなに面白いんだか。


 ていうか、以前は女遊びをしているんじゃないかと疑ってきたくせに、俺が女を家に連れてくると言ったら信じないのかよ。


「いや、実際に来るから、家に彼女」

「はいはい、わかりましたよ、ウフフフフフ、ウヒヒヒヒ」


 母さんはわかったと言ったが、まだ気味の悪い笑みを浮かべており、全然信じていなさそうだった。

 父と妹も俺に依然としてむかつく笑顔を向けている。


 だめだ、誰も信じてくれねぇ。

 俺はあきらめることにし、テーブルに肘をついて料理が全部運ばれてくるのを待った。


「はい、今日のご飯は酢豚よ」


 しばらくして、母がキッチンからこちらにきて、テーブルに置いたのは、パイナップルが山盛りに載った皿だった。


「いや、どこが酢豚だよ、これの! パイナップルしか入ってないじゃねぇか!」

「よく見なさい、怜久、豚肉とか玉ねぎとかも入っているでしょう、ほら」


 母が箸でパイナップルの山を箸で崩すと中からたしかに豚肉とか玉ねぎが少し出てきた。しかし……


「入っているけど1,2割じゃねぇか、普通逆だろ」

「おかしいわね、何がそんなに不満なの? 酢豚にパイナップルを入れるといいと聞いたから入れたのだけど」

「おかしいのはあんただ。確かに酢豚にパイナップルを入れることはあるが、せいぜい全体の1、2割だ。あきらかに量が多いんだよ、ていうかふざけているだろ、料理で遊ぶな」

「ひどいわ、ふざけているだなんて、母さんは真面目に一生懸命作っているのに、うう、ぐすん」


 目薬をこっそり差す母。もうそういうくさい演技はいいから。


「母さんを泣かすとは、何事だ、この不良息子め! 別に酢豚がパイナップルだらけでもいじゃないか、俺はパイナップル好きだぞ! うま、うめ! うまうま!」


 と父はパイナップルをバクバクと食べ始める。

 そんな父を指差しながら、母が俺を見る。


「さすがお父さんね、怜久も見習いなさい」

「嫌だよ」


 妹はもはや文句をいうのもめんどくさいようで、あきらめた表情でこのパイナップルだらけの酢豚を無言で食べていた。


 なんだかんだ文句を言いはしたが、俺は出されたものはなるべく完食したいと思っている人間なので、しかたなくその酢豚を完食した。

 うんうんと満足気な表情の母がなんか癪だった。





 久留宮が家に来る日がきた。

 そろそろ彼女が家に来る時間だ。

 しかし、俺はトイレにこもっていた。


「うぐぅ……ぐぬぬぬぬぅ……」


 まずい、急がないといけないのに、なかなか出ない。

 俺がそう焦っていると、ドタドタドタとこちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきた。


「お兄ちゃんお兄ちゃん、大変大変!」


 がちゃ! とドアが開かれると、その向こうには妹がいた。


「どうした? 妹よ、ぐぬぬぅ……」


 くそ、これだけふんばっているのにまだ出ないとは。


「お兄ちゃんの彼女を名乗る人が家の前に来てるの!」

「ちょっと待ってくれ」

「なんで!? 急がないと!」

「おまえ、今俺がなにしているか、わかるだろう?」

「え……」


 妹は俺をまじまじと見ると、見る見るうちに顔を赤くした。


「キャーーーーーーー!」


 今更悲鳴を上げるか、妹よ。


「なんで大きいのをしているところを見せるのよぉ! 変態変態!」

「お前が開けたんだろう?」

「そんなまさか……あ、そうだったかも」

「かもじゃなくてそうだ。変態はお前だ」

「わ、私が変態……そんな……って、よく考えればなんでトイレのドアが開いてたのよ!」

「だって、閉めたらなんか、鍵壊れたとき中に閉じ込められそうで怖いんだもん」

「そんな可能性ないから!」

「なにを、あるかもしれないじゃないか!」

「まずないから、バカじゃないの!」

「なんだと、兄が大きいのをしているのにトイレを開けてくる変態の妹の分際で生意気だぞ!」

「変態はトイレのドアを閉めないお兄ちゃんだよ!」

「いや、お前が変態!」

「ちがう、お兄ちゃんが変態!」

「変態変態!」

「変態変態!」

「変態変態変態変態!」

「変態変態変態変態!」


 しばらくただただお互いを変態と罵り合って二人とも息が荒くなって、数分くらい経ったころ、ようやく俺たちは争うことの愚かさに気づいた。


「……不毛だね」


 と妹が疲れた顔で言う。


「ああ、そうだな、停戦しよう」

「うん」

「ほら、停戦条約の締結の握手をしよう」


 俺は手を差し出すが、しかし妹はその手を握らなかった。


「なぜ握らない? おにいちゃん悲しいぞ?」

「別に握手してもいいけど、手洗ってからにして」

「……そうだな、うん、そりゃそうだ」


 今、俺、排泄中だもんな、うん。



 その数分後――


「わりぃわりぃ、うんこしてて遅くなっちまった」


 玄関のドアを開けて、久留宮を迎え入れる。


「そういうことは言わなくていいです!」


 と久留宮はいきなりプリプリと怒ってくる。

 奥からぞろぞろと母と父と妹が玄関にやってきた。


「え、あれがお兄ちゃんの彼女、うそ、かわいい……」

「まじかよ、彼女ちゃんくそ美少女じゃねぇか、こんな変態やめて、俺と付き合ってくれ、俺が必ず君を幸せにする!」

「お父さん?」


 母が父に怖い笑顔を向ける。


「じょ、冗談だよ、かあさん」


 汗をだらだら垂らしながら、父は苦笑いしていた。


 そんな家族の様子に少し困惑した顔をしながらも、久留宮はぺこりと頭を下げて挨拶した。


「志津木君の彼女の、久留宮瑠美です、よろしくお願いします」


「ふーむ……まぁ、今のところは合格点ね、リビングに来なさい、今日は一日中、あなたがうちの息子にふさわしいか、チェックしてあげるわ」


 と母が腕を組みながら偉そうに久留宮に言う。


「母さん、何様だよあんた……」


 俺の言葉を無視し、母は久留宮を連れてリビングへ行く。

 俺たちも後に続いた。


 リビングのソファに全員座ると、母がスッと立ち上がる。


「久留宮さん、お腹空いてない?」

「え、いえ、別に……」

「空いているわよね? ねぇ、ねぇ?」

「は、はい、空いてます……」


 顔を至近距離まで近づけてくる母の圧に耐えられず、久留宮はたじたじになりながらもそう言った。


「ならお昼ご飯食べていきなさい、今日は腕によりを振るうわ」


 と母がキッチンへ消えていく。


「すまんな、母さんが」

「いえ、大丈夫です、面白い人ですね、志津木君のお母さん」


 と久留宮は苦笑いしていた。


 ニ十分くらいテレビを見たりして時間をつぶしていると、母が奥のキッチンからお盆を持って出てきた。


「はい、たこ焼きよ、たこじゃなくて中に入っているのはチーズだけど」

「ならたこ焼きじゃねぇじゃねぇか」


 俺のツッコミを意に介さず、母さんはニコニコとしながらそのたこ焼きもどきをテーブルに置いた。


「さ、食べて食べて、ちなみに一つだけからしが入っているから、気をつけてね、なづけてロシアンルーレットたこやき!」

「いや、なんでそんなことするんだよ!」

「その方が面白いと思って」

「こんな時にまで面白いことしようとしなくていいから、たく、母さんは……」


 隣りから視線を感じると、久留宮がジト―とした目で俺を見ていた。


「なんだよ?」

「いえ、志津木君も人のこと言えないじゃないですか、いつも人を笑わかそうとふざけてばっかり、お笑い芸人目指してるのは知ってますけど……」

「おいおい、母さんと一緒にするなよ、俺はもっとまともだ」

「私にはこの親にしてこの子あり、て感じに見えますが……」


 と苦笑いを浮かべながら、久留宮は俺と母さんを交互に見ている。

 その時、母さんがなかなか食べない俺たちを見て。しびれを切らした。


「ほら、どうしたの? 私の料理が食えないというの!? 早くこのたこ焼きを食べなさい! そしてからし入りを引きなさい! さぁ!」

「母さんが最初にこのロシアンルーレットたこ焼きとやらを食えよ、母さんがこれ、作ったんだからさ」


 と俺が言うと、母はやれやれと言った感じで肩をすくめる。


「わかったわよ、もう、臆病者ねぇ、あなたたちは……では、お母さん、トップバッター行きます! お父さんアナウンスお願い!」

「一回表、大日ドラゴンズの攻撃、一番センター、志津木久美!」


 父がウグイス嬢風にそう言うと、パチパチパチと握手した。

 そういうくだらない茶番はいいからもうさっさと食ってくれ。


「では、お母さん行きます! ぱくり! もぐもぐ……うっ、か、からーーー!」


 母さんはしょっぱなっからからしに当たったようだ。

 因果応報だった。


「み、水ー! 水が欲しいわ!」


 母が地面に転がり、ミステリー作品の序盤で死ぬ毒を盛られた奴みたいにもだえ苦しんでいる。


「はい、母さん、水、口移しで!」


 と唇を突き出してキスしようとする父を、母は真顔で避けた。


「いえ、普通にコップで水を頂戴、いくら夫とは言え、それはなんかちょっと汚くて抵抗あるわ」

「あ、はい……」


 父はしょぼんとして、水が入ったコップを母に手渡した。


「ごくごく、ぷはー、う、うめぇえー、げっふ!」


 母がげっぷをしたのを見て、さすがの父も少し引いていた。

 我が母親ながら、おっさんくせぇなぁ……。


「この水、うますぎる、こんなおいしいの、生まれて初めて飲んだわ! これどこの水? 南アルプスかしら? きっとどこかしらのアルプスのやつなんでしょう? そうに違いないわ!」

「いや、普通の水道水だけど」


 と妹が実に冷静な顔で言う。

 コップの水を全部飲み干すと、母が目薬を差して、いつものように泣く演技をし始めた。

 もうええて、そういうのは……。


「うう……今日はさんざんだわ、まさかこの私がこんな体を張ったギャグをする羽目になるなんて……もう嫌よ、こんな役回り! 私は他人が傷つく笑いは大好きだけど、自分が傷つく笑いは大嫌いなのよ!」


 全く罪悪感がなさそうに、母さんがそう言う。

 我が母親ながらクズ過ぎる、こいつ。


「これで終わりじゃないわ、まだ料理を用意しているから、ちょっと待ってなさい……今度は私があなたたちをゲラゲラと笑う側に立ちますからね! 覚悟してなさい!」


 と負け犬のようにほざいて、キッチンへ消えていった。

 残された俺たちは全員、うわぁという顔をしていた。


 母さんが次はどんな料理を持ってくるか、俺は不安で不安で仕方がなかった。




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