第16話 股間の臭いを嗅がせようとする変な客

 デート当日。

 朝早く起きて、支度して、待ち合わせ場所である、久留宮が住んでいるマンションの前に行った。

 約束の時間の15分前に到着すると、彼女はそれから10分後くらいにマンションの入り口から姿を現した。


 密かに楽しみにしていた、彼女の私服姿をまじまじと見る。

 肩にフリルがついた薄桃色のカットソーを着ていて、レモンイエローのスカートを穿いていた。

 夏に合った涼しげな格好で、彼女にとてもよく似合っていた。


「あ、ごめんなさい、待ちましたか?」

「いや、大丈夫、全然待ってないから。一時間くらいしか待つってないよ」

「めちゃくちゃ待ってるじゃないですか!? ごめんなさい、そんなに待たせてしまって……」


 としゅんと落ち込んだ様子の彼女。


 好感度アップにつながるかと思って、嘘をついて実際より長い時間待ってると言ったけど、そんなに申し訳なさそうにされると、さすがに罪悪感に耐えられなかった。


「いや、ごめんごめん、嘘だよ、実際は10分くらいしか待ってない」

「ええ、なんでそんな嘘つくんですか……あ、でも、10分は待たせてるんですし、やっぱりごめんなさい……」

「約束の時間の5分前には来てるんだし、いいよべつに、こういうのは早く来すぎたやつが悪いんだ、ほら、そんな申し訳なさそうにしてないでさ、早く行こうぜ」


 と俺は彼女の手を引いて、歩き出した。

 急に俺が手を握ったので、びっくりしていたが、やがて彼女も俺の手を握り返してくれた。


 電車に乗って、野球場の名前がついた駅で降りる。

 そこから目的地は歩いてすぐだ。

 目的地の大型デパートに到着し、俺たちはその中へ入った。


「なんだか、ユニホーム姿の人が多くないですか?」


 と久留宮がきょろきょろと大きな目で辺りを見回しながら言う。

 

「今日は隣の野球場で、大日ドラゴンズ対巨神ジャイアンツの試合があるからな」

「だからこんなに人が多いんですね」


 久留宮が服を買いたいというので、俺たちは二階のアパレルショップが並んでいるエリアへ向かった。

 その中の一つの店に入る。

 店の中をうろちょろとする彼女に、俺はついていく。


「夏ですし、ワンピースとかいいですねぇ」


 と彼女がワンピースをいくつか手に取って、鏡の前で自分にその服が似合うかどうか試し始めた。


 その時、俺は遠くで知っている人物を一人見かけた。

 チャラ男の南出だ。知らない女と歩いている。

 彼女だろうか? 隣の女との会話に夢中でこちらには気づいていないようだ。


 まずい、こっちに来る!


「久留宮、ちょっと隠れるぞ!」

「えっ、ちょっ、いきなりなんですか!?」


 久留宮の手を引いて、試着室に二人で入った。

 カーテンを閉めると、彼女が頬をほのかに赤く染め、落ち着かなさそうにしていた。


「志津木くん、こんな狭いところに、二人きりだなんて……」

「我慢してくれ」

「なんですかいきなり、説明してください」

「南出がいたんだ、女を連れていた、たぶん向こうもデート中なんだろう」

「南出って、同じクラスの?」

「ああ」

「べつに隠れなくてもいいんじゃ……」

「あいつに邪魔されたくないんだよ、久留宮との時間を」

「そ、そうですか」


 と彼女は照れている様子。


 カーテンをほんの少しだけ開けて、外の様子を窺う。

 南出がここから遠ざかっていくのが見えた。


「よし、出ていいぞ」


 俺が試着室から出ると、彼女も後に続くように出てきた。


「まさか南出君に遭遇するとは思いませんでしたね」

「ああ」


 それにしても、あいつの服装で許せないことがある。


「なんであいつ、名古屋に住んでるのに巨神のユニホーム来てるんだよ、その彼女も」

「べつにいいじゃないですか、どこの球団を応援しようが」

「だめだ、名古屋にいるからには大日ドラゴンズを応援しなきゃならない」

「狭量ですねぇ」


 と少しあきれている感じで嘆息する久留宮。


「ところで、なんか買いたい服はあった?」

「そうですねぇ、このワンピースが気になるんですけど、どう思います?」


 と彼女は白地に花柄模様のワンピースを見せてくる。


「いいんじゃないか、試着してみたら?」

「そうですね、そうしてみます」


 彼女は試着室へ入っていった。

 そして数分後に彼女がカーテンを開けて出てきた。


「どうです、似合いますか?」

「うん、似合う似合う」

「では、これ買います」


 久留宮は試着室で元の服に着替えて、レジの方へ向かった。

 彼女は財布を取り出して自分で払おうとしていたので、俺が会計に割り込んで、バーコードが映ったスマホの画面を店員に見せて、電子決済をしてもらう。


「あっ、私が払おうと思っていたのに、いいんですか?」

「ああ、こういう日のためにバイトして金をためてるんだからな、今まで使う機会がなかったら貯まりに貯まってるんだ、今日くらいかっこつけさせてくれ」

「わかりました、ではお言葉に甘えさせてもらいます」


 その後、久留宮が水着を買いたいというので、女性用の水着が売っている売り場の方へ移動した。

 彼女連れとはいえ、男の俺には居づらい場所で、なんだか少し落ち着かない。


「これとかどうだ?」


 俺がマイクロビキニと呼ばれるものを指差すと、久留宮がぷんすかと怒った。


「こんな布面積が小さいの嫌ですよ、何着せようとしてるんですか、変態ですか!」

「冗談だよ、冗談、本気にするな、そうだな、じゃあこの黒い水着とかどうだ、久留宮の白い肌に映えそう」

「黒もいいですねー、でも私、この赤いのがいいです、ほら、サンタの衣装みたいじゃないですか?」


 と久留宮は赤い水着を自分の胸の前に掲げた。

 彼女はどうやらあの赤いサンタ衣装が好きなようだ。


 その他の水着も色々と見ていたが、結局その赤い水着が一番気に入ったようで、彼女はそれを買うことに決めた。

 今回の会計も俺が電子決済で払った。


「悪いですね、また払ってもらっちゃって」

「だから気にするなって」


 と言った後で、俺のおなかが唐突にぐぅーとなった。

 久留宮がそれを聞いて、くすくすと笑う。


「お腹減ったんですか?」

「かもしれない」

「じゃあ、ご飯にしましょうよ」

「そうだな、久留宮は何か食べたいものある?」

「そうですねぇ、私は甘いものが食べたい気分ですけど、志津木君は?」

「俺はなんでもいいんだよな、甘いものか…じゃああそこへ行くか」


 一階に降りて、飲食店が並んでいるフロアに行き、ある喫茶店に入った。

 奥の方のテーブル席に座った後、メニュー表を二人で見る。


「何にする?」

「おすすめってありますか?」

「甘いやつが食べたいんだろ、ならモンブラントーストだな」

「じゃあそれにします」


 水を二つ分運んできたウェイトレスに声をかける。


「モンブラントースト二つ」


 ウェイトレスが注文を聞いて去っていってから、10分後くらいに、料理が運ばれてきた。


 俺と久留宮の席に、モンブランが余すところなく上に載ったトーストとともに、シロップが入った容器が置かれる。


「このシロップはなんですか?」

「お好みで好きなだけ入れろってことだよ」

「そういうことですか」


 と彼女はいきなりシロップを全部モンブラントーストにかけていた。

 俺もシロップをかけたが、半分くらい残しておいた。


 彼女はふんだんにシロップが載ったトーストを、ナイフとフォークで小さく切り取り、口に運んだ。


「甘くておいしいです」

「だろ? ここの名物なんだ」

「でも、けっこう量多いですね、夜ご飯食べられなくなっちゃいそうです」


 そう言いながらも、パクパクと食べていた彼女は、のどが渇いたようで、コップに入った水を一口飲んだ。

 そして、そのコップをテーブルに置こうとしたとき、


「あっ!」

 

 彼女が手を滑らせて、コップを倒してしまった。中の水がこぼれ、こちらの方へ流れてきて、俺のズボンの股間部分をビチャビチャと濡らす。


「ちょっ、おもらししたみたいになっちまったじゃねぇか!?」

「あわわわ、ごめんなさいごめんなさいいい」


 必死に頭を下げて謝る彼女を視界の端に収めながら、俺は布巾で股間を拭く、が、どれだけ拭いてもズボンの股間部分が湿ったままだった。


「……食べ終わったらズボン買いに行こう」

「わ、わかりました」


 俺も彼女も料理をきれいに平らげると、速攻で店を出て、エスカレーターで二階へ行き、アパレル店がある方へ急ぐ。

 通り過ぎる人々が俺の股間を見て、ひそひそ言っているが、気にしないように努めた。

 前方から歩いてきた親子が俺の方をじーっと直視していた。その子供が小さな手で俺を指差す。


「ママー、見てあの人、おもらししてるー、ぎゃはははは」

「こら、笑ってはいけません!」


 爆笑している子供を「めっ」と母親が注意している。

 なんだか泣きたくなってきた。


 急ぎ足でメンズ服が売ってる店に行き、ズボンを見ていると、女性の店員が恐る恐るといった感じで声をかけてきた。


「お、お客様、そのズボン、まさか……」


 店員が俺のズボンの濡れた股間部分を凝視している。

 どうやら誤解されているようだ。


「いえ、これは彼女が倒したコップの水がかかっただけですよ、なぁ久留宮?」

「そうですそうです、私のせいなんです!」

「そ、そうだったんですか、失礼いたしました」


 と言うものの、その店員は信じていなさそうだった。心なしか、俺とはあまり距離を近づこうとしてこない。


「いや、ほんとだってば、近づいてもしょんべん臭くないよ? におい嗅いでみてよ、ほら」


 と俺が店員の方へ一歩踏み出した瞬間、


「いやあぁあ、変な人が、股間の臭いを嗅がせようとしてくるーー!?」


 突如、甲高い声で悲鳴を上げる女性店員。

 ざわざわざわっと周りが騒々しくなる。


「な、ご、ごご、誤解だ! 俺はただ股間の臭いを嗅がせようとしただけで……あれ?」

「誤解じゃないじゃないですか」

 

 と瑠美がじとーとした目で言う。

 いや、元はと言えば君のせいでこうなってるんだからね?


「たしかに! い、いや、でも、ちがうんだ、ちがうんだぁぁぁー!」


 俺は必死に叫ぶが、周りは俺を変わらず性犯罪者扱いしてきた。


「変態が出たらしいな!」

「警察に通報だ!」

「いや、その前に私人逮捕だ!」


 なにやら動画配信者らしき人もこちらに向かってくる。

 カオスな状況になってきた……。


 その後、俺は私人逮捕されかけたが、駆けつけた警備員や責任者らしき人に、久留宮が必死に説明をしてくれて、何とか俺たちが無実であることを理解してもらった。


「ふぅ、とんだ目にあったぜ」

「とんだ目にあいましたね」


 警備員に解放された後、俺たちは先ほどの男性服を取り扱っている店で、再びズボンを見ていた。


「とりあえず、ズボンさっさと買いてぇ、もうズボンならなんでもいいよ」

「なら、私が志津木君のズボンを選んでもいいですか?」

「ああ、いいよ」


 彼女の服のセンスはどんなもんだろうか?

 まぁ今の彼女の服装は悪いセンスではないので、そんな変なものは選ばないだろう、と思っていたのだが、


「じゃあ、これとかどうですか、かっこいいですよ?」


 そう言って、彼女が見せてきたのは、ゴリラの顔がたくさん描かれたズボンだった。


「これ、買いますよね?」

「いや、なんでだよ、嫌だよ!」

「え、なんでですか? ゴリラ、かっこいいじゃないですか?」

「いや、ゴリラはかっこいいけど、このズボンはかっこよくないよ、ていうかなんでこんなズボンあるんだよ」

「穿いてくれないんですか? ズボンなら何でもいいって言ったじゃないですか?」


 と昔よくテレビで流れていた某CMを想起させる、チワワみたいなウルウル目で俺を見てくる。

 くっ、そんな目で見られたら断れないじゃないか。

 悩んだが、結局、そのダサいズボンを買い、試着室で着替えてきた。


「やっぱりかっこいいですね、志津木君にはゴリラがよく似合うと思っていたんです」


 と自分の服のセンスがとてもいいと思っていそうな顔で彼女は言う。

 これからは彼女に俺の服を選ばせるのはやめよう……。


 店を出て、あてどなく歩いていると、前方からこちらに向かってくる親子が俺のことをじろじろと凝視していた。


「ママー、あの人変なズボンはいてるー、ぎゃはは!」

「こら、笑っちゃいけません、ふ、ふふふふふ、ふふふふふ」


 またしても子供に笑われた。しかも今度は母親にも笑われた。

 ていうかさっきの親子と同一人物じゃないか?

 くそ、なんという恥辱だ。いっそ頭がおかしくなってしまった方が人生楽なんじゃないかと思うほどだ。


「ウホホホ、もう笑うしかねぇよ、この状況、ウホホホホッ! なんか笑い方もゴリラみたいになっちまったよ、ウホホ!」

「うほほほほほ、志津木君ったら変な笑い方、本物のゴリラみたい、うーほっほっほっほっ!」


 そういう久留宮も口元に手を当てて、上品なお嬢様ゴリラのように笑っていた。

 彼女も狂ってしまっていた。

 変なカップルだった。周りから奇異な視線で見られている。


 それから先のことは、よく覚えていない、なんだか彼女と変なテンションでうほうほ言いながら、ウインドウショッピングをしていた気がする。


「楽しかったですね」


 久留宮が帰りの電車でそう言った。


「そうかな?」


 苦々しい思い出ばかりできてしまったような気がするが。


「私は楽しかったですよ」


 と口元を緩ませていて、久留宮は見るからに上機嫌だった。

 俺はさんざんな目にあったが、まぁ彼女が楽しかったならいいか、と思うことにした。

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