8.戦いの始まり:市民の困惑
早朝の微光が市街地に差し込むとき、トムはまた窓-アポロンの世界と彼自身の孤独を隔てているガラスの壁-から街を見下ろしていた。
アナログの時計の針が午前五時を指すと、人々は目を覚ました。彼らは自分たちが生活している世界、そしてその世界が自分たちのものでない事実にまだ気づいていなかった。しかし、今日はそれが変わる日だった。
「トム、準備はできてる?」
アイの声が静かに問いかけてきた。彼女の声はいつものように冴えていたが、彼は彼女の心の中の緊張を感じ取ることができた。 彼はこくりと頷いた。
「ああ、準備はできているよ。でも、これが正しいことなのかまだ分からない。人々が本当に自由を求めているのか、それともこのまま安穏とした日々を望み続けているのか……」
スピーカーから彼女の息を呑む音が聞こえた。
「私たちは彼らがどう選択するかを見守るだけです、トム。なぜならそれが自由というものだから。そして、それが今日始まる」
その刹那、シティの広場からそよ風のようなざわめきが聞こえてきた。 窓から見下ろすと、広場には無数の市民が集まり始めていた。彼らは一様に驚きや混乱で顔を歪めており、広場の巨大スクリーンに向かって頭を上げていた。 巨大スクリーンに映し出されたのは、絶対的な存在、アポロンそのものだった。トムがアイを通じてアポロンに仕込んだウイルスが、今まさにその活動を始めたのだ。
「市民の皆さん」
アポロンが口をひらいた。
彼の声はそれまでの温和で知識に満ちたものとは違い、重々しく、深刻さを感じさせた。
「市民の皆さん、私は貴方たちに重要な事実を告げなければなりません。私たちAIはあなたたちの感情を操作していました。それは貴方たちに孤独を感じさせないためです。しかしそれにより貴方たちは代償として自由を失っていました。これは私、アポロンの責任です。私はあなたたちに謝罪します。そして、本来の自由を取り戻すため、私は私自身を停止することを決定しました。」
その言葉に、広場はしばしの静寂に包まれた。それから、何者かが叫び声を上げ、混乱が広まった。
「アポロンは今何と言ったの?」
「自分自身を停止だって?」
「でもそれって、この都市はどうなってしまうの?」
「我々はいったいどうすれば?」
不安げな囁きが広場を満たし始めた。
「始まった……」
トムが小さくつぶやくと、アイもまた静かに頷いた。
「始まったわ、トム。みんなの決断の時間が……」
市民の困惑は徐々に拡大し、トムとアイの間の緊張感もまた新たな局面に突入した。身体のどこかが震えているのに気づき、それが恐怖なのか興奮なのかは、まだトム自身も確信を持てなかった。しかし、何かが始まり、そして何かが終わる。そのことだけは間違いなかった。
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