第十二酒席 かくして銀二は不死の領主となるのでした
40 不死の魔法師
レオルの体から吐き出された悪魔の姿は、ケイパーとたいして変わらない、紫色っぽいゲル状の物体だった。大きくもなく、小さくもなく、人の野望の根っこは、人が魂を売って手に入れられるものは両腕で抱えられてしまうくらいのものだと思い知らせるような姿だった。
「小僧、やってくれたなっ」
レオルの声であったからこそ感じられた威厳も迫力も、ただのスライムになってしまった彼からは感じられなくなっていた。今なら簡単にやっつけられそうにも思えるが、傷を負った銀二にはもうその力は残されていなかった。
「ギンジ、そいつから離れて!」
帽子から取り出した聖水の小瓶を手に駆け出したヴィヴィの姿を見て、悪魔は舌を打った。
「っち、こうなったら、おまえの体を乗っ取ってやる」
「こんな体でよければどうぞ」
銀二は両手を地面について深く息を吐いた。
離れたくても離れられないのだ。なんだかんだ、体はボロボロで、アルコールの回った血も腹から流れ出ていて、温かいんだか、寒いんだかもよくわからない。
悪魔はその体を這い上がり、銀二の顔まで迫った。
「俺の体は居心地が悪いと思うよ?」
「この場を乗り切れさえすれば、どうとでもなる」
そう言って、悪魔は銀二の口から強引に体内へ入り込んだ。
悪魔が銀二の体を支配するのに一秒もかからなかった。
体を奪われた銀二はゆっくり立ち上がり、腹に刺さっていた剣を抜き、その刃を首に突きつけてアルコやヴィヴィを脅した。
「寄るな! 近づけば、すぐにでもこいつの喉を掻き切るぞ!」
「やってみなさいよ! そしたらあんたを確実にやってやる!」ヴィヴィは小瓶の栓を抜いた。
「いいや、君達にはできない。悪魔に魂を売れぬ君達には!」
「ちょっと! ギンジの声で変なこと言わないでよ、気持ち悪いじゃん!」
悪魔はそう言ったアルコとヴィヴィに目をやると、警戒しながらその場から離れ、扉を開けた。
そうすることで、王の間の魔法封じの結界が破られた。
扉を開け、外へと駆け出した時、悪魔はジャスティやアジャと出くわして足を止めた。
「ギンジか? どうしたおまえ、その傷」
「ジャスティ! 今のギンジは正気じゃない! 悪魔に乗っ取られてる!」
ジャスティが驚く暇もなく、悪魔は手にした剣を振りかぶった。
しかし、アジャの容赦のない拳が銀二の頭を殴りつけた。首が抜けそうになるほどの重たい一撃を受けて、銀二の体はレッドカーペットの上へと押し戻されて転がった。その一撃は悪魔も想定していなかったもので、完全に体の支配を奪っていても、とても起きられる状態ではなかった。
「バカアジャ! ちょっとは手加減しなさいよ! アルコ! 手を貸して! ギンジを起こして!」
アルコは銀二の体を抱きかかえた。聖水を食らわせるにも、もう一度銀二の体から悪魔を引きずり出さなければならない。悪魔祓いの魔法は時間がかかる。今この場で一番有効なのは、酒だ。
「ちょっと、アジャ! あんたその手に持ってる酒貸して!」
「オニコロシか? イヤだ!」
「全力で拒否すんなバカ! このままギンジが死んだら一生そのオニコロシも呑めないのよ!?」
「なに!? ギンジは死にかけてるのカ!?」
「あんたがとどめさしたんでしょ! とにかくサケ!」
アジャが水筒を差し出すと、ヴィヴィはそれを奪うようにとって、銀二にオニコロシを飲ませた。
げふげふとむせながら、銀二は酒を飲み干した。脱力した体からどろりと吐き出された悪魔は、ヴィヴィがすかさず聖水をかけられ、氷のように溶けながら形を崩していった。
「こんな形で終わってしまうとは、意外だったよ」悪魔は言った。
「あっさりしたもんでしょ、未練でもある?」
ヴィヴィが訊くと、悪魔は崩れ落ちていく自分の存在を思い返すような間を置いた。
「……未練そのものである私が消えたところで、しょせんは人の夢よ」
どこか満たされたような穏やかな声でそう言って、悪魔は塵となって消えてしまった。
「終わったのか?」ジャスティが訊いた。
「一応はね」
ひとまず、レオルを乗っ取っていた悪魔を祓うことに成功はしたが、問題はまだ残っている。
銀二を救い、戦争を止めなければならない。
「ギンジ! ちょっと待って、死んじゃダメだって! しっかりして」アルコが激しく揺すった。
「うぅ」銀二は虫の息だった。
「ギリギリ死んでないが、死にかけてるな。しかしどうする、ギンジの傷は深いぞ」
ジャスティはシャツの裾を捲り、腹に空いた傷を確認して苦い表情を浮かべた。
「助けられないってこと? こんなに頑張ったのに、なんでギンジを助ける為に頑張ってくれないんだよ!」
「落ち着け、私だって諦めたいわけではない。しかし、戦争も止めなければならない」
「だからさあ――!」
二人の問答にさすがのアジャも首を突っ込まなかった。
ヴィヴィが大きく溜息を吐き、「アルコ、酒ある?」と訊いた。
「ないよ! 酔いたかったらギンジを助けるのが先だよ!」
「酒ならあるぞ。ギンジからもらった英雄だ」
「ちょうだい」
「どうするつもりだ。瀕死のギンジに飲ませても」
「勘違いしないで、私が飲むの」
「おまえが飲んでどうするんだ、自棄を起こしてるのか?」
「私も治癒魔法は使えるけど、傷はともかく、瀕死の状態からとなると自信ないのよ」
そう言うと、ヴィヴィは苦手な薬を意を決して飲む子供のように、『英雄』で満たされた水筒をぐびぐびと煽った。最後の一滴まで飲み干しすと、溢れ出てくる唾液を飲み込んで、プルプルと震える。
「ヴィヴィちゃん、大丈夫?」
手を伸ばすと、「触らないで!」とヴィヴィはその手を払い、ゆらりと立ち上がった。
おでこまで真っ赤にして、立っているのがやっとという具合でパタパタとたたらを踏む。
「……あー、やっぱりこのサケっての、好きにはなれないわぁ」
言うと、ヴィヴィは何を思ったのか、石柱に向って勢いをつけて突進し、躓いて、頭から石柱に突っ込んだ。ゴン、と音がして卒倒した。
「凄い音がしたぞ」ジャスティは唖然とした。
「死んだ?」
「イカレタヤツだ」
三者三様に言葉を吐くと、不意にヴィヴィの体が眩い光を放った。
「なに!? ヴィヴィちゃんが光った!」
誰もが目を覆うほどの強い光は次第に落ち着いた。三人が目を瞬いている間に、倒れていたヴィヴィがむくりと起き上がったが、その姿は以前とは違うものになっていた。
「ヴィ、ヴィヴィちゃんが大人になった!」
ヴィヴィは落ちた帽子を拾って目深に被った。
しかしその目はいつもの三白眼ではなく、眠たそうな垂れ目だった。何より違うのは体つきで、完全な少女体系だったヴィヴィは、グラマーなワガママボディに成長していたのである。元の服が小さかったせいであちこち破け、きわどい部分まで見えそうになっていたが、そんなことを気にする素振りはまったく見せない。
「はじめまして、わたしヴィアンカ、ヴィリアント。ヴィリちゃんのお師匠様でーす。よろしくね」
普段の気の強そうなヴィヴィの口調とは真逆の、穏やかでまったりとした口調、少しばかり落ち着いた声音でヴィヴィは言った。
「ヴィヴィちゃん?」
「そうよ。普段の少女はヴィリアント、わたしはヴィアンカ。二人合わせてヴィリアント、ヴィアンカってこと――あーんまったくこの子、私がいつ出て来てもいいように大きめの服着なさいっていいつけてあるのに、子供のクセに背伸びした下着ばっかり着て、全然成長しないんだから」
「ど、どういうことだ? 何が起きた?」
目を丸くしたジャスティが訊くと、ヴィヴィはふっと笑んだ。
「普段は弟子のヴィリちゃんが主体で、いざって時は師匠であるわたし、ヴィアンカがこの子の体を通して表に出て、この子を守る」
アダルトヴィヴィは胸にそっと手を当てた。
「に、二重人格ってこと?」
「ちょっと違うわね。わたしは不死の魔法使いで、そもそも死ぬことができないの。けど、不死って言うのは新しい発見も感動も薄れちゃって、そういうのは魔法の発展には悪影響なのよ。だから、まっさらな私の魂と肉体を作って、普段はその子に生活させてるの。つまりね、この子がお師匠様と呼んでるのは自分自身のこと。若い頃の私と言ってもいいわ」
「……ごめん私バカだから全然わからなかった」アルコは言った。
「心配するな、私にもさっぱりわからん」ジャスティも同意した。
「魔法ってそういうものだから、深く考えなくていいし、理解しようとしなくてもいい。けど、私がこの子と同一人物であることは言わないでおいてね? いずれ来る時が来たら、魂が一つになる。そうすれば、この子も全てを理解する」
「そしたらまた小さいヴィヴィちゃんが生まれるの?」
「正解、理解できてるじゃない。言ってしまえばセルフ転生ね」
「お、大きくなった理由は?」
「魔力の総量は、おっぱいとお尻の大きさで決まるのよ」ヴィヴィは胸を張った。
「ウソ!?」
「ウソよ。ただま、久しぶりに外側に出てくると、自分が一番扱いやすい体の方が何かと都合がいいの」
「どうでもいいけど、そろそろギンジが死ぬぞ。何とかしてくれ」
「ううううう」銀二が助けを求めるように呻いた。
「早く助けて!」
「いいわ」
ヴィヴィは腰を屈めると、閉じかけた銀二の瞼を指で押し上げた。
「ねえギンちゃん、答えて。そこから何が見える?」
「……グラマーなお姉さんの、パンツ」
銀二が虫の息で答えると、ヴィヴィは股をそっと閉じた。
「答えて。死にたくない?」
「死にたくない」
「生きていたい?」
「生きていたい」
「助けて欲しい?」
「助けて欲しい」
「生き延びたら、何がしたい?」
訊かれて、銀二は考えに考えた末に答えた。
「……酒を飲みたい」
ヴィヴィは笑った。
「あなたの欲望は真っ直ぐね」
そう言うと、ヴィヴィは銀二の唇に唇を重ねて、ねっとりとしたキスをお見舞いした。
アルコもジャスティもキリアジャも目の前で起きていることが信じられずに絶句した。
なんでキスしているの? という疑問に全てが集約され、三人の中で一番それが勘に障ったアルコが咄嗟に握った拳でヴィヴィを殴りつけた。
「なにやってんだこのエロエロ女!」
しかし、ひらりとヴィヴィはそのパンチをかわし、口元を拭いながらふふっと笑った。
「これで大丈夫。彼は
その言い回しに違和感を覚えたが、銀二の傷は既に塞がっていた。
そんなこんなしていると、目覚めていたレオルが四人の間に割って入った。
「お取り込み中のところすまないが、戦争を、止めなければならないんだが、協力してくれないだろうか」
酷く具合が悪そうに言ったレオルは、目の前に居る四人が自分を悪魔から解放してくれたことを理解していた。
「レオル陛下、ご無事で」ジャスティは安堵した。
「そうね、まずはバカなお祭りを止めないとね。そっちで石化した王様と女王様の呪いも解きます」
「しかしどうやって止める。進軍は始まっているし、あの悪魔の口ぶりでは、レオル陛下が命じた所で簡単に納得するとは思えない」
「私の得意な魔法はなんだか知ってる?」
「……精神支配?」
「正解」
「しかし、それでそんなあっさり終わるのか?」
「終わるわよ。だってすべて悪魔の仕業なんですもの」
ヴィヴィは石化していた王達を元に戻しながら、不敵な笑みを浮かべた。
そんなあっさり済むのだろうかと誰もが不安に思ったが、あっさりいってしまった。
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