39 おっさんとキスするなんて死んでもごめん!
酒だ、酒が足りない、もっと酔え。
銀二はレオルの突きを見据えながら、魔王の瓶をぐびぐびと煽った。
槍が喉を貫く直前に膝からカクンと力が抜けて、辛うじて一撃を避けることに成功した。
「なんと、今の一撃をかわすか」
「っげへっげへ、あー器官に入っちゃった」
銀二はむせると、酒瓶をあおり、ふらつきながらも何とかレオルの攻撃をかわし続けた。
フラフラと、ヨレヨレと、クニクニと、タコのように体をくねらせ、足をもつれさせながら攻撃をかわし、時に短剣と酒瓶を使って弾いた。「す、凄いぞ、俺! やればできるじゃん!」と銀二はなかなかやられない自分に感動しながら、紙一重で攻撃をかわした。
レオルの連撃が止むと、銀二は息を整えた。
「なかなかやるな」レオルも息を切らしていた。
「俺もこんなにできるとは思わなかった」
こんなに息が上がるのは、学生の頃のマラソン大会以来だ。
「面白い男だ。しかしあまり逃げ回らないでくれ、こう見えても疲れるのでね」
「じゃあどうかな、喉も渇いてる頃だろうし、そろそろ休憩も兼ねてお酒でも飲まない?」
「バカ! もっとさりげなくやりなさいよ!」
「え? ああ! そっかごめんつい! あっはっは!」
銀二が笑うと、つられるようにレオルも笑った。
「はっはっは! 愉快だな、君は稀に見る愚かで可愛らしい人間だ。私の下にも君のような道化がいれば、もう少し楽しめたかもしれない。その腰に提げた革の水筒に、私を祓う秘密が入っているのかな?」
「ああ、お酒が入ってる」
「だから言うなって!」
「なるほど、彼女の慌てぶりから察するに、サケというのは聖水の類か」
「聖水じゃないよ、お酒! 飲むと楽しい気持ちになれるし、俺にとっては命そのものだ」
銀二が言うと、息を整え終えたレオルが槍の柄を強く地面に突いた。
「不思議なものだが、君からは私たち悪魔と近い匂いを感じるよ」
「悪魔になった覚えはないけど、この魔王の由来には悪魔が絡むよ」
銀二が酒瓶を持ち上げると、レオルはそこに書かれた『魔王』の文字に目を細めた。
「ほう? その呪文は、『魔王』と読むのか」
「そう。この酒は天使を誘惑し、魔界へ最高の酒を運ぶ悪魔にちなんで命名された。どう? 一献」
「遠慮するよ。魔王など口にしたら、こちらが飲まれてしまいそうだからな」
「うまいじゃん。けど、魔王ってのは呑むもんだ」
銀二はぐびぐびと酒瓶の酒を煽った。
こうなったら一か八かだ、と銀二は「隙あり! 隙あり!」と腰に吊った水筒を投げつけた。
しかしレオルのどこにも隙はなく、全て宙で切り落とされ、一滴すらレオンには到達しなかった。
「ああワインが! 芋焼酎が! 日本酒がっ!」
手持ちの酒がどんどんなくなっていく。
「ギンジ! 新しいお酒よ!」
アルコが用意していた水筒を投げると、それすらも叩き落された。
「あー! 私のカルアミルクがぁ!」
「ちょっと、あんた達もう少し考えて戦いなさいよ!」
言ってる間に、銀二は次第に頭が痛くなり、吐き気をもよおし、レオルの攻撃をかわすことができなくなっていった。女神のお陰で破けることのない衣服は最強の鎧と化していたが、斬撃が打撃に変わっただけで、徐々にそのダメージは蓄積していった。
「ちょ、ちょっとタイム!」
銀二は堪らずレオルから逃げて、アルコ達のもとで倒れた。
「ギンジ、大丈夫?」
「ギリギリ生きてる感じ。アルコちゃん、頼みがあるんだけど、酒瓶に水を足してくれる?」
「うん、でもこれが最後の水だよ?」
「いいさ、それと――」
銀二はアルコに耳打ちで作戦を伝えた。
「わかった任せて!」
アルコがレオルに気付かれないように石柱の裏へ回り込むと、銀二は立ち上がり、レオルの元へよたよたと歩いた。
「ちょっとあんた大丈夫? 足元ふらふらだけど」
「大丈夫大丈夫、ちょっと飲みすぎちゃってさ。それに、こんなにしこたま殴られたの初めてだから」
「何でもいいけど、あんたが飲むんじゃなくて、飲ませんのよ!」
「わかってるってば。それより、聖水の準備しておいてよ」
「え?」
「次で確実に吐かせるから」
銀二は真水で満たされた酒瓶の口に親指できつく栓をして激しく振り、ふらふらとレオルとの距離を詰めた。
槍の突きを酒瓶で弾き、一歩ずつ確実に距離を縮めていく。顔を赤くして、視線が定まっていない銀二の異様な様子に、さすがのレオルも妙な覚悟と不気味さを感じてじりじりと後ずさった。
銀二が後ろのポケットのスマホに手を伸ばすと、警戒していたレオルが反射的に距離を取った。
「食らえ!」
取り出したスマホのカメラモード、フラッシュをたき、シャッターボタンを押した。
レオルは見たこともない四角い物質から放たれた光に驚き、一瞬だが顔を覆うように腕を引いた。
直後、「ギンジ!」と玉座の方からアルコが叫んだ。
レオルが振り向いた時、そこには石化された弓矢を持つ女王から、その弓を構えるアルコが居た。
矢が放たれ、レオルは咄嗟に心臓と頭を庇った。
しかしその矢は、驚くほどあさっての方向へぴゅーんと飛んでいった。
「騙したな!」
「よっしゃあ!」
銀二は背を向けていたレオルに飛び掛り、体を密着させて酒瓶を思い切り振りかぶった。
口の中に捻じ込んでやると親指で栓をした酒瓶をレオルの顔に近づけた。
しかしその時、銀二のシャツの裾から腹に向って短剣が突き刺された。
「っぐ――」
「もう少しでそれを飲まされてしまうところだったが、その刃を通さない衣のせいで油断したね」
レオルも銀二の衣服が強靭である事は学習していた。「この距離は、私が望んだ距離でもある」
レオルは勝ち誇った笑みを浮かべたが、銀二はそれでも掴んだ襟を放さなかった。
「……最初から俺は、死んでもおっさんとキスするつもりはないもんね」
「なに?」
ぴっと銀二が酒瓶から親指を離すと、中から勢いよく酒が噴出した。予想していなかったレオルは驚いた拍子に口を開いてしまった。そこへ、噴水のように噴出す酒が注ぎ込まれ、続けざまに銀二がその顎を下から頭突きでかちあげた。
「ぐあっ!?」
「油断したな! 中身はシャンパン、って言っても知らないだろうけど」
「っぐぅぅう――」
異物を飲み込み焦ったレオルは、体が熱くなっていくのを感じ、まずい、と取り乱した。
レオルを乗っ取っていた悪魔は、自分がその体から引き剥がされていくのを感じ、思わず自分の首を絞め、吐き出されるのを阻止しようともがいた。しかし、悪魔はレオルから吐き出されてしまった。
悪魔が抜け落ちて倒れたレオル本体は、顔を赤くしてその場に倒れると、途端に緊張の糸が切れたように盛大なおならをかました。
「してやったり」
銀二は笑むと、自分の腹に突き立った剣に手を添えて、その場に座り込んだ。
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