38 レオル王の悪魔
扉を開くと、鮮やかなレッドカーペットが玉座に向って一本伸びていた。
並んだ太い石柱には
一歩を踏み出すと、高級なレッドカーペットの柔らかい踏み心地が足の裏を伝わった。
銀二はアルコとヴィヴィに目配せすると、ゆっくりと進んで行った。この空間に足を踏み入れてからというもの、感じていた気配はすっかり消えていて、それがかえって不気味でもある。
「お、いたいた」
銀二は足を止め、玉座を見つめた。
玉座に深く腰掛ける王は、獅子の
銀二は彼の背後に目を凝らした。
玉座の背後には、三体の彫像があった。
槍を携えたポセイドンのような髭もじゃの男、弓矢を構える女性、両手にメイスを構えた大男など、誰もが今にも動き出しそうなポーズで、その頭に王冠を乗せていた。
彫像それぞれに、本物の武器を持たせたインテリアのようだった。
「……王冠?」銀二は目を眇めた。
「バリントン皇国に敗れた王達よ。石化魔法で石にされたって、あのハゲが言ってたでしょ」
あれが? と銀二は目を剥いた。
今にも動き出しそうに思えたはずだ。
彼等は生きた人間なのだ。
石化しているとはいえ、命がある。
「助けられんの?」と銀二が声を潜めると、「跡形もなく砕かれなければね」とヴィヴィは答えた。
レオルは玉座に腰掛けたまま、黒い髭に覆われた口を静かに開き、低い声で言った。
「ようこそ、バリントン皇国ヴィジラント城へ」
「あなたがレオル陛下ね」ヴィヴィが訊いた。
「いかにも」
「衛兵もつけないなんてずいぶん余裕じゃない。いつかの小悪魔は、それこそ城中の衛兵を集めて自分の身を守らせていたけど」
そう言うと、籠の中のケイパーは不満そうに唸り、レオルは小さく笑った。
「かの有名な魔法師ヴィアンカが島をうろついていることは耳にしていたのでね、雑兵を何人用意したところで意味がない。君の得意な魔法は精神支配だ。手駒が奪われては、元も子もない。それに私は元来孤独が好きで、人間をはべらせるのは趣味じゃない」
「すごい、ヴィヴィちゃん有名なんだ」アルコが驚いた。
「今精神支配とかいうすげえ物騒なフレーズが聞こえたけど、俺洗脳されてないよね?」銀二は聞いた。
「してないわよ。それと、有名なのは師匠の方」
それを訊いて、レオルは「意外だな」と目線を微かに持ち上げた。
「たしかに彼女の気配を感じたのだが、まさか弟子とは。時は人を変えるものだ。数百年前は、大陸でもその名を知らぬ者はいないほど恐れられ、弟子を取らないことでも有名だった。しかし、弟子の方となると多少は勝機も見えてくる」
レオルはゆったり立ち上がると、彫像の手にしていた槍を手に取った。
「ヴィヴィちゃん、師匠呼べないの? っていうか数百年前ってヴィヴィちゃんの師匠何歳なの!?」
「師匠は生きてるよ。けど気まぐれだし、私がピンチでもそうそう助けには来てくれない。気絶でもすれば別だろうけど」
「厳しいお師匠様だな」銀二は頭を掻いた。
「厳しくないと修行にならないってさ」
「でもヴィヴィちゃん、そのすげえ師匠の弟子なんだろ? じゃあ大丈夫じゃん」
「残念ながら、その魔法少女は君達の期待に応えることはできないだろう」
レオルが槍の柄で地面をコンと強く叩くと、この王の間へ繋がる扉という扉の全てが次々と閉ざされる音が響き渡った。
「この程度で私達の逃げ道を塞いだつもり? 言っておくけど、魔法でいつでも壁に穴なんて開けられるのよ? 私、精神支配はできなくても、転移魔法は得意なんだから」
「残念だがここで魔法は使えない。私はいつか正体を知られ、自分を消しに来る魔法師や悪魔祓いがやってくることを想定していた。だからこそ、この空間には幾重にも魔法封じがされている。どれだけ強力な魔法を使う魔法師でも、魔素のない空間では魔法は使えまい」
レオルがゆっくりと階段をおりてくると、銀二とアルコはその威圧感に怯んだ。
しかし、ヴィヴィは動揺することなく、むしろ頼もしい笑みを浮かべている。
「ヴィヴィちゃん、その不敵な笑み、何か考えがあるんだね?」
アルコが言うと、ヴィヴィは帽子の鍔をつまんで目深に被り、ふっと笑みながら肩を竦めた。
「……やられたわね、追い詰められたのは、私達の方ってわけ」
「え!?」
「ウソ、考えなしかよ!」
どうするの、と銀二はヴィヴィを見た。
しかし、魔法を封じられてしまった魔法使いは、ただの少女である。
ヴィヴィは下りてきたレオルを睨みながら、注意深く辺りに視線だけを走らせ、口を開いた。
「王子や王妃は? この城にいるの?」
「……人を殺すところなど見せたくはないのでね、この男の家族は別の塔だ」
「じょうずに正体を隠してるみたいね」
「これでも王になるのは三度目でね。野望の達成には多くの人間の助けが要る。道徳的である側面と、冷酷さの両立が支配者には必要だ。その点、この男は申し分ない。新たな野望の為に人の信用と理解を勝ち取るのには骨が折れたが、はねっかえりが犬のように健気に尽くしてくれるようになると、可愛くも思えて愛着も湧いた」
「ちょいちょい、話の腰折って悪いけど、あんたの目的は何なんだ?」
銀二が酒を煽って聞くと、レオルは髭を撫でた。
「強いて言うのであれば世界の統一だ。完全なる独裁によって、私が理想とする完璧な平和を実現する」
「完璧な平和?」
「誰もが支配者になろうとするから争いが起きる。だから、私が支配者になり、世界から争いをなくす」
完璧な平和を実現する為に悪魔に魂を売った人物の欠片、それが彼だ。
銀二は動揺したが、それでもそこに犠牲があることは変わらないと、レオルを見据えた。
「その為に争うのか? その為に巻き込まれる人たちはどうなるんだよ」
「それが私の選んだ道だ。私は時代に則した平和の実現をしようとしているのではない。あるのは支配者となり、理想的な世界を作り出すこと。矛盾しているように聞こえるだろうが、悪魔に魂を売るような人間の野望は、端から夢としては破綻している」
それがどんな時代であろうと、自分の存在が消滅するその時までその野望を追い続けるのが、レオルを支配した悪魔の本能だった。彼自身が言うように、時代に則しているかは問題ではない。宿主が寿命で死ねば、別の宿主を見つけてその野望を果たそうとする。果たせずとも、その野望に巻き込まれた人々は犠牲になる。つまり、彼の野望は永遠に誰かを犠牲にし続ける。何人犠牲にしようと進み続けるからこそ、悪魔の所業なのだ。
「悪魔のクセに、いやになるくらい人間ね」
ヴィヴィが皮肉っぽく言うと、レオルは槍の感触を確かめるように一振りした。
「何度も王になるうちに私も学び、人間により近い振る舞いができるようになった。とはいえ、学習したところで、野望を諦めるという賢い選択は私たちにはできないがね。野望や夢こそが悪魔の心臓だ。さあ、それでははじめよう、君達も私の野望の生贄になってくれたまえ」
「言っておくけど、あんたをその体から引き剥がす方法はまだあるのよ?」
「それは興味深い。しかし聖水なら、この男にかけても無駄だ」
「ここにいるギンジが、あんたをそこから引きずり出す」
ヴィヴィが言うと、レオルは銀二を観察するように見つめ、小首をかしげた。
「……何も感じないが」
「ちょ、ちょっと待った! 俺になにさせるつもりだ!? 最初に聞いてたのと話がだいぶ変わってると思うんだけど」
「もうギンジ頼みってことよ、
「そんな、頼むって! こんなレベル99のボスキャラ相手じゃ、俺なんて村を出たばっかのせいぜいレベル5の村人だぞ! せめてアジャ達が来るまで時間稼いだりできないのか?」
「それでも最強の武器は持ってるじゃない」
「お酒は武器じゃないぞ」
「人は、準備が整っていようとなかろうと、持ってる全部で戦うしかないのよ。今がその時よ」
その時、ゴングのように
太い音、細い音、ラッパのような高い音、幾重にも重なる音が、長く長く続いた。
「な、なんの音?」
「進軍の狼煙だ」レオルが言った。
「軍を動かしたの?」
レオルは笑みで応えると、足を広げて腰を落とし、槍を構えた。
「さあ、覚悟はいいかな?」
「ちくしょう、やるしかねえなこりゃ」
銀二はケイパーの鳥かごをヴィヴィに投げ渡すと、酒瓶と短剣を構え、アルコに下がれと声を張った。
「ギンジ! 一人でやる気なの!?」
「大丈夫だ! 今日の俺は、昨日の俺より強いから!」
気迫だけでも負けて堪るかと勇むと、レオルが槍を肩に担ぐように構え、突進してきた。
銀二の足は動かなかった。
それでもその両目は、レオルの槍の軌道を捉えていた。
銀二は思う。
今日の俺が昨日の俺より強かろうと、この王様には敵わない。
けれど、今この場で戦争を止めることができるのは、王から悪魔を祓えるのは自分しかいないのだ。
酔え、自分にはできると。自分に酔え、と銀二は胸の中で唱え続けた。
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