35 魔法使いご一行

 部屋はどうやら二階の一番奥にあったようで、階段でロビーへ下りると、すぐに宿主の男に止められた。


「魔法使いのお客さん、宿代も払わず何日も留守にされちゃ困りますよ、扉も開かなくされちゃって、掃除ができないって上さんにめちゃくちゃ怒られちゃいましたっ――て……あれ、いつ増えたので?」


 宿主は銀二たちを見て戸惑った。部屋を借りた時はヴィヴィ一人、出る時は部屋の扉に魔法で鍵がされてどうにも出来ず、いつ帰ってきたのかと思えばローブ姿の知らない客が四人も増えている。「これがあるから魔法使いのお客さんは困るんですよ」と宿主は嘆息した。


「アルコ、ポケットのお金貸して」


 ヴィヴィがアルコのポケットから金を奪い、宿主に渡した。


「これで足りる?」

「ああ、えっと、ええじゅうぶんですが、ちょっと臭いますね」宿主は金の汚臭に眉を顰めた。

「その子、体洗ってないから」ヴィヴィが言った。

「水浴びしたよ三日前に! それと臭いのは私じゃなくて服!」

 アルコの訂正に意味があるのかどうかわからないが、宿主は納得して金を納めた。

「滞在を続けるなら、お部屋はそのままにしておきますが、いかがします?」

「念のため、後二、三日とっておいて。それよりどう? 国は随分騒がしいみたいだけど」

「そりゃ、戦争が始まるってんですから大変ですよ。客足も遠のいちゃって、泊ってるのはお客さんだけですわ」


 宿主はカウンターに戻り、折り畳まれた薄い新聞を「どうぞ」と差し出した。

 アルコがそれを受け取り、「戦争だ! って書いてる」とわかりやすく伝えると、宿主は首を振った。


「まったく、たまったもんじゃないですよ。いまどき戦争なんて、レスキア島はそういうのから一番縁遠いと思ってここで商売始めたのにね」

「じきに戻るわよ。今回の戦争だって、何かの間違いで起きたようなものだし」

「だといいですけどね、外出たらびっくりしますよ、空には飛行船まで浮いてて、今にも戦争が始まりそうな雰囲気だ」

「おじさんは逃げないの?」


 アルコが訊くと、店主はカウンターに肘を突いて、咥えたパイプに火を入れ、紫煙をくゆらせた。


「これは勝ち戦だ。新聞で言っていることも大げさじゃない。レスキア島の国々を、皇国は次から次へと支配してる。だから、この国じゃ逃げるやつなんていない。それどころか、戦争に勝つ度、ここに暮らしている兵士ですらない奴らでさえ、自分達が偉いと勘違いし始めた」

「戦勝国ってのはそういうもんでしょ。戦争の理由も中身もどうあれ、勝ってる側にいるのは気分いいのよ」

「そうかもしれないですがね、やはり勝つとわかってても気分はよくない。争う必要のない世界に、わざわざ火種を作って無抵抗の相手を力で捻じ伏せ、支配して。こんなことを続けてたら、いつか大きなしっぺ返しが来る」


 物憂げにパイプを吹かす宿主のオヤジに、銀二は腰に提げていた水筒の一つを渡した。


「よかったらどうぞ」

「なんだいこりゃ」

「ここらじゃ珍しい酒って飲み物で、ちょっと気分が良くなる水みたいな。味にはちょっとクセがあるけど、毒ってわけじゃない。けど、気分が悪くなるようなら飲むのは控えてくださいね」

「飲むと気分がよくなるのに、悪くなる可能性もあるのかい? ナゾナゾかい?」

「こればっかりは人によるんで」


 中身は赤ワインで、宿主はコルクを抜いて匂いだけ確かめると、悪くない、と眉を上げた。


「……後でゆっくり頂くよ。ありがとう」

「おい、そろそろ行くぞ」ジャスティが声を張る。

「こんな時間からお出かけで? 店はどこも閉まってますよ」宿主は言った。

「王様に、戦争やめませんかって相談に行くのよ」

「そいつはいい」


 冗談でもね、と宿主は笑って、銀二たちを見送った。


 銀二たちは宿を出て、辺りを見回した。

 比較的高い土地に建てられた宿からは、国を囲う壁の向こうに灯る焚き火の光が無数に瞬くのが見えた。まるで地上の星明りだ。恐らく、開戦に備えて軍が陣を配置し、行軍の為の準備を整えているようだ。それに比べて町は静かで、どこの家にも生活の光が灯っている。

 あまりの静けさに、これが戦争を控えた国なのかと、銀二は不思議そうに眺めた。


「ねえ、みんな見て! 空にでっかい船が飛んでる!」


 アルコが指差した夜空を見上げれば、赤い月を背にして二隻の巨大な帆船が浮かんでいた。

 それは帆を張って風を受けて海を進む帆船そのもので、船体からはオールが伸び、錨が地上に向けて下ろされていた。地上からライトアップされて、風船のように宙を漂っている。


「飛行船ってあれ? なんか、デパートのセールとかで浮かんでる風船みたいだな」


 銀二ははあ、っと感嘆した。


「あんなものまで大陸から持ち込むとは、レオル陛下を乗っ取った悪魔は相当な野心があるようだな」

「ケイパー、気配は?」

「お前ら感じないのかよ。城全体からバンバン溢れ出てるだろ」

「城ね」


 飛行船から視線を下げていくと、巨大な塔が並ぶ城が聳えている。ブランカの城よりも、厚みも広さも高さも三倍はありそうで、その中から王様を見つけるとなると、なかなか骨が折れそうだ。


「戦争は手先に任せ、自分は高みの見物か。気に入らん」

「でも好都合でしょ。あれだけ準備を進めてるなら、城はガラガラで、王の守りも薄いかもしれない。城までの道はわかる?」

「私が幾度かキルギス陛下と共に入城したことがある。ついてこい」


 ジャスティが勇んで先頭に立ち、城へと向った。

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