第十一酒席 たった一滴、されど一滴
34 ゲートの向こうと小悪魔ケイパー
皇国潜入の為に全員が灰色のフード付きローブを纏い、ヴィヴィの案内でゲートの入口へと向った。
「……ここ通るの?」
バリントン皇国へと繋がるゲートは、下水路の奥にあった。
格子の嵌められた入口からは水路の様子はわからないが、ネズミが鳴き、酔っ払ったおっさんがゲロを吐いたような鼻を突き刺す纏わりつくような汚臭が漂い、思わず吐いてしまいそうになった。銀二はひりひりと痛む目を擦りながら、「うぉ、うぃおっ」と何度も嗚咽を
「っくふぅ――サンダルで来るんじゃなかったな」
「――うごぇぇええええ、ぇえ」
アルコは堪えきれず、下水にぼちゃぼちゃと嘔吐した。
アジャが「汚いな」と笑いながら、嵌められた格子を外し、「まるでドブネズミだな」と牙を見せた。
「おいヴィヴィ、貴様こんな通路を通って来たのか?」ジャスティはヴィヴィを睨んだ。
「なによ、安全でしょ?」
ヴィヴィは鼻を鳴らすと、杖をくるくるんっと回し、ぴっと振った。
杖の先端からぽうっと光る玉が現れた。小さくも明るく暖かい輝きを放ち、綿のようにふよふよと漂いながら、一行の行き先を照らした。光に照らされた下水路の水はどす黒く、泡立ち、何かの死骸が浮いていて、壁には脈打つ肉塊まで張り付いていた。
「ヴィヴィちゃん、こんなところ通ったら病気になっちゃうよ」
「大丈夫よ、今あんた達にも結界張ってあげるから」
「結界?」
見ると、下水にばっちり足が浸かっているはずのヴィヴィの足はまったく濡れていない。それどころか、球体のバリアに守られているように、水がその一帯を避けていた。「なんで自分だけ」と銀二が
すると、他の四人にも結界が張られた。目には見えないし、触れることもできないが、足元を見ると、水が避け、下水の底にしっかりと足がついてるのがわかる。しかも、脱臭効果付きだ。
「もっと早くやってくれりゃよかったのに、アルコちゃん吐いちゃったじゃん」
「ごめんごめん、まさか吐くとは思わなかったからさ」
ヴィヴィが言うと、アルコは鼻を啜り、口をぐいっと拭った。
「私さ、山育ちで鼻がいいんだ。きっつい匂いは父ちゃん嗅ぎ慣れてるから平気なほうなんだけど」
「アルコちゃんほら、水でお口ゆすぎな」
銀二が水筒を渡すと、アルコはそれを口に含み、くちゅくちゅしてからぺっとした。
「ギンジ、これお酒だよ、ちょっと辛い」
「あれ……? ヤダ俺ったら、ごめん、注いだ時にうっかり変えちゃってたのかも」
銀二は水筒の匂いを確かめ、「これ八海山だ。新潟のお酒だよ、ちょっとアルコちゃんには辛いね」と解説した。
「……でも前より嫌な感じしない」アルコはへらっと笑った。
「そいつはよかった、酒呑みとして進化してしまったね」銀二も笑顔で応えた。
「おい、いい加減にしろよお前たち、今がどんな時かわかってるのか? サケの話はいいから先へ進め」
ジャスティが言うと、「じゃ、行くわよ」とヴィヴィは光を追うように踵を鳴らして下水路を進んだ。
入り組む下水路の道を迷わず進んで行く道中、アルコは「お金落ちてる」と銀貨や金貨を拾い集めた。
「見てギンジ、お金が落ちてるよ」
「よく見ると結構あるね。でもあんま触んない方がいいよ、病気になるって」
「レベッカさんの所に行く時お金いるでしょ?」
「たしかに。でも下水で拾った金を使うの、ちょっと気が引けるな」
「お金はお金だよ」アルコは言うと、自分の衣服で汚れを拭い、小さなポケットに硬貨を突っ込んだ。
「下水路にはそういうの集めるハンターがいるって聞くわ。底をさらって、金や銀食器なんかを集めるわけ」
「そんな職業あるんだ」
「まあ、長生きはできないらしいけど」
この環境ならそうだわな、と銀二は頭を掻いた。
しかし、色んな仕事があるものだ。
「着いたわよ」ヴィヴィが足を止めた。
光が照らす下水路の壁面に、まるで住宅にあるような木製の扉があった。
「……ゲートってこれ?」
「皇国で私が泊まった宿に繋がってる」
「じゃあこれ、宿の扉ってこと?」
「私の泊まってた部屋のなかにあったトイレの扉」
開けなさいよ、とヴィヴィが目線で
銀二は酒瓶を持ち変えると、ドアノブを掴み、ゆっくりと扉をあけた。
きぃと鳴った扉の向こうには、木の板が嵌め込まれた床と、大きなベッド、小さな棚と、外の月明かりが差し込む窓があった。銀二はそっと扉を閉じて、目を擦った。
「なんで閉めるのよ」ヴィヴィが眉を顰めた。
「いや、夢かと思ってつい」
「わかる、なんか変な感じしたよね、この扉の向こうに部屋があるんだもん」
「だよね?」
「いいから開けなさい。またジャスティの眉がピクピクし始めるわよ」
見ると、ジャスティの眉は既にピクピクし始めていた。
銀二は叱られる前に扉を開け、今度は
ジャスティやアジャ、アルコも転移魔法で作られた通路をくぐるのは初めてだったようで、部屋に入ると辺りを見回し、そこにある物が幻覚でないことを確かめるように家具に触れ、窓から外を覗いた。
そこから見える景色は、バリントン皇国の城下町だった。
景色にそれほど違いがあるわけではないので、アジャやアルコ、銀二にはその違いはよくわからない。
しかし、景色に見慣れているジャスティは、はっきりとここが皇国であると理解していた。
「……たいした魔法だな」
「そう。だからこの魔法は、魔法界じゃ好き勝手に使っちゃいけない決まりになっていて、繋ぐ時は色々と手続きを踏まないといけないわけ。そもそも、ゲートを繋げる魔法師が少ないってのもあるけど」
「……ちょっと待て、禁止されているのか?」
「だからゲートを通ってきたなんて
「とんだ魔法使いがいたものだな。ユリウスさんがお前と知り合いだなんて信じられん」
「ユリウスと私は別に知り合いじゃない。ユリウスの友人と、私が繋がっていただけ。それよりどうする? 一休みしていく?」
ヴィヴィの視線の先で、アルコはベッドに寝転がり、銀二はアジャと椅子に腰掛け、酒を酌み交わしていた。「ギンジ、オニコロシだ」「どうぞどうぞ」
「おいお前たちくつろぐな、サケを飲むな! すぐにレオル陛下の元へ向うぞ、まったく」
そう言ってジャスティは先陣を切ったが、部屋の扉のノブを掴み、「王の居場所は」と振り返った。
「じゃ、ここから先はこいつの出番ね」
ヴィヴィは脱いだ帽子の中に手を突っ込み、そこから銀の鳥かごを引き出した。
凄い、手品みたい。と思ったが、これも魔法なのだろう。
「その帽子喋ったりする?」
銀二が面白がって訊くと、「喋るわよ、うるさいから口を縫い付けてあるけど」とヴィヴィは答えた。
銀二はそれを訊いて強く興味を惹かれた。
「それ、組み分け帽子ってこと?」
「何よそれ、喋る帽子なんて珍しくもないじゃない」
「へえ、ちょっと喋らせてみてよ」銀二はヴィヴィにお願いした。
「あんた子供ね。後にしなさいよ、今はやることあるでしょ?」
「いや、喋る帽子とか実際にあるとテンション上がるよ。それ、どこに売ってんの?」
「……そんなに欲しいなら、あげるわよ」ヴィヴィは若干引いた。
「え、いいの?」
「この仕事が片付いたらね。だから、それまでは大人しく私の言うこと聞いて」
「わかった」
やったね、と銀二が子供のように喜ぶと、アルコも「よかったね」と微笑んで返した。
かの有名なファンタジー小説に出てきたような喋る帽子がもらえるなんて、この世界に来て初めて酒以外に欲しいと思えるものが出来た。しかも、もらえることが決定していて、最高であった。
「おい貴様らいい加減にしろ、いちいち脱線しないと前に進めないのか?」
ジャスティに叱られて、銀二は「ごめんごめん」と両手を挙げた。
「じゃ、話を進めましょ」
ヴィヴィは鳥かごを宙に置くように手を離した。
すると鳥かごは落下せず、宙を漂ったまま左右に大きく振られた。
中で揺すられた悪魔が目を覚ます。
「相変わらず起こし方が乱暴だなぁ」
「文句言わない。仕事よ、ケイパー」
「ケイパー?」銀二は眉を上げた。
「いつまでも悪魔じゃ不便だから名前を付けてあげたのよ」
「ケイパーってどういう意味?」
「
「なるほど悪戯小僧ってか、よろしくケイパー」
銀二がコンと鳥かごを突くと、ケイパーは露骨に溜息を吐き、辺りを見回すような仕草を見せた。
「この国の王様を乗っ取った悪魔の気配を探ればいいのか?」
「そう、前に言ったとおり。わかるでしょ?」
「外に出てよ、ここは強い魔力に干渉されてて気配が探りにくい」
「強い魔力?」
「ゲートのことよ、いいわ、出ましょ。ギンジ、ケイパーのカゴよろしく」
はいはい、と銀二は浮かんでいたカゴの取っ手を掴んだ。
すると、カゴを持ち上げていた力がフッと抜けて、ぐっと重さが伝わってきた。
「落とさないでくれよ? あとあんまり揺らさないでくれよ? 気持ち悪くなる」
「気をつけるけど、揺れはちょっと我慢してくれ」
「どうしてだよ、お前真っ直ぐ歩けないのか?」
「俺、酔ってるから。たぶん揺れてても気付かないんだ」
「じゃあ私が持とうか? う?」
アルコが言うと、ケイパーは暫く間を空けて、「いやいい」と断った。
「なんで断ったんだ?」銀二はひそひそ声で聞いた。
「なんか振り回されそうな気がした」
小声で返したケイパーの声が思いのほかくすぐったくて、銀二は小さく笑った。
ほら行くぞ、とジャスティに呼ばれ、銀二は右手にカゴを、左手に酒瓶を携え、後に続いた。
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