32 みんな飲みすぎ

「私やユリウスさんが同席できないとはどういうことだ」ジャスティが言った。

「あのハゲから色々聞きだすんだから、あんたがいると、うまくいかないのよ」

「陛下や王妃にまで席を外させておいて、誰が姫を守るというんだ」

「アジャと私がいる。とにかく、あんた達は邪魔なの」


 ヴィヴィはユリウスとジャスティを追い払った。

 供応の為の食堂には、国にあるだけの馳走が用意され、水瓶もこれでもかという程用意されていた。

 銀二はあらかじめ、水瓶の中身を酒に変えておくようにヴィヴィから指示されていたので、カルアミルクとオニコロシ、ビールに、赤ワインやスミノフ(ウォッカ)に変えておいた。バーボンやジン、ウィスキーも用意したい所だが、出し惜しみしろと彼女から言われている。

 銀二の隣にはクラーラ姫と、ヴィヴィ、給仕係りに選ばれたアルコとアジャは、間に合わせのメイド服姿で立っていた。アルコはともかく、アジャのメイド姿はかなりインパクトがある。


「武闘派メイドって感じだけど、よくサイズがあったな」

「そんなの魔法でちょちょいのちょいよ」


 なるほどね、と銀二は酒瓶の魔王をグラスに注ぎ、乾杯もせずに口をつけた。

 向かい側の席には使者――アロウと、十名の護衛が腰を下ろした。

 酒を使って使者から情報を引き出すのが狙いのようだが、「酒は自白剤じゃない。皆おしゃべりになるわけじゃないぞ」と銀二は小声で断っておいた。


「あんたはとにかくあいつにサケを飲ませて、私も飲むから」ヴィヴィは言った。

「ちょっと待った」銀二は指を立てた。

「なに」

「ヴィヴィちゃんって歳いくつ? 十五歳とかじゃないよね?」

「それどういう意味? 私は二十歳よ」

「うっそ、アルコちゃんより年上なの?」


 驚いた銀二の頭を、ヴィヴィは杖でゴンと叩き、「ほら、早くもてなしなさい」と顎をしゃくった。


「どうなっても知らないからな」


 銀二は喉を鳴らすと、「あー、アロウさんは甘いのと辛いのどっちがお好みで?」と訊いた。

「どちらでも構いません」アロウは言った。

「じゃあ、お馴染みカルアミルクから」


 銀二が言うと、アルコがカルアミルクの瓶から酒を掬い、それを恐る恐るアロウの席に置いた。

 アジャも給仕を手伝ったが、その所作は乱暴で、出した酒はグラスからこぼれた。護衛の男達が、「もっと女らしく振舞えないのか、こっちは客だぞ」と文句を言うと、「頭を握り潰しましょうカ、ご主人様」とアジャは牙を見せ、拳を握りこんだ。男たちはおっかなくなって、口を閉じた。

 アロウは片目を眇めてグラスを覗き込み、口を曲げた。


「実に香しいですが、頂く前に、いいですかな?」誰か毒見をするように促した。

「私にお任せください」


 すると、クラーラ姫自ら立ち上がり、アロウの手からグラスを受け取って、注がれたカルアミルクを一口飲み、毒見をした。本来なら、毒見を姫にさせるなんてありえないし、それを容認することもない。この場はこの場で戦場と同じだった。王と王妃、ジャスティやユリウスに席を外させたのは、それが非常識であることで、こうなることも予想していてのことだった。

 クラーラはほっと息を吐くと、温かくなった胸の辺りに手を添えてグラスを返した。


「とても美味しい飲み物です。どうぞ、アロウ様」

「姫に毒見をしていただけるとは、後にも先にも私だけだろうと考えると、とても光栄です」


 アロウは笑みを浮かべると、グラスを傾けて口をつけ、「おお」と目を丸くした。


「アルコさん、私にも同じ物をいただけますか?」

「そりゃ――」


 いいの? とアルコが見ると、銀二は「いいんじゃない?」と戸惑い気味に答えた。

 アルコは席へ戻った姫の元にカルアミルクを置いた。クラーラはそれに口をつけ、「もう一杯」とおかわりを催促し続けた。銀二は嫌な予感がしつつも、接待を続けた。見れば、アロウ一行も酒のとりこ、料理を汚らしく食べ散らかしては、酒で顔を真っ赤にしていた。


「はっは、いやいや、何もないのに、笑えてくる」

「楽しそうで何より」

「ええ、とても愉快ですとも。なんといっても、キルギス陛下の愚かさと言ったら、思い出すだけでも笑えてくる。おっと、姫の前でこれは、失礼しました」


 笑いを堪えながら、アロウは摘んだ肉を酒で流し込んだ。


「愚かってーと? どの辺が?」銀二は訊いた。

「少し考えればわかるでしょう。バリントン皇国はここ数年で、このレスキア島最強の国となったのです。逆らってどうなるというのですか、大人しく言うことを聞けば、悪いようにはされないと言っているのに」

「レスキア島のー、他の国は?」

「皆、一度は抵抗の意思を見せましたがね、戦力差を目の前に降伏しましたよ。とはいえ、逆らった王を見逃すわけには参りません。見せしめに――」

「殺したのか?」

「石化魔法で石になりましたよ。一度は逆らったのですから、報いは受けなければ」


 そうでしょう、とアロウがグラスを掲げて笑むと、隣で頬を赤く染めていたクラーラが、口を開いた。


「皇国の王、レオル陛下は、父と同じく平和を愛する慈悲深い心の持ち主だと、母から聞いています。突然戦争なんて、私は信じられません」

「たしかに慈悲深い方です。しかし、野心に目覚めた。私は、今の陛下の方が仕えていてとても誇らしいし、とても充実している」

「争いを望む王に仕えるのが、誇らしいと仰るのですか?」

「王とは本来、その力を誇示するもの。欲しいものを手に入れ、さらなる力を求めて万進していく。その権利を生まれながらにして持つ、選ばれし存在」


 悪魔に憑かれてからの王に、アロウは心酔しているようだった。


「仮に、レスキア島を統一して大陸へ侵出したとしましょう、しかし、その先は?」

「先?」

「大陸へ進み、その先に何を見ているのです」

「さぁ、そこまでは。あの方の野心は、この島程度には収まらないのでしょう」


 はからずとも情報を聞き出すクラーラ姫を他所に、ヴィヴィは既にアルコールにやられてテーブルに突っ伏していた。気付けば、アロウの警護の半分も寝落ち寸前で、数人はトイレに行ったまま帰ってきていない。アジャはというと、水瓶に溜めたオニコロシを独り占めしていて、正気なのはアルコとクラーラ、銀二だけだった。


「バリントン皇国の兵隊って、いっぱいいるの?」


 アルコが訊くと、愚問だとアロウは笑い、饒舌に語り出した。


「そりゃ、ブランカをはるかに凌ぎますとも。兵力は百万を越え、私はその指揮すら任された! これは秘密ですが、飛行船も二隻、戦車も百両、海の外から手に入れた。手錬れの魔法師も百人はいる! もはや敵なしの状態ですわこれ! 逆らう方がどうかしている!」

「あなたは戦争を、楽しんでいるのですね」


 クラーラの目が据わると、アロウはテーブルをバシバシ叩き、声を張り上げた。


「なにが平和だ! なにが愛だ! 力がある者が世界を自由に出来るのだ! 私は王に仕え、最強の軍を従えて、王に逆らう者を排除し続ける! 覚悟しろよ! 国に戻った暁には、貴様ら全員、秘密裏に殺してやるからな!」


 テンションの上がったアロウは全部喋った。

 お酒は自白剤ではないのだが、アロウは気が大きくなって、お喋りになってしまうようだ。


「酒の力ってのは怖いね」


 銀二が小さく首を振ると、ブチン、と誰かの堪忍袋の緒が切れる音がした。

 見れば、目が据わっていたクラーラ姫の可愛い顔に青筋が走っていた。


「黙って聞いていらっしゃれば、てめぇこの……タコ、ハゲッ!」

「ひ、姫様?」


 姫はテーブルに立つと、料理を蹴散らしてズンズン進み、そのままアロウに掴みかかった。


「な、何をする!」


 抵抗しようとしたアロウに、馬乗りになったクラーラは、そのハゲ頭を拳で殴打した。


「このやろう! 調子に乗ってんじゃねえ! てめえの力でもなんでもねえくせに、偉そうに上から物言ってんじゃ、ございませんことよ! だいたい、あんたが笑う平和な暮らしを手に入れるために、いったいどれだけの母や父、子供達の血と涙が流れ、悲しい歴史が繰り返されてきたか、知らないとは言わせませんわよ、このハゲ! それを面白半分に、あんたの小さな小さなプライドの為に荒らされてたまるかってんですわ!」

「――っくぅ! このじゃじゃ馬め! お前たち、何をしてる! この娘を捕らえろ!」

「アルコちゃん! ジャスティたち呼んで来て! アジャ! 笑ってないでお姫様止めろ!」


 アルコは「ジャスティー!」と食堂を飛び出していった。

 アジャはゲラゲラ笑うだけで、止める様子はまったくない。

 アロウは姫様を蹴飛ばすと、「私が魔法師だということを忘れたか!」と凄んだ。

 銀二は助けを求めるようにヴィヴィを見たが、まったく目覚める気配がない。


「マジかよもう」


 銀二は魔王の酒瓶を手に取ると、千鳥足でテーブルの上を駆け、蹴飛ばされたお姫様の元へ急いだ。

 尻餅をついた姫様を抱えると、クラーラは恨めしそうにアロウを睨みつけた。


「あのハゲ、私を足蹴にっ――!」

「おいやめろ、おっさん! お酒の勢いだから、お互いさ! ね、お姫様も、飲みすぎ!」


 銀二は両者を鎮め様としたが、止まりそうにない。


「今更、引き下がれるか! 貴様ら全員、ここでお終いだ! 食らえ! 滅びのほのぉぉぉ――!」


 アロウに両手を向けられ、銀二はぎゅっと目を閉じて、姫様を庇うように丸まった。

 が、一向に「滅びの炎」とかいう魔法は襲ってこない。

 恐る恐る見れば、アロウ自身もなぜ魔法が使えないのかと、自分の両手を凝視していた。アロウはもう一度両手を銀二たちに向け、「滅びのほのぉぉぉっ!」と叫んだ。が、やはり魔法は発動しない。


「な、なぜ魔法が使えない。貴様ら、盛ったなぁ!」

「だから盛ってねぇって!」


 銀二は手にした酒瓶で、アロウの頭をスコーンと殴った。

 アロウは気絶し、その場で卒倒した。

 騒ぎに気付いてはっとした護衛たちも、しかし酔っ払っていた。

 立っては転び、壁に頭を打って気絶、気絶、気絶――。


「みんな飲みすぎだ」


 銀二は言って、テーブルにあったグラスの赤ワインを口に含んだ。

 ジャスティたちが駆けつけた時、そこにあった光景は、役立たずのアジャの代わりに、姫を守って護衛とアロウを一人で倒した酔っ払いの銀二の姿だった。


「ギンジ、お前」ジャスティは唖然とした。

「……俺のせいじゃないぞ」

「よく、姫を守ってくれた」溜息混じりに、ジャスティは言った。

「あぁんギンジ様、とっても素敵でしたわ。さすがは父上を救った英雄です」


 クラーラ姫がうっとりした表情で銀二の胸に飛び込んだが、銀二は彼女が恐ろしくて仕方なかった。

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