29 また来たいと思うから

「ダッハッハッハ! もう一回勝負してくれよ!」


 酔っ払った客達で腕相撲大会が始まり、アジャがそのパワフルさで何人も同時に相手をして吹き飛ばした。テーブルも椅子もひっくり返り、銀二もアルコも手を叩いて笑った。

 見物客まで増えて、店は大変である。

 暗い雰囲気だった店に笑い声が絶えなくなると、調理を終えてキッチンから戻ったレベッカが「なんだいこりゃ」と固まった。


「レベッカさんもどうだい! この酒とかいう飲み物、魔法使いの兄ちゃんが飲ませてくれたんだけどよ! めちゃくちゃ美味いんだよ! 気分も良くなるし! 明るい気持ちになる! 歌を歌いたいのなんて久しぶりだ!」


 そう言った男の脇で、ゲロゲロと吐いている客もいて、レベッカは困惑した。


「と、とにかくあんまり店を汚すんじゃないよ。それとほら、飯だよ」


 カウンターに肉と野菜をパンで挟んだハンバーガーのような料理が置かれた。見た目はハンバーガーっぽいが、肉汁の滴るステーキを、野菜とでかいパンで挟んだもので、掴める大きさではなかった。


「レベッカさん、ナイフとフォーク、もらえます?」

「ほら」


 レベッカが乱暴に置いたそれを手にとり、食べやすいサイズにカットしながら頬張っていると、アジャはそれを両手で押しつぶして一口で頬張った。「すっげえ食い方」と銀二が笑うと、「もっと持ってこい! これじゃ足りないぞ」とアジャは追加注文した。

 レベッカは待ってな、と言った後、「あんた、魔法使いなのかい?」と銀二を見た。


「え? 違いますよ。魔法みたいな力は持ってますけど、魔法使いじゃないです」

「そうかい……いったい何をしたんだい?」

「レベッカさんは、甘いのと辛いの、どっちが好みですか?」

「急になんだい? そうだね、甘いほうが好きだけど」


 それを訊いて、銀二は傍にあった水のジョッキに指をつけて、お試しのカルアミルクを作った。


「水の色が変わった」

「どうぞ、一献いっこん。毒は入ってませんよ」

「なんか怖いね……」


 レベッカは警戒して口をつけるのを躊躇った。それも仕方のないことで、水を変質させるのも異様であるし、恐らくそれを口にした客達が、見たこともない程浮かれているのだ、警戒しないわけがない。けれど、その陽気な姿を見ているうちに、レベッカは覚悟を決めて一口含み、すぐにコクコクとカルアミルクを飲み干した。


「――っはあ。これ、本当に飲み物なのかい?」


 ほっと息を吐いたレベッカが、信じられないと目を丸くした。


「他にも色々作れますけど、とりあえずお試しは甘口って決めてるんです。こっちの世界じゃ、酒はなかなか珍しいようで。辛口だとびっくりされちゃうんで」

「こんな飲み物、飲んだことないよ」

「美味しいですか?」

「そうだね。美味いよ。でもなんだろうね、ちょっと体が火照ほてる」


 暑いね、とレベッカはよれた襟を引っ張って、手をパタパタと振った。気が強い割に、酒はあまり強くないようだが、下戸ではない。少し頬に赤みがさすと、やたら色っぽいので銀二はドキドキした。


「それにしても、いつ振りだろうね、こんなにみんなが浮かれているのは」

「……そうなんですか?」


 銀二は酒のおかわりをみんなに提供しながら、レベッカと少し、話をした。


「昔はね、まだこの町にも活気はあった。そりゃ、生きていくんだから苦労だってするけどさ、それでも皆、それなりに生き甲斐を持って生きてたもんさ。それがね、王様が変わっちまって、人も離れて、今じゃこの国に残っているのは、外の世界を知らない、この国しか生きる場所を知らない奴だけになっちまった」


「この国しか、生きる場所を知らない」銀二は反芻はんすうし、酒を口につけた。


「この国が滅びるかもしれないって出て行った奴らもいるけどね、元気にしてればいいけど。それ以上に、知らない世界へ出て行くのは怖いのさ。かといって、しがみついていても、いずれはどうにもできなくなっちまうのかもしれない。あたしらみたいな庶民は、生き方なんてそう選べる身分でもないのさ」

「戦争が始まったら、レベッカさんはどうするんですか?」

「さあ、あたしにはここで料理を作ることしかできないからね。戦争が始まっても、食いに来る客がいるなら、店を続けるよ」


 銀二は酒瓶に注ぎ足した魔王をジョッキに移し、ちびっと口につけた。

 ここで酒に浮かれ、陽気に笑っている人たちは皆、行き場を失っている。

 国が衰退しているとわかっていても、今更、外国で生きていく気力も、勇気もない。

 歳をとれば仕事も少ないというのは、前の世界も、この世界も同じなのだ。

 生まれた国が悪いのか、時代が悪いのか、なんにしても、人は生まれてきたことをなかったことには出来ず、生きている以上は、その命が尽きる瞬間まで、もがくしかない。


「生きるってのは大変だね、どこの世界も」

「そうともさぁ、うっぷ」


 銀二の隣に、くたびれた男が腰をおろした。顔は真っ赤で、ジョッキにはぬるくなったビールが残っている。男はそれを飲み干すと、ジョッキを叩きつけるように置いて、悲しそうに顔を伏せた。


「俺の息子も、今度の戦争で英雄になるとか言い出して兵隊に志願しちまったし、かかあは怖えし腰はいてぇしで最悪だ」

「兵隊に志願?」

「ああ、みんなが皆そうじゃないが、徴兵されれば、俺達だって戦場へ行くことになる。こんなおいぼれ、戦力になんてなるはずもないし、無駄死にするのは目に見えてる。それでもこの国に残るってことは、遅かれ早かれ、皆武器を持たされ、戦わされるってこった」

「戦わないヤツに居場所は守れない! 常識だ!」


 常識はずれなアジャが口を拭い、ジョッキをカウンターに叩きつけた。


「ごもっともだな、けどよ、負けるってわかってて、戦う意味があるのかねえ」男はうなだれた。


「国からは、出ないの?」

「どこへ行けばいい? 行く場所なんてないさ。皇国に行ったとしても、結果は同じ。この国と戦う為の戦力にされるに決まってる」

「そんなの、行ってみなきゃわかんないじゃないっすか」

「わかるさ。自国の人間より、他所から寝返ってきた奴らを前線に置いて、壁にする。どうせ同じなら、まあ生まれ育った国のために戦う方が、いくらかマシかな。ガキの頃は、戦場で死ぬなんて想像もしてなかったけどよ。人生、どうなるかは、生きてみなけりゃわからないもんだ」


 バリントン皇国は、ブランカの北に位置する山脈を越えた先にあるが、その山を越えるだけでも一苦労だ。山には凶暴な獣も生息しているそうで、一般人がろくな装備なしに越えることはできない。それは攻めて来る敵からしても同じことで、山越えには時間がかかる。だが、簡単には踏み切ってこないというだけで、準備さえ整えば、山を削って攻めて来ると予想できた。


「兄さんはこの国の生まれじゃないだろ」

「わかります?」

「着てる服、見たことないからな。旅人か、冒険家か? いや、それにしちゃ貧相な装備だ。なんにしても、巻き込まれる前にこの国を離れたほうがいいぞ」

「そうっすねえ」


 銀二は酒を飲み干すと、ゆったりと席を立ち、酒瓶を手に取った。


「お、行くのかギンジ」アジャが言った。

「ちょっと風に当たろうと思って」

「ちょいと待ちなあんたら、金払っていきなよ」


 レベッカに言われて、銀二はポケットを探り、そういや金持ってないなと固まった。


「アジャ、金持ってる?」

「ガッハッハ! 持ってるわけないだロ」アジャは真顔で言った。

「いー、めっちゃうんこ出たあ」アルコが戻ってきた。

「アルコちゃん、うんこはやめなさいよ。っていうかお金持ってる?」

「ええ? 持ってないよぉ。お金なんて食えないし」

「あんたら文無しか!」レベッカはカウンターを叩いた。

「しまった、すっかり忘れてた。財布に小銭あるけど、使えるはずないしな」

「いいじゃないかレベッカさん、久しぶりに楽しい時間を過ごせたんだし、負けてやったら」

「お、おじさんいいこと言う!」

「それとこれとは話が別だよ、こっちは商売なんだ。金払えないなら、体で払ってもらうからね」

「……金と言ってはなんですけど、酒じゃダメ?」


 それを代金代わりにどうだろうと銀二は提案した。

 レベッカはそうだねえ、と顎に手を当てて考える素振りを見せると、「じゃあ、瓶に残ってる水をさっきの甘いやつに変えとくれよ。それで今回の飯代はチャラだ」と言った。

 銀二は瓶に残った水をカルアミルクに変質させると、アルコとアジャを連れて店を出た。


「また来ます」


 そう言うと、レベッカは「さっさと国を出な」と答えた。


 銀二は少し、寂しかった。

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