第九酒席 酒で溢れる本音の嵐

28 陰気な国に、陽気な酒

 ブランカの城下町へ下り、あらためてよく景色を見てみると、そこは中世ヨーロッパを思わせる石造りの町で、銀二にとっては馴染みのないものだった。映画やアニメ、漫画なんかではお馴染みだが、懐かしさを感じることもなければ、憧れがあるわけでもない。けれど、こういう世界だからこそ、酒がないというのも不思議に思えた。


 酒の歴史は古く、紀元前三千年、四千年と遡り、その始まりや発見はいつも偶然であることが多い。

 そして発見当時、酒は上流階級の人間の飲み物であって、庶民の生活に行き渡るようになるのにも時間がかかっている。そう考えると、この世界では未だ酒のはしりである果実酒も発見されていないか、どこかにはあるが、上流階級の者しか口にできないかだ。そのせいで、酒がないのではないかと思えた。


 少なくとも、このレスキア島に酒はない。


「それにしても――」


 往来する人々は、少なからずここで暮らしていくことに決めて残っているのだろうが、その未来に明るい光は未だ差していない。その表情は暗く、笑顔もなく、活気もない。


「空はこんなに晴れていい天気なのに、誰も彼もが暗い顔してるな。やだなあ俺」


 笑っているのは、この国が衰退していることすら知らない子供達だけだった。

 子供達は木で作った剣を手に戦争ごっこをして遊んでいたり、石で地面に絵を描いたりして遊んでいる。


「湿気タ国だ。強いのはガキばかりだな」


 辺りを睨むように見回して、アジャが言った。


「子供は無邪気だからねえ」アルコが言った。

「違う。強いやつが、勝ったやつが笑うんじゃナイ。笑い続けるやつが強く、戦いに勝つ。苦しい表情、負け犬の顔は、敗北を呼び込ム。あの騎士のコゾウはダメだ。あいつには、何が何でも勝つという気迫がない」


 突然語り出したアジャに、銀二とアルコは目を丸くした。


「す、すげえ饒舌じょうぜつに語るっすね。さすが戦士? それ、アジャの部族の宗教?」

「家訓だ」

「カクーン」

「っふん――おいガキども!」


 アジャは近くで遊んでいた子供の首根っこを捕まえると、「腹が減った!」と耳元で叫んだ。

 子供は何が何だかわからず、うぎゃああと泣き喚き、母親を呼んだ。

 家から飛び出してきた母親は、子供を取り返そうとアジャに縋りついた。


「ぎゃあああ! ウチの子を許してくださぃいぃ――どうか、食べないでぇ!」

「ご飯食べる場所が知りたいだけなのに、なんでこんな大事になるんだろうね」


 アルコが愉快そうに笑い、銀二がお母さんに事情を説明して、食事処の場所を教えてもらった。

 この町にも、当然人が集まり、飯を食う場所がある。他にも、衣服や装備、薬や家具、宝飾品などの店はあるが、どこも閑散としていて、活気はなかった。


 銀二達は『ヘスベス』という看板を掲げる店に入った。

 特にサービスもなく、日本のファミレスのように「何名様ですか?」と訊かれることもなかった。

 代わりと言ってはなんだが、店にいた客の視線が集まった。誰も彼もが暗い顔で、ただすることもなく、ちょっとした食べ物を頼んでは長居しているようだった。


「ちょっと、そんなところに突っ立ってないで、入るなら座りなよ、邪魔になるだろ」


 カウンターの向こうで汚れた食器を洗っていた、恐らくは店の店主である女将おかみっぽい雰囲気の女性が言った。きつそうな目に、カールした髪、襟が伸びてくたびれた服の上から、汚れたエプロンを着けている。頭には赤いバンダナを巻いていて、とても気の強そうな女性だった。


「お、ちょっと」


 好みな感じな女性だ、と銀二はカウンター席に座り、アルコとアジャに挟まれた。


「何にするんだい?」


 肘を突いた女将さんの大きな胸の谷間が、よれた服の間から覗いて銀二は鼻の下を伸ばした。


「メニューはありますか? 女将さん」

「肉か魚か野菜か、選びな」

「それがメニュー?」

「調理するのはあたしさ。文句があるなら出ていきな、それと、胸を見た分は料金に足しとく」

「……じゃあ、肉――あとお水」


 アルコやアジャも肉と答えた。水を注いだジョッキがどんと乱暴に置かれて、銀二はぺろっと唇を舐めると、ちょんちょんと三人の水を酒に変えた。アルコはカルアミルク、アジャはオニコロシ、銀二はいつものクセで、魔王に変えた。


「じゃあ乾杯!」


 三人がジョッキを打ち合わせ、酒をぐいっとやって「っかー! これこれ!」とテンションを上げると、客が顔を上げ、訝しげな視線を向けた。ここの住人にしてみれば、ただの水をそんな美味そうに飲むものか、と不思議に思ったのだ。


「女将さん、もう一杯、水のおかわりください」

「そっちで勝手にやりな。それと、あたしは女将さんじゃない。レベッカだよ」

「こいつは失礼しました、レベッカさん。じゃ、水はセルフってことっすね」

「あ? ああ、好きにしな」


 レベッカが顎をしゃくった先に、大きな水を溜めた瓶があった。銀二やアルコ、アジャはジョッキに水を掬うと、酒に変えては飲み、酒に変えては飲みを繰り返した。「あー、ちょっとしょんべん」と銀二がトイレに行った間に、その様子に違和感を覚えた老いた男性が声をかけてきた。


「ちょっと姉さん達、さっきから水をバカバカ飲んでるけどよ、そんなにここの水は美味いか?」

「水じゃない、サケだ! オニコロシだ!」アジャがジョッキをドンとカウンターに叩きつけて言った。

「オニコロシ?」

「私のはカルアミルクだよ。おじいちゃんも飲む?」

「お? なんだこれ、こんな泥水みたいな色してたか?」

「泥水じゃないよ? 甘い飲み物」

「どれ、じゃあ一口」


 男はジョッキのカルアミルクを舐めると、目を見開いて「こいつはなんだ」と驚いた。

 慌てて水の溜められた瓶を確認するが、そこにあるのは、ただの水だ。


「ギンジがね、魔法で美味しいお酒にしてくれるんだよ」アルコはひっく、としゃっくりをした。

「ギンジ? さっきの変わったかっこうした兄さんのことか?」

「あー、俺が何か? ここのトイレめっちゃ汚かった」

「いちいち解説しないでよ、私もトイレー」

 

  アルコと入れ違いに銀二は席に戻り、水に指を突っ込んで酒に変えてジョッキを傾けた。

 顔をほんのり赤くして、へらへらと笑んでいるそんな銀二に、男は「兄さん、その魔法はなんだい」と尋ねた。なんのことだ、と眉を上げると、アルコからカルアミルクをもらったと、男が言った。

 銀二は別に隠すつもりもなかったので、興味があるならどうぞ、と男に水を持ってこさせ、それを酒に変えるのを見せた。すると、周りの客も集まってきて、コルトン村の時と同様に、集まった客達の間であっという間に酒が広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る