第七酒席 酒は楽しく呑むものだ

23 男とキスしてもハッピーエンド?

「ギンジ!」


 この世界に来て初めて聞いた人の声、アルコの元気一杯な声に、銀二は反射的に腕を高く伸ばした。

 その広げられた掌に、『魔王』の酒瓶が吸い込まれるように届いた。


「――死ねえ!」


 交差するように振り下ろされた二本の刀身を、銀二は酒瓶で受け止めた。

 この酒瓶は、女神様が気を利かせて壊れないようにしてくれた一品だ。『魔王』の文字が、ジャスティの瞳に写りこむ。銀二はジャスティの一撃を押し返すと、残り少ない魔王を二、三口含み、一気に酔いを深めた。


 さて問題――。


 地雷を踏まれて殺意に満ちた悪魔に乗っ取られたジャスティに、酒を飲ませる方法はあるでしょうか。


「一個しかねえんだよな。ったく、酔わなきゃやってられねえっての」


「ごちゃごちゃとうるさいんだよ! 今度こそその首を跳ね飛ばしてやる!」


 銀二は残った酒を一気に含むと、瓶を放り、パンと手を打った。


 かかってこいや!


 そう待ち構え、人生で最高に集中し、命を捨てる覚悟で目を見開いた。

 ジャスティが両腕を広げ、勢いをつけて刀身を首元に向けて振りぬく。

 その腕を銀二は掴み、渾身こんしんの力で押さえつけた。


「こ、この野郎! 離せ!」

「んんんん!(イヤだね) んんんんんん!(覚悟決めろ)」

「何言って――やめろ! やめろぉおお!」


 銀二はその唇をジャスティの唇に近づけた。必死に抵抗するジャスティの力に振り回されながらも、銀二は額に青筋を浮かべて必死に堪えた。腹に蹴りを入れられても酒を飲み込むのを我慢して、地面を転がり、マウントの取り合いが始まる。


「ギンジが上を取った! いけええええ!」アルコが叫ぶ。

「来るなあああああああっ―――!」

「むーん――!」


 銀二は全体重を乗せ、瞼を薄く閉じ、ジャスティの口に唇を重ね、酒を送り込んだ。

 傍から見ていたペギオやユリウス、キルギスは絶句し、アルコは「やったあ!」と喜び、ヴィヴィは不可解そうに現場を眺め、広場では未だにアジャが兵士達を追い掛け回して遊んでいた。


 注がれる酒、飲み込むジャスティ、吐き気を催す、ジャスティと銀二。

 ぷはぁっとジャスティの唇から口を離した銀二は、そのまま前のめりに吐いた。

 酒を注がれたジャスティもその場で嘔吐し、悪魔も吐き出された。


「うえええ貴様、マジ許さんぞお――うぅ、くらくらする」正気に戻ったジャスティが言った。

「あー、記憶を消してえ! 酔った勢いで男にキスするとか、マジでない!」


 二人が戻し続けるのを傍目に、吐き出された悪魔は乗っ取る先を失い、その場から逃げようと素早く地面を張った。駆け込める宿主はいない。広場へと逃げようとした道に結界を張られ、悪魔は完全に行き場を失くした。


「く、くそ!」

「はい残念でした」


 結界を張ったヴィヴィが悪魔を見下ろし、用意していた鳥かごに放り込んだ。


「っく、消すのか?! ボクを消すのか!?」籠の中で、悪魔はぐるぐると回った。

「あんたはねえ――」


 ヴィヴィが言いかける前に、銀二が「待った」をかけた。


「……あれ? 誰キミ」

「あんたこそ誰よ。見下ろさないでくれる?」

「坂倉銀二です」銀二は腰を屈めて、下からヴィヴィを見た。

「ヴィリアント、ヴィアンカ。みんなはヴィヴィって呼ぶわ」

「ちょっと、こいつとの話が終わってないんだけど、いいかな?」


 礼儀正しくお願いすると、ヴィヴィは鳥かごを銀二に渡した。


「……ほら」

「ありがとう」


 カゴに捕われた悪魔は、うっすら紫がかった黒いスライムのようだった。


「ボクを、消すのか。ボクは、消えるのか」少年のような声だった。

「まあ落ち着いて、さっきの答えを、聞いてない」

「……答え?」

「寂しかったんじゃねえかって話だ」


 銀二はカゴを地面に置き、その正面に腰を下ろした。


「ギンジ様、まさか悪魔に情けをかけるおつもりでは」

「情けじゃないよ。話が聞きたいだけだ」


 で、どうなの、と銀二が聞くと、悪魔は「わからない」と答えた。


「どうしてギンジは、悪魔が寂しがってるって思ったの?」アルコが訊いた。

「だってさ、言うこと聞かない奴、皆追放して、自分の言うこと聞いてくれる奴傍に置いて楽しくやってたんだろ? それってさ、形は違っても皆やってることじゃん。クラスのいじめっ子とかそんな感じだったんだよ。嫌われることやるくせに、独りになるのはイヤだから、力で自分に従う奴を傍に置いてさ。それでも、こんなこと続けてたら、いずれ独りになることはわかってたはずだ。いくら人の苦しむ姿を見るのが楽しいっつっても、独りになったら、何にも出来ない」

「それ自体が悪魔の習性なのです。用が済めば、別の宿主を探したはずです」


 ユリウスが言うと、そうかもしれない、と銀二は納得しつつ、頭を掻いた。


「なら、なんで王様だったんだ? 人の心の弱さにつけこむなら、いくらだっていたはずだ」


 銀二は返答を待ったが、悪魔の答えはたった一言、「……言えない」だった。


「言えるわけがない。そいつにも、悪魔のプライドというものがある」


 唾を吐き捨てたジャスティが、同情するような目を悪魔に向け、言った。


「それってどういうこと?」


 銀二が訊くと、ジャスティは不本意そうに口を開いた。


「殆どが、お前が言った通りだ。寂しさを知り、それを受け入れられないでいる。王に触れたからこそ、知った居心地のよさというのもあるのだろう。だがそいつは、表面をなぞることはできても、根っこから王になることはできなかった」

「なんでそんなことわかるの?」

「さっきまで、そいつの感情が私のなかで渦巻いていたからな」


 ジャスティは腕を組み、一時でも重なってしまった悪魔に同情する自分に戸惑った。

 悪魔はカゴの中をぐるぐる回ると、集まった視線に耐え切れなくなり、言った。


「……消せ。ここまで同情されて、ボクに生きている価値はない。悪魔の面汚しだ」

「消さないわよ。あんたは私のしもべになるの」ヴィヴィが言った。

「え?」

「知らないなら教えてあげる。低級の悪魔はね、私達魔法師の使い魔にちょうどいいのよ。それに、人の精神を乗っ取った低級悪魔は、人間の影響を受けやすい。あんたは小物だからわからないだろうけど、自分の中に生まれた感情に戸惑っているだけ。そんなだから低級悪魔は他の上級悪魔どもにバカにされるのよ。悪魔界の面汚しだってね」

「うるさい、知ったような口を利くな!」

「知ってるから言ってんのよ。あんたはね、誰でもいい。認めてもらいたかったのよ。だから王様に憑依した。そこからは、さっきのそこの男が言った通り。自分のなかに生まれた『人情』を理解できずに、パニックになった。実際、どんどん人が離れていって、あんたは焦っていたはずよ」

「そんなこと――」


 悪魔は否定しようとしたが、面倒くさくなったヴィヴィがカゴを持ち上げ、顔を近づけた。


「とにかく、あんたは負けて、私の道具になった。一生扱使ってあげるから覚悟なさい。ってことでいいわね、王様と、ハゲ」


 キルギスとユリウスは、仕方ありません、と渋々了承した。


「そんな!」

「ま、よかったな。消されるより、償う機会が与えられたって思えばいいだろ」


 銀二はよかったよかったと腕を組んで頷いた。


「お、お前のせいなんだぞ!」

「酔っ払いに責任を求めないでくれ」

「責任というなら、まずは私が責任を取らねばなるまい」


 キルギスが言うとおり、全てはそこから始まる。

 まずは、戦争を控えてしまっている国の再興、その後の始末をどうつけていくかを考えなければならない。


「問題は一つずつ解決する必要がある。すまないが、君たちは一度、戻ってくれるか? 追って、我々の方から顔を出す」


 キルギスが言うと、ひとまず問題は片付いたな、と銀二は立ち上がった。

 アルコとペギオにも礼を言って、「なんだか知らないけど、もう大丈夫そうだ」と笑いかけた。


「そうだ貴様、私に毒を盛ったこと、忘れてはいまいな?」

「毒? その毒のお陰で、悪魔から解放されたのに?」

「なんだと?」


 銀二は魔王の瓶を手に取ると、にっと笑って酒を勧めた。


「俺が毒なんて人に飲ませるわけないじゃないですか、とりあえず、一杯いっときますか?」


 ジャスティは怒った顔で、「断る」とそっぽを向いた。


 何にしても、一件落着――。


 そういきたいところだが、なかなか、先のことを思うと面倒でならない銀二であった。


 しかし、先のことを憂いていては、酒が美味くない。


「よーし、帰って皆で楽しく飲もう! 村の皆でぱーっとさ!」


 そう言った矢先、「ギンジ! 酒はどこだ! 王はどこだ! 殺してやる!」とアジャが壁をぶち破って姿を現した。


 面倒が増えること山の如し。


 それでもほどほどに、酒があれば楽しくやっていけるはずだと、銀二は思うのであった。


                               第一部 完

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