19 見て見ぬふりをするか、しないか
王を守る為には城内では狭い。
そう考えたのが王なのか、それとも悪魔なのかはわからないが、王は雨の降りしきる広い中庭でアジャを待ち構えていた。通路から覗き込めば、庭を囲む回廊にはボウガンを構えた兵士が並び、正面には盾と槍、剣を抜いた兵士達が並んでいた。曇天の空から降ってくる雨粒が、鎧に当たってコンコンと音を響かせているのがここまで聞こえる。雷鳴が轟き、銀二はびくっと肩を縮めた。
「めっちゃいっぱいいるじゃん」
「もうあれだけしか残っていないのです。あの中に、どれだけ本気で王を守ろうとする兵がいるか」
ユリウスはどこか寂しそうに、悲しそうに眉尻を下げた。
本来の王の権威を考えれば、王を守る為に集まった兵がこの一角に納まってしまうというのは、たしかに少ないのかもしれない。「王様、かわいそう」銀二はうるっときて目尻に浮かんだ涙を拭った。
「ザコばっかりだ。ハゲ、あいつらは殺していいのか?」
「不殺でお願いします。あくまで、狙うは国王のみ」
「……わかった。行くぞギンジ」
「お、俺も行くの!?」
「当たり前だ。お前がいないと酒がなくなるだろ」
「こ、これは俺の分だよ?」銀二は腰に提げた水筒を守った。
「守って欲しけりゃ、あたしが言ったら酒を寄こしな」
「っへ、ナニが守って欲しけりゃよ、俺はここからは絶対に出ないからねっ――」
がしっと銀二は襟をつかまれ、広場に向けて放り投げられた。
丈夫な服でなければ、こんなぽんぽん投げられまいに、と銀二は女神を呪った。
銀二は宙を舞いながら、回廊でボウガンを構えていた兵士達が狙いを定めるのを目にした。
あれ? 殺せないんじゃなかったっけ?
ユリウスの言葉を信じた自分を呪った。
ボウガンのトリガーが絞られ、無数の矢が飛んできた。
「さよなら、みなさん」
銀二は目を閉じたが、次の瞬間、旋風が吹く。
地面に転がった銀二を追うように無数の矢が地面に突き立ち、銀二に当たるはずだった矢は、アジャが振り回した戦斧の風圧で全て吹き飛ばされた。はずだった。
銀二は素足に走ったひんやりした痛みに目をやると、そこに突き立つ矢にぎょっとした。
「あっ!? 足に刺さった! 矢、足に刺さってる! 痛ったっていうか、なんか冷たい! え? マジで刺さってる? 刺さってるよ!」
「騒ぐな、骨には刺さってない、これくらい、唾をつけときゃ治る」
戦斧を肩に担いだアジャは笑いながら、銀二の足に突き刺さった矢を乱暴に抜いた。骨を避けて刺さってくれて助かったが、めちゃくちゃ痛い。「消毒しないと」と銀二は腰の酒をぶっかけ、傷に染みる痛みに「いってえええ!」と叫んだ。
「うるさい奴だ。男がピーピー鳴くな」
「あの、守るならちゃんと守ってくださりますか? くっそ、サンダルじゃなくてちゃんとした靴履いてくりゃよかった――あ!」
「今度はなんだ?」
「見てこれ! 一個水筒穴あいちゃってるよ、ほら!」
赤ワインに変えた水筒から、真っ赤なワインが漏れ出していた。銀二はその水筒を取り外し、破けた穴から滴る赤ワインを口の中へ運んだ。「ちょっと渋すぎたかな、いつ飲んだやつだこれ」と銀二はテイスティングして、そのワインをいつ飲んだ奴か思い返しながら、「あ、サイデリアのワインだ」と手を打った。
ズドン、と脇に矢が突き立つ。
「……びっくりした」
「鈍いなギンジ、ボーっとしてると死ぬゾ」
「ま、守ってもらっていいですか?」
「サケ」
「どうぞ」
銀二は腰の酒を明け渡した。アジャは親指でコルクを抜くと、酒をごくごくと喉へ通し、「あ? さっきの酒じゃないな」と少し不満げにしつつも、「おし、待ってろよ」と男らしくゲップをして、王を守っている近衛兵達に突っ込んでいった。
抉れて捲れあがった地面から飛んだ土が、銀二の顔にかかった。
「おらあああ死ねえええ!!」
「殺しちゃダメだって言ってたろうが!」
銀二は思わず突っ込んだが、アジャのセリフは勢い余ってのことだ。
凄まじい形相で、身長並みの戦斧を振り回す姿は鬼神のごとしという感じだが、あれで誰一人殺していないのがさらに凄い。回廊でボウガンを構える兵士達も、王を守る為に武器を持ち替え、回廊から次々と降りていった。
「っふ、凄まじいねえ、これが戦場か」
銀二はコルクを抜き、酒に口をつけながらその戦いを見守った。
剣戟の音、男達の悲鳴、アジャの高笑い。
酒のつまみにするには、品性に欠ける。
「……ん?」
近衛兵の数が見る見る減っていくと、視界の端で国王らしき人物が逃げていくのが見えた。
幾人かの警護をつけ、そそくさと影に消えていく。間違いなく逃走しているが、アジャはそれに気付く素振りはなく、興奮して戦斧をぶん回している。
追いかけるか、追いかけないか。
銀二は酒をチビチビと舐めながら考えた。
首を突っ込まなければ、おそらくこのまま事態は収拾するはずだ。
既に足に矢が一本突き立ったのだ、これ以上、傷を負う理由はどこにもない。「ま、俺には向いてないわな」と銀二は水筒のコルク栓を抜いて、それを口に運んだ。しかし、その時脇を走り抜けていくユリウスの姿を見て、心を動かされた。
剣を携え、不安そうに、苦しそうに、老体に鞭を打って王を追うその姿に、銀二は感じるものがあった。
今まで慕っていた王が、ある日突然人が変わってしまった。
よせばいいのに、今も王を守ろうと戦っている男達がいる。
彼等をそうさせるのは、なんなのだろうか。
忠義や忠誠心と言葉で飾ることはいくらでもできるが、それよりもっと深い所にあるものは、きっと王様を想う気持ちなのではないだろうか。きっと、皆王様との素敵な思い出があるのかもしれない。それは、人が変わってしまっても変わることのない、言うなれば愛情のようなものかもしれない。
例えば、なんだろうか、と銀二は空を仰ぎ見た。
雨が顔に向って落ちてくるのを眺めながら、曇天にセンチメンタルな気持ちになる。
「例えばあれか。普段はとっても優しいお父さんが、酒が入った途端に人が変わったみたいに暴力を振るうようになるみたいなコトなのかな。たしかにそれなら、酔っていない時のお父さんが大好きだから、どれだけ暴走してても、お父さん、お父さんってなるわな」
酔っ払った時はどうしようもないけど、普段は優しいパパだもん!
そう言って、警察からお父さんを守る姿を想像した銀二は、ドコからともなく湧いてくる感情に立ち上がった。
「……このまま見過ごしたら、酒が不味くなるわ」
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