16 王を殺す!
銀二はスピリタスを舐めまくってぼんやりする頭で、様々な脱出方法を考えたが、まとまった案は一つも浮かばなかった。スピリタスならライターで火をつければ一瞬で燃え上がるが、火事と偽って逃げ出すにも、すぐに捕まってしまうし、酒を燃やすなんてもったいない。そもそも、逃げ出すのが目的なのではなく、村を救うのが目的だ。となると、偉い人になんとかお目通り願いたいところではある。
「あー久しぶりにウォッカ飲んだら頭が――頭が――すぅっとするなあ」
通常運行の銀二であった。
牢獄で手に入る酒の量は少なく、腹も減った。
恐らく、この牢獄を出られるタイミングは処刑される当日だ。
その時までに、何か考えなければならない。
看守はいい人そうで、適度に会話に付き合ってくれるが、情に流されることはないだろう。
「おい、邪教徒」
「銀二です」不意に呼ばれ、銀二は手を上げた。
「……ギンジ、飯の時間だ。あと、一つ頼まれてくれるか?」
「頼み?」
銀二はふらふらとした足取りで鉄格子に近づき、額をついて、体を支えた。
「ああ、そっちのバカ女に、この薬、飲ませてやってくれ」
「えー、こっちの頼みは聞いてくれないのにですかあ?」
「お前、なんか息臭いな」
「へっへっへ、まあまあ」
「まあいい、あいつに薬飲ませてやったら、お前には特別、パンを二つくれてやろう」
「パンより水が欲しいっすね」
「水ってんなら、水やるよ。喉渇いてるのか?」
水がないと酒が飲めねえのよ、と銀二は密かに笑んだ。
「顔が赤いな、それに、ふらついてるみたいだが、病気か?」
「いえいえ、ここの壁に滴る水が美味くてね、まあ顔が赤いのは健康な証ですよ」
「腹壊すぞ」
「俺はそういう種族なんで」
銀二は看守からパンの乗った銀の皿と、粉状の薬が包まれた紙、水の注がれたコップを二つ受け取った。あちこち凹んで歪な形の粗末な食器だ。これでも、飯が食えて、水が飲めるだけマシなんだろうが、早速アルコ達と過ごした日々が恋しくなった。
「気をつけろよ、お前が襲われても、俺は助けないからな」
「そう言うならやってくれってんですよ、ねえ?」
銀二は腰をかがめ、バラガンの女性に同意を求めるように投げかけ、固まった。
獣のように鋭い眼光、真っ赤な瞳に睨まれ、チビッた。
獣のような低い唸り声を出し、覗いた口には鋭い牙も見えた。
「……お目覚め、ですか?」
「ッキヒ、お前、美味そうな匂いがするナ」
掠れたその声は、腹の底にある力を抑えているような気配がした。
銀二は動物の本能で彼女がどれだけ危険なのかを感じ取り、震えた。
が、それは単に酒が足りずに震える禁断症状だった。
「お、お薬の時間なんで、飲ませますけども、よろしいですか?」
「っち、マタカ。いい加減、肉が食いたい」
「ですね、俺もワグマヌの肉が恋しいですよ。じゃ、飲ませますんで」
「マテ」
「はい?」
バラガンの女は、銀二の首筋に顔を近づけ、囁くように言った。
「お前がさっき舐めていたもの、あたしにもヨコセ。あれは、美味そうな匂いがした」
あれって、スピリタスのことか? と銀二は固まった。
バラガンの女は「あれだ、あれが欲しい。お前が指で触れたあれだ」と渇望するように繰り返した。
「どうしたギンジ、さっさと薬飲ませろ。それともチビッたか?」
「今、やります」
銀二は食器を置き、思案した。
この場で酒だけを飲ませて、凶暴な『バラガン』が酔っ払った場合、もしかしたらこの場を脱出できる機会を得るかもしれないが、巻き添えで頭を潰される可能性もある。そんな彼女の力を抑えるには、薬を飲ませるしかない。そうすれば、酔っていても力は抑えられるかもしれない。
「ま、一か八かだな」
どうせ自分には、この状況を変える力はない。ならば、選択は一つ。
銀二は覚悟を決めると、二つのコップに指をつけ、スピリタスへと変質させた。これをぐいっとやって酔えば、頭を潰されることになっても痛みを感じずに済むかもしれない。銀二は彼女の分のコップに注がれたスピリタスに、薬を注いだ。
薬が効くか、酒が利くか。二つに一つ。
「お姉さん、名前は?」
「ア?」ぎょろっと、女の目が動いた。
「名前っすよ。ここで会ったのも、
銀二は悟りを開いた人のような心で言った。
その姿をじっと見つめたバラガンの女は、ふっと笑むと、「キリアジャ」と答えた。
「アジャさん。俺は――」
「ギンジだろ。聞いていたゾ」
「じゃ、カンパイ」
銀二は両手に持ったコップをかつんとぶつけてセルフ乾杯をすると、彼女に飲ませながら、自分も酒をごくごくと飲んだ。喉の奥が焼けるように熱くなり、吐く息はまさにアルコールだ。余談だが、この酒に火種を近づけると、一瞬で燃え上がる。自然発火することはないが、引火点が二十度と低いので、火事の元にもなる。
銀二は一気に飲み干したスピリタスにくぅっと瞼を閉じると、「あー、くるぅ」と歯を食いしばった。
「っぐ――」
キリアジャ――アジャはというと、一点を見つめたまま固まっていた。
褐色肌なので酒が回っているのか見た目にはわかりづらかったが、目がイッていた。
「アジャさん?」
銀二が顔の前で手を振ると、アジャは視線をゆらっと看守のほうに向け、全身に力を込めた。その瞬間、空気の温度が二度は上がり、纏っていた空気すら熱を帯びた。枷を嵌めた腕が振り上げられ、地面に叩きつけられると、枷が脆い紙切れのように木っ端微塵になった。
銀二はその迫力に、おしっこをもらした。
「コレはいい。最高の気分だ。力がミナギルゥ」
立ち上がったアジャは二メートル近く、長くカールした髪は逆立った。
アジャは鎖を紐のように引き千切ると、ぺたぺたと歩いて格子を掴み、力任せに引っ張った。ギリギリと軋みながら、格子が歪んでいく。看守は慌てて槍を構え、「下がれ! 下がらないと刺すぞ!」と威嚇した。
「ヤッテミロ! お前の頭も叩き潰してやるゾ!」
口から荒く息を吐きながら血走ったアジャに睨まれ、看守はギンジに目をやった。
「お前ちゃんと薬盛ったのか!?」
「盛った、盛った!」
「ならなんでいきなりバーサク状態はいってんだよ!」
それは、お酒の力かな? と銀二は頭を掻いた。
「ンガアアアッ! 面倒ダァッ!」
格子を捻じ曲げていたアジャは、面倒になって鉄格子の扉に前蹴りをかました。
格子扉はその力で簡単に破壊され、あっさりと脱走を許した。
看守は固まると、「き、緊急事態!」と叫びながら脱兎の如く逃げ出した。
「……ギンジ、ナニしてる。行くぞ」
「い、行くってどこに?」
「王を殺す」
迷いのないその言葉に、銀二は耳を疑い、固まった。
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