第三酒席 酒は飲んでも飲まれるな

11 全部、お前のせいだ!

 酒は飲んでも飲まれるな、という言葉がある。

 お酒には、人を楽しい気持ちにさせる力がある一方で、判断力や感情の抑制能力を低下させるという、場合によっては具合の悪い力も持っている。


 現に先日、村長たちはやらかした。


 今の今まで、理不尽な要求を黙って飲み込み、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、この村は平和な暮らしを守ってきた。

 それが、たった一度のあやまちで全て台無しになった。

 どれだけ積み上げた信頼も、保たれてきた関係性も、酒の席での狼藉ろうぜきでパーになってしまう、ということはよくある。それで酷いことになっているサラリーマンや合コンをしている学生を、銀二は山のように見てきた。酒とは上手に付き合わなければ、人生は破綻し、破滅する。


 だからこそ、酒は飲んでも、飲まれてはならないのだ。


 先日の酒の宴で、それを知らない村人の半数以上が二日酔いになり、まともに動くことが出来なくなった。壊滅状態とはまさにこのこと。酒を知らない人たちに、酒を勧めた銀二が齎した結果である。

 ただ、村人たちは銀二を責めなかった。

 

 酒によって気が大きくなったり、口数が増えたり、喧嘩っ早くなることは、騎士が来る以前に飲み明かした酒でじゅうぶん理解していたからだ。とはいえ、酒から始まった争いだ。銀二も無関係ではない。

 銀二は、村長宅で頭痛に顔をゆがめている男達と共に、今後どうするべきかの会議に参加していた。


「まずいことになったなぁ、頭が痛いよ」


 村長が目頭を揉んで言うと、男達も唸るような声で「ですなあ」と言った。

 が、二日酔いで会議どころではなく、家に帰って寝たい、というのが本音であった。


「なにが一番まずいって、あの時なに言ったか殆ど覚えてないことだ」

「ですなあ」男たちは声を揃えた。


 泥酔して眠り、目覚めた時には酔っていた時の記憶が殆どない。


 これも酒だ。


「どうでしょう、ここは一つ、あの騎士連中を酒で懐柔するというのは」

「それもありだな、ギンちゃんに何か気の利いた酒を用意してもらって、もてなすか」

「でも、飲みますかねえ」

「飲まないと思いますよ。昨日、酒を毒っていうていで飲ませてますから」


 銀二は魔王を飲みながら、昨日の経緯を説明した。

 銀二は泥酔することは殆どなく、酔っている時のことも覚えている。先日の経緯と、会話の内容を思い返してみても、騎士達がこちらのもてなしに答える可能性は限りなく低い。なにより、ジャスティというリーダー格が下戸だったのがまずい、あれで酒が毒だと印象づいた。実際、具合が悪くなってしまっているので、今更「いいもの」と言っても説得力がないだろう。

 あの場では笑えたが、むしろジャスティが酒に強い方が、この場合は都合がよかった。


「ギンちゃん、どうでもいいけどまだ飲んでんのかい?」

「ええ、酔い覚ましの酒です。皆さんもどうですか?」


 銀二がちゃぷんと酒瓶を持ち上げると、男たちは「今はいらね」と手を上げ、戻しそうになるのを飲み込んだ。


「で、どうする」

「いっそのこと戦っちまうか? 面倒クセえし」


 そんな投げやりな声を聞いた銀二は、「あの、俺を差し出しちまえばいいんじゃないですか?」と提案した。それを聞いて、男達も村長も、驚いて目を丸くした。

「差し出せって、ギンちゃん」

「元はといえば、俺が皆さんに酒を振舞ったせいでこうなっちまったんです。意地悪な騎士達の話も聞いていたし、もっと俺が気をつけていれば、こうなることは避けられた。責任は、俺にあります。なら俺を、毒を盛った張本人として差し出せば、一応の落としどころになるんじゃないかと思いまして」

「いやいや、そんな。なあ?」

「考えがないわけじゃないんです。俺の出で立ちを見りゃ、連中だって多少は俺の話を信じるでしょう。なら、俺が皆さんをたぶらかして、酒に酔わせて、けしかけたとすれば、皆さんもお咎めを受けずに済むんじゃないかって、思うんすよ」


 酒を知らない、というのを逆手にとれば、そういう解決策もなくはない。

 上手くいくかはわからないが、こういう世界だ、邪教だの魔女だのという言葉を用いれば、可能性はある。しかし、その場合犠牲になるのは銀二だ。磔刑たっけい斬首ざんしゅか、どのみち国の騎士に毒を盛り、村人達をたぶらかした罪人として処刑されるだろう。


「それって、ギンちゃんが死刑になるってことか?」

「まあ、そこまではわからないっすけど、少なくとも村は守れるんじゃないかと」


 それはまずいだろ、と男たちはざわついたが、村を救うという点において、他に方法が見当たらない。


「村長、なら、ギンちゃんを隠して、村にふらっとやってきた男に毒を盛られたって言うのはどうです? 酒をいくらか造っといてもらって、それで連中を説得できませんかね? それなら、ギンちゃんを守れるし、言い訳にも使える」


 男が提案すると、村長は神妙な面持ちでジョッキの水を口に含み、静かに言った。


「それでは、連中の腹の虫がおさまりはすまい。プライドを傷つけられたんだ、経緯はどうあれ、主犯格が居ないとなれば、腹を切らされるのは私達だ。その時は私が斬られれば済む話だが、プライドを傷つけられた騎士が、おいぼれ一人の命で納得するとは思えない。それに、あの時はわしは、サケを特産品と言ってしまったようだしな」

「俺達だって、村長一人に責任を負わせられないっすよ。ギンちゃんにだって」

「なんにしても、ギンちゃんが心配することじゃない。まして、一度命を落としてこの世界へやってきたんだ。そう命をぽんぽん安売りするものではないよ。気を使ってもらうのは有り難いが、わしらがやつらに不満を持っていたのは事実。酒がなくても、いずれはこうなっていたさ」


 それもそうか、と男たちは楽観的だった。

 村長の言うとおり、銀二が現れようと、現れまいと、いずれはこうなった可能性が高かった。騎士が要求したランナ十頭、ギュウカ十頭は、差し出してしまえば村の存続に関わる。ランナは狩りにも使い、ギュウカは所謂いわゆる牛なので、栄養価の高いミルクと、畑を耕す際にも用いられる。騎士達が寄こすはした金では、新たに幼獣を手に入れることもできない。


 村にとって貴重な財産だ。

 

 それを奪われれば、遅かれ早かれ村は衰退していき、やがて滅んでしまう。

 なら、いずれ通った道、どこかではぶつかっていた、というのが結論だった。


「どの道、か」


 ずっと黙って腕を組んでいたアルコの父、コールは「よし」と顔を上げると、神妙な面持ちで酒瓶を揺らしていた銀二に目をやって、「ギンちゃん、村から出て行け」と唐突に言った。

 銀二はびっくりしてコールの目を見たが、そこには怒りも、憎しみもこもってはいなかった。


「おいコール、いくらなんでもそりゃ」

「勘違いするなよ、別に追放しようってんじゃない。村長の言うとおり、俺達はいずれ、連中とコトを構えてたかもしれないんだ。それが多少早くなっただけのことだろ。なら、この件にギンちゃんは関係がねえ。だろ?」


 同意を求められた仲間達は、「そういうことか」と顎を引き、「それならそうだ」と声を揃えた。

 結果が同じなら、銀二がわざわざ身を危険に晒す必要はない。

 むしろ、この世界にやってきて、いきなり争いごとに巻き込まれて死んでいては、あまりに不憫だ。

 しかしそれは村人の気持ちであって、銀二の気持ちではない。

 銀二はこの世界に来て、最初に自分を受け入れてくれた皆が酷い目に合うのを見過ごせなかった。


「オヤジさん、俺は――」


 銀二がイヤですと言い掛けると、コールはそれを遮るように口を開いた。


「――荷支度は俺がやる。なんならギンちゃんはブランカを目指して、そこで新しい人生をスタートすりゃいい。なに、その力があればどうとでもなるさ。俺達のことは、気にするな。村長、それでいいでしょう」

「ああ、ギンちゃんには美味い酒を教えてもらった恩がある」

「それなら、俺だって皆の世話になって――」

「――いずれだ、ギンちゃん。いずれわしらが辿った道に、たまたま君が現れ、美味い酒を振舞い、楽しい時間を与えてくれた。酒の勢いでも、連中に言いたいことを言って、醜態しゅうたいを見て笑っただけでも満足だ。出会えただけでもじゅうぶん。君は私達の人生に現れた、一時の夢のような存在として、この村を去るんだ。いいね?」


 皆もいいな。と村長が言うと、男たちは席を立ち、村長宅を次々と出て行った。口にするのは、「帰って寝る」「頭いてえ」と酔っ払いのそれだが、誰もが銀二に一度は目をくれて、またなと手を小さく振った。

 銀二はそのわかりやすい優しさに無性に腹が立ち、酒をがぶがぶと煽って顔を赤く染め上げた。


「……俺は、納得してないですよ。村長」

「君の人生に、私達は関係がない。コール、彼を連れて行ってくれるか? わしも少し、眠りたい」


 最後まで残っていたコールは席を立つと、銀二の腕を掴んだ。


「行こう。出発の準備が整うまで、家でゆっくりしていけばいい」

「イヤだね、離して下さい」


 銀二のあからさまな抵抗に、無理もないかとコールは肩を竦めて立ち去った。

 このままここにいる訳にもいかない銀二は、少し遅れてから家を出たが、そこで待っていたのは、会議の内容を外で聞いていた村の若者だった。歳はアルコと同じくらいだが、顔がとても特徴的だ。つぶらな瞳、割れた顎、大きな鼻、決してハンサムとはいえない、不遇そうな青年だった。


「……お前のせいだ。全部、全部お前のせいなんだぞ!」


 会うなり、青年は銀二を指差しそう言った。


 まったくもってその通り、銀二は自嘲気味に笑み、酒瓶を持ち上げ、酔いを深めた。

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