6 カルアミルクとアルコちゃん

 銀二は川で洗ったシャツを濡れたまま羽織り、火を起こそうとしているアルコの前に腰を下ろした。

 アルコはいわゆる二日酔い状態で、青ざめた顔で頭痛と吐き気に呻きながら木と木を擦り合わせていた。火種をおこす為に持ち歩いている木屑にはしかし、一向に火が移らない。


「アルコちゃん、何してるの?」

「火、火を起こす。ワグマヌの肉、食べる」

「そりゃいい、俺も濡れた服を乾かしたい」


 銀二はポケットからライターを取り出し、カチカチと鳴らして小さな火を作った。

 すると、アルコは信じられないものを見るような目になった。


「な、なにそれ! あんた魔法使えるの!?」

「魔法じゃないよ、文明の利器、ライターだ。カチカチするだけで火が点く便利アイテム。こっちには、こういうものないの?」

「ない……凄い、小さい火が。あ、消えた」

「風があると消えちゃうね。ちょっと待ってね」


 銀二はアルコが作った木屑に火を当て、息を吹きかけて火を大きくした。あっという間に焚き火ができると、アルコはすっかり気分をよくして「それ貸して!」とライターを奪った。気分の悪さはすっ飛んだようで、ライターをカチカチやって喜ぶ姿は子供のようだった。

 銀二はその様子をにこにこ眺めながら、焚き火でタバコに火を点けて紫煙をくゆらせた。


「ねえ、これどこで手に入れたの? 私も欲しい!」

「ああそれは、俺の生まれ育った世界にあったものだよ」

「……どういう意味?」


 説明して理解してもらえるかはわからなかったが、銀二は自分が異世界からやってきたことを打ち明けてみた。携帯や財布、小銭、レシート、衣服一つとっても、この世界にはないものだ。アルコはワグマヌの肉を解体しながら銀二の話に耳を傾け、大雑把ではあるものの、理解を示した。


「つまり、ギンジは前の世界で死んじゃって、神様にこっちの世界へ送られたってこと?」

「そういうこと」

「……そうなんだ」

「信じてもらえないよね、こんな話。酒のさかなにもならないつまんない話だ」

「信じるよ」


 ワグマヌの解体で血に汚れたアルコが言った。


「ほんと?」

「だって、この世界には私の知らないことが沢山あるもん。それに、ギンジは自分を囮にして私を逃がそうとしてくれた。魔王軍の手下なら、ワグマヌなんかにびびったりしないもん。だから、銀二は嘘吐いてない。疑ってごめんね」


 にこっと笑ったアルコは、血まみれでなければ素直に可愛いと言えた。


 いい子だな、と銀二は微笑んだ。


 あーいかん、酔いが醒めそうだ。


 銀二は空の酒瓶を覗いた。

 このまま素面しらふに戻ると、アルコとまともに話せなくなってしまう。


「どうしたの? 喉渇いたの?」


 川に向って歩き出した銀二に気付いて、アルコが訊いた。


「いやね、実はこの世界へ来る時に、女神様からある力を授かったんだ」

「……力?」

「魔法――みたいなもんなのかな、水をお酒に変える力だよ。ここで試してみるのもいいかもしれないと思ってね、手持ちのはなくなっちゃったし」


 それに、ここで水を酒に変えることができれば、本当に力があるかどうかもわかるし、異世界から来たという話にもより真実味が増す。しかし、銀二は力の使い方がわからなかった。

 どうせメモを残してくれるなら、力の使い方の説明書がよかった。


「アルコちゃんどうしたの?」

「見る」


 そう言って脇に来たアルコの手には血塗られたナイフが握られていて、肘の先まで血まみれだった。

 凄い光景だな。そう眉を顰めながら、銀二はどうすればいいのだろうと指を川に突っ込んだ。

 神様にお願いしたのは、水を自分の知っている酒に変える力だ。であるなら、「○○になれ」と唱えるか願えば変化する、はずだ。ならば何にしよう。焼酎を「まずい」と言ったアルコにも飲めるものとすると、やはりカクテル系になるだろうか。


「よし、カルーアミルクになーれ」


 そう唱えると、指をつけた先から川面に波紋が広がり、川の色が変わっていった。

水底まで透き通っていた美しい川の水は、滝つぼから先、川下に向ってコーヒーのような琥珀色へと変質した。幸い、この川すべて、山頂の水源までは影響を及ぼさなかったようだが、かなりの広範囲が力の影響を受けた。


「やっべ! マジ!?」

「ギンジ! 川が濁った! 川をけがすなお前ぇえ!」アルコは銀二の頭を叩いた。

「あああどうしよう、俺もこんな広さで変わるなんて思ってなかった……とりあえず試飲しよう」


 慌てふためきながら、銀二はカルーアミルクを手で掬い、口で啜った。

 神妙な面持ちでテイスティングする銀二の横顔を見て、アルコも真似して口をもにょもにょした。


「……これは」


 牛乳とコーヒーのリキュールで作られるカクテル、カルーアミルクは、女性や甘党にとても人気なお酒であり、その飲み易さとは裏腹な度数の高さで、お酒初心者には入門としていい反面、注意しないと翌日大変なことになるお酒である。まだ銀二が未成年だった頃、どハマりした酒だ。


「うん、カルアミルクだ」

「……うまいの? 川から甘い匂いするんだけど」

「ちょっと待ってな」


 銀二は魔王の酒瓶にカルーアミルクを掬い取り、アルコに渡した。

 アルコは甘い匂いのする川とびんに訝しげに眉を顰めたが、「甘いよ、一献いっこんどうぞ」と勧められ、ちびっとだけ口をつけ、目の色を変えた。


「甘い! ギンジ、これ、甘いよ!」

「でしょう、これもお酒なんだよ? あーちょっと! そんなぐいぐいイッたらダメだよあんた!」


 アルコは魔王よりもずっと飲みやすい甘いお酒が気に入ったようで、がぶがぶと飲んで「ぷはあ」っと息を吐いた。いい飲みっぷりだが、後が怖い。


「あー、うまいねえこれ。これ、カルミク?」

「カルーアミルク。とりあえず、もうやめとこ」

「触んないでよ! もっと飲むんだから!」アルコは銀二の手を叩き、酒瓶を抱きしめた。


 銀二は心配したが、アルコールには相性というものがある。

 焼酎が飲めないからといって、日本酒が飲めないわけではないし、日本酒が飲めないからと言ってビールが飲めないわけではない。ワインが飲めて、カクテルはダメ、という人もいる。これは酒の製法、醸造方法の違いからくるらしい。ようは舌の好みではなく、体質的な部分である。

 アルコの場合、どうやらカクテル系はがぶ飲みしても焼酎ほど悪い影響は出ないようだった。

 とはいえ、酒は酒、アルコールはアルコールだ。

 おそらく明日は、彼女の頭は真っ二つに割れているだろう。


「ねえ、俺にもちょうだいよ」

「いやだ!」


 酒の力とは恐ろしい。さっきまで酒の味も知らない娘の心を鷲掴みだ。

 何にせよ、腹の虫も鳴ってちょうどいい頃合だ。

 獣の肉にカルーアミルクの組み合わせは好みじゃないが、贅沢は言えまい。

 アルコをおだてて解体された肉を焚き火の火で炙り焼きにし、脂が滴る火の通った箇所からナイフでこそぎ取って頂いた。漫画や映画でしか見たこともないような、ぶっとい骨のついた肉に、銀二はかぶりついた。皮はぱりっと、肉は締まっていて、ジューシーな脂が顎を滴り落ちた。


「あ、美味い、ちょっと臭みがあるけど、牛肉みたい。ジンギスカンとか、ジビエってこんな感じかね」

「ワグマヌの肉は栄養いっぱいで、食べれば食べるだけ体が丈夫になるんだ。ギンジほっそいから、いっぱい食べていいよ。それと、解体したお肉、持てる分だけ持って山を降りるから、ギンジも手伝ってね」

「もちろん手伝うよ。けどさ、全部持っておりないの? せっかく仕留めたのに」

「全部はダメだよ。山に返さないといけないから。剥いだ皮とか爪とか牙は持って帰るけど」

「それは、狩人の心得?」

「そ、私達はさ、世界に生かされてるから。取りすぎちゃダメなんだ。それに、山に残したワグマヌの肉を食った他の獣が肥えるわけよ。それを私達がまた頂くわけよ、そうして命は巡るわけよ」

「なるほどねえ」


 狩人の価値観ってのはどこの世界でも通ずるものがあるんだな、と銀二は関心した。

 その後、銀二はワグマヌの肉とカルーアミルクで川縁のバーベキューを楽しみながら、アルコにこの世界のことを尋ねてみた。

 ここはなんという世界で、どんな国があって、どんな人たちが暮らしているのか。

 結論から言えば、殆ど何もわからなかった。


「世界に名前なんてあるわけないじゃん」


 いや、ごもっとも。


 国については色々あるようだが、酔っ払ったアルコは「よく知らない」と話すのが面倒になった女子大生のような反応を示した。そもそも、彼女も村でずっと暮らしてきて、外の世界は殆ど知らないという。

 アルコは山の麓にあるコルトンという村の生まれで、狩猟を中心として生活を営んでいる村民だ。

 この世界には魔法使いもいれば、魔獣もいる。

 けれどそれは、村を離れなければ出会うことはないという。


「ワグマヌは魔獣?」

「あれは獣。魔獣は、人が何百人束になっても倒せない怪物だよ。魔法使いとか、亜人なら倒せるんじゃないかな。ほかにもね、悪魔とか、天使とかっていう種族もいるんだって」

「天使に悪魔までいんの?」

「まあ、よくは知らないけど、いるって聞いたことはあるよ」

「そうなんだ。すげえ世界だな」

「それでも私の世界は、生まれ育った村と、この山だけ」

「山に名前はあるの?」

「アルビス。始まりの山っていう意味なんだって。この山で竜を見ると、その人の前に試練が訪れるっていうの。私も今日、竜を見た」


 そういえば俺も見たな、と銀二は思い返した。


「外に出たいって思ったことはないの?」

「ないよ、だって今の暮らしでじゅうぶん満足だもん。でも、最近はちょっと、違うかも」

「どうして?」

「悪い奴らが村に来て、意地悪するんだ」

「……意地悪? それって、さっき言ってた魔王軍とかいう?」

「違う違う! 魔王軍なんてこんな場所まで来ないって、バカだねあんた」

「さっき魔王軍がどうとか言ってたじゃないの、あんた」

「そりゃあんたが魔王とか言うからよ、あんた」

「で、意地悪って?」

「私達の村の傍にある国の騎士達だよ。クズの集まり」

「クズ」銀二は肉の固い筋を噛み切り、ぺっと吐き捨てた。

「私達の村はさ、狩猟とー、畜産? で生活してるんだけど、ワグマヌの肉もそうだけど、この山で取れる色んな食べ物とか、皮とかさ、税金だって言って取って行こうとするの。何年か前に来るようになって、それが年々頻度が酷くなってさ。前はそんなことなかったのに」

「えー、こんな世界にも税金あるの? 俺払った事ないわ……だから死んだのか?」

「知らないし。でね? 近頃はさ、食糧とかもバンバン持ってっちゃって、備蓄がすっからかんよ」

「だから狩りしてたの?」

「そう、父ちゃんが怪我したから、代わりにさ」

「父ちゃんねえ」


 聞く限り、この世界も前の世界とたいして変わらないな、と銀二は思った。

 

 少し残念。

 

 何より訊きたくない言葉、それは税金だ。しかし、税があるから国は成り立つ。どういう徴収の仕方なのかはわからないが、アルコの村に来ている騎士は、権力を振りかざして辺境の村で好き勝手やっているのだろうと思えた。確信はないが、そんな風に思う。


「国って、山から見えたあれかい?」

「ブランカっていう国だよ。この辺りじゃ一番大きな国だね」

「行ったことある?」

「ない」

「王様とかいるの?」

「たしか、ゲロマミレーノって名前の王様がいる」

「ひっでぇ名前」


 銀二が笑うと、アルコも楽しそうに笑った。

 どうせ王様とは関わることはないだろう。

 日本でもそうだ。

 自分の暮らしに、総理大臣と会う機会なんてないように、世界が変わろうとそれは変わらない。

 しかし、そのひっでぇ名前の王様と遠くない未来に顔を合わせることになるなんて、銀二は想像もしていなかったのだ。


 何にしても、この世界の住人に出会えたことに、銀二は胸の内で祝杯をあげた。

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