4 狩人のアルコちゃん


 酒に酔った銀二には、異世界の景色をのんびり見て歩くだけのゆとりがあった。

 見たこともない草葉の形、巨大な木々、奇怪な植物、小動物や、虫、聞いた事もない獣の唸り声や、変わった鳥の声、「あれ見たことないな、あーこれも見たことないね、ぜーんぶ見たことないんだなコレ」とふらふら歩いて山道を下っていった。

 銀二にしてみれば、そこに生息する動植物は珍しくはあっても、特に気を惹く物ではなかった。現実世界でも植物園や動物園に行けば、自分にとっては珍しい動植物がいることに変わりはない。


「どこの世界も自然ってのは似たようなもんなんだねえ。にしてもやっぱ、サンダルじゃ山歩きは辛いな」


 そうひとりごちる程、さほど大きな違いを感じてはいなかった。

 しかし、日本の山に熊が生息するように、世界に獰猛な獣がいるように、この世界にだって人を捕食する獣はいる。むしろ多い。現に、銀二の背後には腹を空かせた獣が気配を消して忍び寄って来ているが、酔った銀二は一切気付くことはなかった。


「しっかしまあ、歩いたから腹が減ったな。足は痛いし喉も渇いたし、独り言増えるし、寂しいし」


 言いながら、銀二は喉の渇きを『魔王』で癒した。するとトイレが近くなり、そこかしこで小便を引っ掛けながら歩いたせいで、脱水気味になっていた。


「……水が欲しいな、さすがに」


 銀二は額に滲んだ汗を拭い、参ったね、と辺りに目を走らせ、コンビニを探した。

 

 あるはずがない。


「お?」


 耳を澄ませると、微かだが滝の音が聞こえた。

 音を頼りに獣道を外れ、茂みを掻き分けて行くと、そこには巨大な滝があった。

 高さは十五メートル程で、幅も同じくらい広い立派な滝だ。滝口で瀑布ばくふの飛沫が上がり、太陽の光を背にして虹を作っていた。当然といえば当然なのかもしれないが、この世界にも太陽があった。


 銀二は水面が輝く大きな川を眺めながらほとりを歩き、酒瓶をそっと置いて川に頭を突っ込んだ。冷たい川の水が酔った頭をしゃきっとさせる。水底まではっきり見える川には、太陽の光を反射して輝く、銀色の鱗を持つ魚が泳いでいた。銀二は水をがぶがぶと飲み、頭を出して一息ついた。


「あーうまい、これぞまさしく富士の天然水だ……川の水って飲んだらダメなんだっけな」


 生水はよくなかったはずだと、飲んだ後に思い出した。


「ま、飲んじまったもんは仕方ない。酒で胃袋を消毒しよう」


 銀二は魔王をごくごく煽り、濡れた襟を触りながら辺りに目をやった。

 

 人は水がなければ生きていけない。


 だからこそ、銀二は無から酒を生み出せる力ではなく、水を酒に変える力を選んだ。酒だけを飲み続ければ、遅かれ早かれくたばってしまう。酒はいい水があってこそ、バランスが大切だ。


「酒を飲んでれば死なない体も悪くなかったかもな。ま、水源は見つけたし、どうとでもなるわな」


 この川を下っていけば、村に辿り着くはずだ。

 そう眺めた川の辺に、人が倒れているのを見つけた。


「よかった。あの人に村まで案内してもらおう」

 

 人が倒れているのだから、いいはずがない。心配するのが先だろう。


 しかし、酔った銀二にそんな気は回せなかった。

 銀二は倒れていた人に近づき、「っげ!」と目を剥いた。

 倒れていたのは、出るとこ出ている金髪ショートカットの女の子だった。

 頭は小さく、顔立ちは整っていてとても可愛らしく、血色もいい。異世界と言っても人の姿は変わらないようでほっとした。ただ、獣の皮で作った衣服を纏い、よく見ると大きな矢筒を背負っていて、傍には見たこともない程大きな弓も落ちていた。

 

 歳は十七、八くらいだろう。


 銀二は素面しらふに戻らないように酒をがぶがぶ煽って酔いを深め、少女の傍に腰を下ろした。


「……外国の女の子は発育いいって言うけど、マジなんだな」


 のんびり倒れている少女を眺め、胸のふくらみや大きな腰つきに暫く見惚れた後、「いかんいかん、お助けせねば」と頭を振った。少女の首に指を当てて脈をとり、口の前に手をかざした。


 生きているし、呼吸もしている。


 気絶しているだけのようで安心した。しかし、安心している場合ではない。


「おーい、お嬢ちゃん? もしもし」


 頬を軽く叩いてみると、瞼の下で眼球が動いた。少し呻いて、眉間に皺が寄った。


「……水」可愛らしい声で、少女は言った。

「ああ、水ね、水、はいはい、どうぞお」


 銀二は少女の顎を掴んで軽く開けると、ドキドキしながら『魔王』をトプトプ注ぎ込んだ。

 少女はコクコクと酒を飲み、ぶふっと噴出すと同時に開眼した。


「うえええ! っぺあ! な、何じゃ今のは!」少女は元気よく飛び起きた。

「ごめんごめん、水って言われてうっかり酒を。気付きつけにいいかなって思ったんだけど」

「さ、サケ? あなた誰? え? うえぇ」


 口を拭って目線を寄こした少女の目はパッチリ大きく瞳は金色で、銀二はうっかり惚れそうになった。


「えーと、坂倉銀二、二十四歳です。日本生まれ、日本育ち、好きな物は酒です」

「サカクラギンジ?」


 イントネーションが微妙だが、言葉はわかるし、通じている。


「そう、銀二。あなたのお名前は?」

「私……私はアルコ。あなた、私に何を飲ませたの? んん、喉が熱い?」


 訊かれて、銀二は酒瓶を持ち上げた。


「ん? 魔王だよ、魔王」


 言うと、アルコは目を見開いた。


「魔王って、世界を支配しようとしてるっていう、魔王軍を統べる魔王のこと?」

「いやいや、魔王っていうお酒だよ。魔王軍ってゲームの話? 悪いんだけど、俺、アニメとかゲームにはちょっとうとくて、ドラクレならエイトまでやったかな? エフエフはセブンまで」

「……あなた魔王の手下なの? さっきから何言ってるのかよくわかんないし」


 アルコは警戒心をあらわにすると、途端に可愛い顔に似合わない険しい表情で睨みつけてきた。

 素早く立ち上がり、傍に置いてあった重そうな弓を取り、矢筒に残ったもりのような矢を抜いた。

 引かれた弓がきつくしなり、ギリギリと音を立てた。


「いやいや、ちょっと待ってって、話を聞いて」

「寄らないで! あなたの息、臭いわ! 魔物が人の姿に化けてるんだろ! この世界に、よくないものを運んできたんだろ!」

「そりゃ酒臭いかもしれないし、酒を運んできたかもしれないけど、よくないものではないと思うよ?」

「近づいたら、あなたの心臓を射抜くわよ! 私に何を飲ませたの! 言いなさい!」


 可愛い女の子にハートを射抜くと言われ、銀二はちょっぴりドキドキした。


「だから、お酒だよお酒、わかるでしょ? この世界にもあるでしょ? アルコール、飲んで気持ちよくなる飲み物、お父さんとか、お爺ちゃんとか飲んでない?」

「私はアルコ! アルコールじゃない! この世界にそんなまずい水はないわ! 毒ね! 毒を盛った水ね!」

「まずいって……」


 心外だな、と銀二は傷つきつつ、無理もないかと肩を落とした。

 こんな若い子じゃ酒の味も知るまい。とっても健康そうだし。

 しかし、言葉は通じているはずで、意味だってわかるはずなのに、酒を知らないなんてことがあるのかと疑問に思った。酒の存在なんて、自分は幼稚園の頃から知っているのに。


「まあとにかく落ち着きなって、倒れてたんだからさ」


 銀二に言われて、そういえばとアルコははっとして森の方へ鋭い視線を向けた。

 彼女の表情を見るに、あまりよろしくない状況のようだ。


「そうだ、ワグマヌが近くに」

「ワグマヌ?」

「あ、あえ?」がくりと、アルコの膝が折れた。


 これはまずい。アルコの顔が見る見るうちに赤くなっていき、目がうるんでとろんとしだした。足元もおぼつかなくなり、弓も矢も落として、息も荒くなってきた。本人がその違和感に一番戸惑っているようで、力の入らない両手を凝視し、擦った目を瞬いた。


「なんか目がぐるぐるする。ぎぼち悪い」

「おっとっとっと」


 倒れそうになったアルコを支えると、彼女は眉間に皺を寄せて銀二を睨んだ。


「やぱりぃ、ど、毒を盛ったなあ?」

「だから盛ってないって、これはね? お酒って言うんだよ?」

「うぅ――」わけわかんない、とアルコは眉間に深い皺を作った。

「で、ワグマンって何?」

「……ワグマヌはあ、私が狩ろうとしてたあ、森にいる獣でえ。凶暴だけどぉ、肉が美味い獣で。でも私は狩が下手なんですわ。弓が下手なんですわ」


 なんかギャルみたいな酔い方だな、と銀二は合コンで出会ったギャルを思い出した。


「でね? 私はそれを狩ろうと思って」

「それは聞いたよ。そのワグワグは危ない生き物なの?」

「弓があったんなくてねえ、わたし追っかけられたってさあ、川に飛び込んらんだよ。わたし泳げないんだよ! でもねえ、頑張ってあそこに上がったんだよ。わかる?」


 なるほど、と銀二はざっくり状況を理解した。

 そのワグワグという獣の狩りで色々あり、アルコは川へ飛び込んだ。

 しかし、アホだったのか、必死だったのか、泳げなかった。

 おまけに、ごつい弓を持ち歩いているクセに、弓が下手だという。

 そんな彼女はなんとか川辺に上がり、そのまま気を失ったと、そんなところだ。

 とすると問題は、アルコの言う凶暴な獣の存在だ。


「アルコちゃん聞いて、俺はただの人間なの、酒飲みなだけで、なーんにもできないの」

「……はは、ダメじゃん」けらけらとアルコは笑った。

「だから聞いて、そのワグワグが来たら、俺はどうにも出来ないわけ。だから、アルコちゃんの住んでる村? 町まで案内してくれないかな。俺が連れて行ってあげるから。それと俺、お腹が空いてるんだ」


 とろんとした目のアルコは銀二の声をじっと聞いた後、突然体を突き放すように押してきた。

 銀二は驚いたが、その動作に拒絶や警戒は感じられなかった。


「アルコちゃ――」

「っしぃ!」


 黙れとでも言うように睨まれ、銀二は伸ばしかけた手を引っ込めた。

 どうやら、自分の足で立つつもりらしい。生まれたての小鹿のように膝がガクガクしているが、なんとか気合で立っている。アルコは森のほうへ視線を向け、苦い表情で歯を食いしばった。


「アルコちゃん大丈夫? 吐く? 吐きそう?」

「ふぅう――ワグマヌ、ワグマヌ」


 アルコは首を振り、森の切れ目を指差した。

 恐る恐る目を向けると、そこには殺気を固めたような鋭い気配を放つ、大きな獣が立っていた。


「うわっ――酔ってて全然気付かなかったっ」

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