それは何を意味する?

「……っ」


 ふと、瞼に当たる眩しさに目を覚ます。

 上体を起こしたもののまだ頭はボーッとしており、まだまだ寝させてくれと体が言っている気がする。

 時間を確認するとまだ五時半……そりゃ眠たいわけだ。


「……………」


 眠たい……眠たいのに、かといって寝ようとすれば眠れないという何とも言えない時間が訪れた。

 寝そうなのに寝れない……そんな瞬間を行き来しながら三十分ほどが経過し、ついぞ眠れなくて体を起こした。


「……………」


 それでも相変わらず頭はボーッとしたままだ。

 だが、そんな俺の眠気を吹き飛ばす記憶――それは昨晩、菜月にキスをしようと言われた記憶だった。

 キス……まあそれ以上のことを咲夜からしようとか、好きにして良いと言われたこともあるけれど、ずっと一緒に居た幼馴染に女をこれでもかと意識させられる言葉を言われたのは流石に効いた。


「……ふぅ」


 結局、あんなやり取りがあったものの菜月は部屋を出て行った。

 彼女が今回寝泊りする場所は咲夜と同じ部屋で、特に騒がしさもなかったのでそのまま咲夜と一緒に寝たはず……菜月と咲夜が寝るって言うと漫画を思い出すけど、そういうことにならないのがこの世界線だからなぁ。


「トイレ……行くか」


 尿意を感じ、ベッドから出てトイレへ向かい……済ませた後に菜月と咲夜はまだ寝てるのかなと気になり、ドアノブに手を掛けようとして俺はハッとするように止めた。

 いくら自分の家だからってこの部屋に居るのは女の子……親しい仲にも礼儀ありって言葉があるように、流石にこれはない。


「……?」


 扉から手を離し、俺は扉が開いたままの自室へ目を向ける。

 何やら変な空気を感じ取ったというと不思議ではあるが、俺はそれに釣られるように自室へ……ここはもちろん俺の部屋であり理人の部屋。

 今までずっと過ごしていた部屋……。

 自分の部屋なのにどうしてこんなに不気味なんだ……? 電気が消えているから、という理由ではあまりに弱すぎる……そもそもさっきまで俺は無防備にリラックスして寝てただろ? それがどうしてこんなに嫌な気分になるんだ……?


「……っ!?」


 窓ガラスに反射する俺自身が薄らと見えた時、俺は肩を震わせた。

 そこに映る俺はまるで親の仇を見るかのように、憎しみに染まった目で俺を見ていたから。


『……ふざけるな……お前なんて消えてしまえ』


 何か声が聞こえたわけじゃない……けど確かにガラスに映る俺はそんなことを言った気がする。


「……ははっ、まさかそんなことがあるわけ――」


 一旦落ち着いて整理しようぜ?

 窓ガラスに映る俺……理人の姿だけど、俺の意図しない行動をガラスに映る俺がするわけないだろ?

 今の俺はトイレを終えてスッキリした顔をしているはず……だからあんな顔も強い言葉も口にするわけがないじゃないか。


「ちょ、ちょっと洗面台行ってみっか」


 もう少しちゃんとした鏡で自分の顔を確認しよう……っ。

 何かに背中を押されるような怖さを感じながら洗面台に向かい、鏡で自分の顔を確認する……おぉ良かった。

 前世と同じで特に冴えない男の顔だった……ってこれだと理人に失礼だったわ。


「なんだったんだ……?」


 さっき見えたもの……本当に俺の見間違いだったのか、それともただの気のせいだったのか……それにしても、この理人の顔があんな風に睨んでくると僅かにでも恐怖を感じたのは確かだ。

 あそこまで憎しみを滲ませた目は誰にも向けられたことがないから。

 しばらくボーッとしていると何やら騒がしい足音が響く……なんだなんだ!?


「敵襲か!?」


 この場所に奇襲を掛けるがごとくドタバタと足音が響く。

 思わず昔に見た記憶のあるウルトラなんとかのポーズをしながら、俺は身構え……そして血相を変えた様子の菜月と咲夜が飛び込んできたではないか。


「菜月に咲夜……? どうしたんだ?」

「理人!」

「っ……お前さぁ!」


 なんでそんな泣きそうなんだよ二人とも。

 二人の表情を見て慌てたのはもちろんだが、それ以上に二人をどうにか受け止めるだけで手一杯だ。


「どうしたんだ?」

「どうしたって……私にも分からないよぉ」

「……うん。なんでか分かんねえ……分かんねえよ」

「……………」


 分からない……か。

 いつもならこう言われるとなんだそりゃと言葉が出たに違いない……でもそう言えないほどに二人の様子が尋常ではなかったんだ。

 体を震わせる彼女たちはあまりにも小さな女の子に見えてしまい、俺は出来るだけ落ち着かせるように肩を撫でる……そして頭を撫でると少しだけ震えが小さくなっていく。


「理人が……居なくなっちゃう夢を見たの」

「あたしもだ……こんなに好きなのに、好きで好きでたまらないお前が知らない所に行く夢……帰っちゃう夢を見たんだ」

「帰る……ったく、何言ってんだよ。ここが俺の家だぞ?」


 そう、今の俺はここが帰る場所なんだ。

 ……そう、今の俺はな……前の俺だったら帰る場所は間違いなく、ここではなく前の世界……元々生きていた世界。

 ここが俺の家だと、そう伝えると二人は顔を上げてくれた。

 相変わらずの泣き顔だけど、ちょっとは安心してくれたみたいかな?


「菜月も咲夜も最近は俺を揶揄ってばかりというか、まさか夢くらいで二人がそんな風になるとは思わなかったな」

「それだけ……それだけ居なくなってほしくないんだよぉ」

「そうだぞ……頼むから絶対にどこにも行くなよ?」


 ……果たして、二人はどんな夢を見たんだろうか。

 結局、それを後になって聞いても俺が居なくなってしまう……それくらいしか分からないらしいけど、二人の涙を見てしまってはそんなことかよと笑うことも出来ない。


「そんなんじゃ俺が……いや」


 居なくなったらどうするんだよ……それも冗談で言えなかった。

 俺は……俺がもしも二人の前から居なくなったら、菜月と咲夜はどうなるんだろうと傲慢なことを考える。

 人間一人居なくなったところで心が壊れるわけでも、自らの生き方を見失うなんてこともない……きっと時間によって傷は癒え、昔の痛みを忘れて前を向き歩いていく……それが人間という生き物だ。


「理人ぉ」

「っ……」


 涙は止まったはず……それでも二人は離れてくれない。

 ずっと切なそうに俺を見つめるその目……こんなの、放っておけるわけがないじゃないかと俺を繋ぎ止める。

 俺は……二人に笑っていてほしい。

 俺として出会ったのはまだ数日程度だけれど、そんな願いを抱くくらいには菜月と咲夜を大切に想っている。


「大丈夫だ……居なくならないよ。居なくならないからさ……二人も俺がもしどこかに行ったら待っててくれ。きっとすぐに帰るから」

「ほんと?」

「嘘じゃないよな?」


 その言葉に力強く頷いた。

 ……なんか、フラグっぽくね? そう思えるくらいには、俺も心に余裕が幾ばくかあるのだろうか。

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