幼馴染ヤン覚醒?

 神崎の匂いがする……そう言われて俺は一体どんな反応をすれば良いと言うのだろうか。

 グッと顔だけでなく、体を近付けてくる菜月から距離を取る。

 だが距離を取れば取るほど彼女は間を詰めてくるので、そうなると最終的には部屋の壁へと追いやられてしまう。


「今の私……おかしいって思ってる?」

「……そりゃな」

「それじゃあさ……私にドキドキしてくれる?」


 ツンツンと俺の左胸部分を突いたかと思えば、壁際に追いやられて逃げられない俺の太ももの上へ彼女は座り……そのまま全体重を押し付けるように、俺へと体をくっ付けた。


(こ、これは……)


 まるで、神崎との行為が焼き直しされたかのような感覚……今までに見たことがない菜月の仕草と、神崎とのことを思い出し二重の意味で恥ずかしくなる……これはさっきの問いかけに対して、何かあったと暗に言っているようなものだ。


「別に神崎さんの匂いが分かるって言ってもね? 彼女に抱き着いたりして知っているわけじゃないよ? 何となく理人の体にこびりついている匂いが神崎さんじゃないかって思ったの」

「そんなことしたとは思ってないけど! だから匂いって言い方を止めてくれない!?」


 俺に体を預ける菜月はニヤッと笑い、大きな猫が飼い主に甘えるかのようにもっと体を擦り付けてくる。

 体のありとあらゆる部分を使うように、徐々に俺の理性というものを削ぎ落すかのように……ってあれ? ちょっと待てよ。


(俺はこの菜月を……見たことがあるぞ)


 こんな時ではあるが、鮮明に思い出したものがある。

 それは漫画で見た菜月の甘える行為……それこそ、今の菜月のしていることが神崎にしているものとあまりにも似通っていたのである。

 ただ行動が似ているだけで彼女の表情には確かな理性が宿っており……だからこそ緊張が凄まじいことになっている理由でもあるのだ。


「これ……くすぐったい?」


 菜月は俺の首筋に顔を当てる……もちろんくすぐったい。

 何かが這うようなザラザラした感覚を受けた時、俺はすぐ彼女の肩に手を置いて体を離す。

 熱い……体がとてつもなく熱い。

 まだ夏の時期ではないというのに、一日中外に居て蒸してしまったかのような熱さだ。


「やっぱり……私の期待した反応をくれるね理人」

「いやいや! 誰だってこんなことをされたらなぁ!」

「前の理人はね……私が傍に居ても、試しに手を繋いだりとかしてもそれが当たり前みたいな反応だったんだよ。私が傍に居ること、それが当たり前だって思うみたいに」


 それは……でも、確かに前の俺はそうだった。

 何度もこう思う度に俺であって理人なんだけど、とにかく菜月という幼馴染はずっと傍に居て当たり前だと思っていた。

 そしてゆくゆくは必ず結ばれるって、高校生にもなってそんな夢物語をずっと見てたいんだ俺は。


「そんな風に少しでも意識してくれた方が私は嬉しいよ。傍にあるのが当たり前のアクセサリーみたいに思われるより全然良いもん」

「菜月……」


 ……そうか、菜月はそんな風に考えていたのか。

 菜月が理人のことをうじうじした男と考えていたのは分かるとしても、そんな風に考えているとは語られていなかった。


(理人と一緒ならそれでも良い……でも、そうして当たり前に思われていたからこそ菜月は違うと思ったのかもしれないな。それで僅かな心の隙間に神崎が入り込んできたと……なるほどなぁ)


 転生した当事者になったからこそ、そして本来ではない理人に俺がなったからこそ菜月の口から語られたこと……なんだなこれは。

 ……あれ、でも少し待てよ。

 今彼女は少しでも意識してくれた方が嬉しいって言ったよな……それってつまりそういうことなのか。


「菜月……もしかして――」

「正直なことを言えば……私にもまだ分かってないの。でも今の理人のことを思うと心がきゅんきゅんして……誰にもあげたくないって思っちゃうの……そう誰にも……神崎さんにだって渡さない」

「……………」


 仄暗く……けれども絶対の意志を感じさせる瞳が俺を捉えた。

 まるで獲物になった気分にさせられた俺だが、彼女の言葉を考えれば恐怖よりもまさかという気持ちが強い……いや、ここまで言われるだけでなく行動もされて認めない方が馬鹿ってやつだ。


「理人、私はそう思ってる……けどあまり深く考えずに接してほしい。今の理人が私を特別に思わないことなんて分かってるから。それなら理人の特別に私がなってから答えを聞けば完璧でしょ?」

「……えっと」


 ドンッと鈍い音を立てるように俺の頭のすぐ横に菜月の手が置かれ、壁ドンのような体勢になり……菜月はゾッとするような、けれどもドキッとしてしまうのが悔しい表情でこう続けた。


「理人が私をこうさせたんだよ? かつて私が気になったあなたが帰ってきてくれた……しかも頼ってほしいって、大きな背中を見せるように言われちゃったらこうもなるよ――覚悟、してよね」

「っ……」

「もちろん嫌な気持ちになんてさせないからね? なんなら、確定的な関係にならずとも私を傍に置いてくれるならそれでも良い――ねえ聞いてよ理人、今の私ね……すっごく良い気分なの。見つけたんだよ、これが本当の私だってね。そういう意味では神崎さんに感謝しないと」


 そう言って菜月は再び、さっきのような体勢になった。

 舌なめずりをするように至近距離で見つめる彼女は、まるで空想上の生き物であるサキュバスのよう……怖いとは思いながらも、やっぱりドキドキしてしまうのは俺が男であるどうしようもない証だったのだ。


 ▼▽


「……はぁ~」


 大きなため息……ため息というには贅沢だけど、菜月の家で起きたことは俺にとって大きなモノだった。

 まあ、言動からもある程度察していたとはいえ……それを改めて突き付けられると不思議な気分というか、本当に俺のことなのかと考える。


「いやいや俺のことだよなぁ」


 自分のこと……なのに少しだけ不思議な気分が抜けないのはおそらく、俺なんかがと思っているからに他ならない。

 とはいえ菜月の言葉は全て覚えているので、俺が変わったように彼女もまた変わったということ……そしてそれは、これから俺が理人として生きていく上で幾度となく感じていくことのはずだ。


「俺にとって菜月は守るべき幼馴染……それは変わらない」


 この感覚は全くと言っていいほど変わっていない。

 守るべき存在であるということは汚してはならない……けれど、でもそれはあくまで一人の女の子を守りたいという気持ちからだ。

 菜月は俺が思うほど弱くはなく、ちゃんと自分を持った女の子……けど本当にあんな顔は初めて見たな。


「……くっそドキドキしたわ」


 現にまだ心臓が強く脈打っているほどだ。

 果たしてこれからどうなるのか……怖くはありつつも、これもまた俺が俺として動いた結果の世界なのかと思うとワクワクもある。

 俺はもう本当に前までの理人じゃないんだなと思いながら家に帰り、大切な話とやらを聞くこととなった。


「それで、大切な話ってなに?」

「まだ本決まりではないの。実はパパの仕事で二ヶ月ほどの短さだけど転勤になりそうなのよ」

「転勤?」

「そう。それで……どうしようかって話をね」


 なるほど……転勤かぁ。

 俺としては特に反対……出来るわけもないけどするつもりはないし、何なら父さんに母さんが付いて行きたいならそれでも構わない。

 前の俺なら色々とやることが増えるのでごねるだろうけど、社会の荒波に若干は揉まれた経験もあるからな……母さんの好きにしてもらおう。


「……本当に頼りになるわね理人」

「もっと頼りにしてくれても良いよ」


 なんたって人生二周目だからな!

 何度目だよって自分にツッコミを入れていると、母さんが意味深なことを口にする。


「理人のことは安心するけれど、もし良かったらあの子を誘うのも……少しでも離れられるなら悪くはなさそうだし」

「母さん?」


 何だろう……一波乱ある気がする。

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