第37話 裏切りは最強を蝕む
空間を支配するは春の生暖かい風。
幻想が辺りを優しく包む国内最大のメルレイヤ美術館は異様な空気に包まれる。
前衛的なデザインとまるで迷宮のような敷地の広さが人を誘い好奇心を刺激する空間。
休館日という人気が全くない状況にて生ける伝説は眉を顰めていた。
「これは……どういうことですか」
ユレアは目の前の光景に理解を示せない。
何事も起きていない状況、いつもと変わらない平和的な状況が視界には広がっている。
異変が起きた様子はなく数多くある美術品は残らずに無事であった。
「風紀委員長、これはどういうことか簡潔に説明をしてください」
「い、いや……確かに私の部下から美術館にて爆発と思わしき白煙が上がったと報告が上がってアイナ書紀にこの事実をッ!」
風紀委員長エドワードは部下と共にユレアの眼光に萎縮しつつも、嘘偽りがないという弁明を必死に行う。
跪きながら報告を行う彼の毛髪から溢れていく冷や汗は額を湿らせていく。
「その割には不気味なほどに何も起きていないのが現状ですが」
平和なことは何よりも良いことでありユレア自身もそれを一番に望んでいる。
だが今回ばかりは平和的状況という事実は彼女の思考に不安を過ぎらせていた。
爆破テロが引き起こされたという前情報を踏まえてこの地へと向かったからこそ目の前に広がる穏やかさは不気味を演出する。
「どういうことだい……爆発どころかボヤ騒ぎ一つもないなんて」
「アイナ、風紀委員達に辺りの捜索をさせなさい。ガセに踊らされたとしても不審な点が全くないとは言い切れません」
アイナも同じく何も起きていないという現状に疑問の顔を抱き、ユレアは命令を下して捜索を開始させる。
風紀委員達も大人しく命令に従い美術館の敷地内を隈無く探索していくがやはり異変らしい異変は見当たらない。
「髄分とトリッキーなことをするね裏切り者は。まるで僕達をからかっているみたいだ」
「エグゼクスを狙う……まさかその前提から間違った解釈をしていた?」
「どういうことだい?」
「現時点でバースなどから学園に異変が起きた情報もない。もしこの騒ぎが仕組まれたフェイクだとするなら私がいない段階でエグゼクスを狙い攻撃を仕掛けるのは必然です」
「なるほど……それすらも起きていない。だから裏切り者とデコンポーザーはまた別の何かを狙っていると」
メルレイヤ美術館のエントランス。
シャンデリアが周囲を照らす荘厳な空間にてユレアは違和感の数々とレッドが言い掛けていた言葉に推測を巡らせる。
考え込む姿でさえそこらの名画を負かす程の存在感を放つ彼女は聡明な知識をフルに活かしていく。
「裏切り者は何を狙ってるんだろうね、エグゼクスを出汁にするとか余程の美術品か、いやどんな美術品よりもあの魔導書は価値があるって話か」
周囲が騒がしく右往左往する中、若干顔を歪ませるユレアへとアイナが何気なく意見を投げかける。
「余程の存在……裏切り者はエグゼクスを捨ててまでそいつが欲しいってことかな」
「恐らくはそうでしょう、でもそれが一体何なのかは検討もつきませんが」
「……果たしてそれは物なのかな?」
「はい?」
不意に告げられた言葉に顔を下に向け考え込んでいた彼女は咄嗟に振り返る。
脳内で考えてもいなかった視点の考察はユレアの仮説を揺るがしていく。
「例えば生きてる物、伝説の魔族とかもしくは相応の影響力を持つ……人間か」
「人間ですか、つまりは誰かを狙った犯行であってこの行動もフェイク」
「そうだね、でもエグゼクスと対等に位置する人間なんてこの世にいるのかな? いたとしても……思いつくのは一人だけさ」
「一人……?」
違和感。
むず痒く悪寒が走る違和感。
纏まっていく思考はユレアを狂わせる。
「まさか……」
たちの悪い偶然かと否定の考察を構築していくがどれもこれも簡単に崩壊する。
それ程までに彼女が辿り着いた結論は全ての謎を解く力があったのだから。
大きく瞳孔を開かせながらユレアはエントランスから見える外の風景を視界に映す。
靡くそよ風、そして彼女は確信へと至る、
この騒動が何を目的としているのか。
何を狙い、何を手に入れ、何を破壊しようとしているのか……その全てが。
「裏切り者の狙いは……わた__」
静寂に響き渡った何かが突き刺さる音。
段々と煮え滾るような熱さに満たされていきユレアは自身の胸元を見つめる。
「えっ?」
赤黒い鮮血に染まっていく自らの胴体。
自らの肉体を心臓ごと突き刺した氷の刃は先端が左胸へと深く突き刺さっている。
呆然と立ち尽くす彼女からは血が止まらず対には脚部にまで到達していく。
誰が見ても分かる致命傷の一撃、脱力したようにユレアは膝から崩れ落ちた。
「そう、狙いは君なんだよ」
一刻も早く手当てを行う場面で命の灯火が消えていくユレアをジッとアイナは生き物を観察するように冷徹な瞳で見下ろす。
周りの風紀委員会も誰もその凶行に口出しをすることはなく、開かれた魔導書と共にアイナの右手には魔法を放った事を示すように冷気が漂っていた。
「ハッ……ハハッ、アッハハハッ! やったよ遂に生徒会長を殺れたよッ!」
エドワードはここぞとばかりに歓喜を発散し委員達からも大きな歓声が上がる。
誰もユレアの痛みに悲痛な感情を抱く者はおらず気味の悪い空気が辺りに蔓延する。
「流石は次期生徒会長、最後の最後まで学園全てを出し抜いたなんてッ!」
「君等なくしてこれは成功はしなかったさ、ご協力に感謝するよ風紀委員長エドワード、約束通り君にはより良いポジションを与えようか、君等部員を含めてね」
熱狂する彼らを横目にアイナは屍となったであろうユレアの元へ近付き蹲む。
自らが履く靴は鮮血によって底が痛々しい赤色へと染まっていく。
「残念だけど君がどれだけの聖人君子だろうと良く思わない者はいるんだよ。神をも殺せる強さ故にね。まっもう聞こえないか」
常時浮かべていた穏やかな笑顔も今となっては地獄よりも恐ろしい禍々しさを放つ形相でしかない。
人間であることすら疑わせるアイナの異様な雰囲気は空気を凍り付けていく。
「君の敗因は僕が無詠唱の発動を行える技術を認知してなかったことと僕を信頼し過ぎたことかな、愛しの姫君」
アイナはそっとユレアの瞼を閉じさせるように華奢な手を近付けさせていく。
何処か哀愁を漂わせる表情を浮かべながら自らが手に掛けた相手の死を弔おうとした腕に掛かったのは……握られる感覚。
「えっ?」
二度と動くことない美しい肉の塊だとばかり思っていた手は力強く腕を握り締める。
同時に引き起こされたのは空間を切り裂く風と共に放たれる刃の乱撃。
無造作に放たれた魔法は数人の風紀委員を壁へと激しく叩きつけていく。
血塗られた身体を起こした存在は肉体ごとアイナを上空へと投げ飛ばす。
「……驚いた、毒を付与したの氷刃の魔法を心臓を突き刺したというのに」
咄嗟に身を捻らせ体勢を立て直し着地したアイナはユレアの肉体に刻まれた傷を視界に映し驚愕を示す表情を浮かべる。
誰もが生気を失ったと思い込んでいた存在はユラユラ立ち上がると同時に睨むその血まみれの姿は相手を威圧するには十分だ。
「なっ、馬鹿な何故動けるんだッ!?」
風紀委員会の心には恐怖が植え付けられ勝利を確信していたエドワードも無意識に逃げるように後退る。
「……私の落ち度ですね。この惨状を招いてしまったというのは」
立ち上がったユレアはゆっくりと上体を前へ倒していく。
まるで糸の切れた人形のように無惨な姿勢だが彼女の溢れ出る殺気は見る者の心臓を鷲掴みにした。
「クソッ!? 何処まですれば死んでくれんだよお前はさッ!」
酷く顔を歪ませながら憤り息の根を止めようと魔導書を開きかけたエドワードへと襲いかかったのは鋭い衝撃。
彼が詠唱を行うよりも遥かに早くユレアの拳が捉え鼻の骨を砕きながら吹き飛ばす。
「お"ぐぇぁッ!?」
人体から発してはいけない痛々しい音が響き渡り口から大量の血を流しながらエドワードは驚愕のまま吹き飛んでいく。
まるで時が止まったかのように誰も動かない空間、仮にも治安維持の要である風紀委員の長を一撃で葬った事実は理性を蝕む恐怖を周囲へと与える。
その光景を表す言葉は蹂躙。
完全に萎縮した相手を蹴散らすことなど現代を生きる最強は容易であり次々と容赦のない攻撃の餌食となる。
最高峰の魔法と類まれなフィジカルからなる二つの驚異は一切の反撃する隙を与えず地面へと這い蹲らせていく。
悪魔に相応しい圧倒的な存在に圧され数的優位な状況は直ぐにも覆される。
「君は不死身か何かか……? 何故まだそんなに動けると言うんだい」
「まさか私が魔導書の無所持だけの芸当しか行えないとでも?」
「ッ! 魔導書の不使用と無詠唱の混合……驚いた、そんな芸当まで出来るなんてね。心臓を突き刺した際に君は既に回復魔法を発動させていた訳ってことか」
自らが使役する風紀委員会を失ったアイナは額から冷や汗を溢すと人間離れを極めるユレアに苦笑いを浮かべる。
「しかもかなりの猛毒魔法を刃に仕込んだのに君は動けている……今も永続的に回復魔法を無詠唱で放っているのかい?」
「心臓を突き刺したくらいで私が死ぬと?」
「……化け物が」
この場面を目にしても尚、アイナの瞳に迷いというのは見当たらない。
学園を欺き、殺人へと手に掛ける凶行を見せた裏切り者と死を知らない最強は互いに瞳を交差させた。
「何故……このようなことを? 私を、この学園の全てを裏切ったというのですか」
底から湧き出る怒りをどうにか押し殺して言葉を紡いでいることは誰が見ても察せる。
若干蹌踉めきながらも問いかけを行う彼女へアイナは薄っすらと笑みを捧げた。
「そうだね〜この学園を支配したいから、この世界を僕のものにしたいから、その二つもあながち間違いではないさ。でも一番は」
行動の真意は何処にあるのか、一拍を置いて発された言葉こそが凶行を躊躇わない存在の真実であった。
「君を……狂おしい程に愛していたからさ」
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