5月 Menuet k.1
第11話、現実を見据えた青い瞳
「それなら、俺はここにいないよ」
子どもの頃、何をやっても上手くいかなくて、説明できなくて。そんな時に母さんが作ってくれたパンケーキは僕には塩辛かった。
16歳で指輪一つ残して母さんが死んだ。一人になった僕は村を飛び出して仕事に就いた。寮がある仕事なら何でもよかった。
なんでも屋のように仕事をして、なんとか生き抜いてきたけど、あのパンケーキがずっと、忘れられなかった。
そして、18歳のときに受け取った成人式の案内。でも、大人になって何をしよう?生きることに精いっぱいで選択することを理解できなかった。
「興味ないね」
そう、俺には正直にわからなかった。
この先のことも、自分のことも。
ただ、成人式の案内を見ていて思い出したのは「パンケーキ」だった。
「何となくできそう」そんな気がして。
だから俺は料理人を志した。
緑一面の牧草の丘は低い石垣で囲われ、その石垣すらもすでに年代物となり、自然に同化している。
雪がない地方独特の浅い勾配の屋根に、漆喰の白い外壁。濃いべんがら色の窓についている扉がひときわ目に残る。
サン・セバスティアン
スペインバスクの主要都市の1つであり、港湾都市。ビスケー湾に面した映画祭などでも有名なこの都市に俺はいた。
「Hola」
俺は調理師学校に入校した。本当はパティシエになりたかったけど、人に使われるのは嫌だった。
周囲になじめない孤独や虚しさは理解している。だから、独立できる仕事がよかったのもあった。
調理師学校生活は楽しかった。はじめは本当に何もできなくて、今考えれば「惨状」としか言えないけど。
同級生たちと切磋琢磨しながら、学園祭の出し物で女装させられたりもしたけど、調理技術を学んだのはいい思い出だ。
それから無事に卒業が決まり、就職先を探していたところ、何でも屋時代の先輩が、大手料理会社に口利きしてくれた。
「ホテルのスペイン料理とかさ、流行りそうじゃん」
口利きでホテル部門のスペイン料理の料理人に採用が決まったことについてそう表現した明るい声で青い瞳の先輩は、俺を会社に紹介してくれただけでなく、会社の研修プログラムに推薦してくれた。
毎年、新人でも見込みがあるとされれば選ばれるこの研修に参加できたのは嬉しかったし、あとから見たら、俺の運命を変えた。
そんな新人研修兼ねて初めて行ったスペインは、何もかもが明るくて、ビビットで「興味ない」なんて言ってられなかった。
その中でも気になったのは、バスク地方を巡った時に入った店だ。
マイクロバスで入っていく小さな村にある、密集した箱型の民家のひとつがやっている小さな食堂。食堂の裏側は細い水路で水車が「からころ」と音を立てていた。
そんな田舎町の食堂は正面に暖炉が据えられ、赤銅のシチュー鍋と琺瑯鍋が暖炉の上で保温されていた。
「バスク料理というものは実はないんだよね。ヨーロッパの昔ながらの料理が保存されているっていうのかな、基本的に塩味しかないんだよ」
一緒にいたガタイのいいおっさんが教えてくれた。おっさんには小さな娘さんがいて、休みの日は一緒に菓子作りをしているって言うから、簡単な菓子について教えると喜ばれた。
年季の入った琺瑯鍋の中にはオイル漬けのウズラ、シチュー鍋にはエスツェカリという野菜スープが入っていた。
本日のランチ10€80¢。
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