1月 energy flow
第4話、スケッチブックの「Claude Debussy」
「I wanna thank....」
くだらない。人が人を評価できるはずがない。ラヴェルやベートーヴェンを聞きかじったぐらいで音楽を全部分かったかのように振る舞う醜悪さに辟易する。
黒いピアノに反射する、俺の醒めた顔と俺以外のスタジオミュージシャン達のへらへらと媚びへつらう顔。
「次、ピアノに代えてシンセサイザーで試させて」「あ、はい」
俺は手っ取り早く金になるから弾いてやるだけで、この音色に意味はない。単なる棒弾きをありがたく思う凡弱のお山の大将が。
黙ってピアノから立ち上がって帰ろうとすれば「あ、ピアノさん30分、休憩どうぞ。次は0時に再スタートでーす」。
ああ?ここから更に30分で何が変わる?
今夜、俺を付き合わせるだけの価値ある修正がお前にできるのか?
この国の人間は外国人に弱い。金髪碧眼だったらなんでも有難がってスターにしてしまう。
大衆は本当に聴く耳がない。演奏を聴く実力すらおぼつかないから、俺たちはこいつらに「黄色いサル」と呼ばれるんだ。
苛々する。椅子にあったジャケットを引っ掛けて、喫煙しに屋上に向かう。
ずっと学んできた現代音楽の聴衆は日本に数百人もいない。俺が求めるのは名声。俺の音楽で世界を変えたい。ポップミュージックがいけ好かないわけじゃない。だが、ただ受け狙いの音楽を弾き、金で俺の音楽を消費させられるのは俺の生き方としてふさわしいのか。
「・・っ」
静電気が走る。ひるんだ指先をもう一度、ゆっくりとドアノブに押し当てる。
そのまま冷え切ったドアノブを回して外へでた。
そのまま深く息を吸い込めば、冷たい空気が体に流れ込む。
垂直方向に離れた街中のノイズが、世界それ自体の音に溶け込んで五感を彩っている。
この世界は音に満ちている。
この様々な音に主旋律という指向性を与え、その振る舞いを五線譜に落とし込めば「音楽」になる。
そう、世界は「音楽」で満ちている。
その漂う音を、水を掬うように限られた
なんとはなしに、手すりに寄りかかり、箱から煙草を一本取りだす。
電子タバコにはない熱が凍てつく空気を溶かし、ジジジと音をあげる。
電子タバコは好きじゃない。
如何にも人が人の五感を騙すために作り上げた代物な感じが好ましいとは思えないから。
時間という一方向の流れに合わせて、いくつかキーとなるタイミングで肝となる音を合わせる。
それは複雑な和音を取る時もあれば、楽器ごとに異なる音階を作り上げることもある。
タバコの煙が拡散していくのを遡っていくと、俺の手に辿り着く。
有害物質がいっぱい詰まったはずの煙という気体は、俺の手で触れられない。だが、その気体の中でも最も軽い水素原子は酸素原子を媒体に重なり合うことで、手で触れられる、緻密な質感のある「水」を成す。
人が後から発見しなくとも、世界には法則があり、この自然界の原則に合わせて音を構築すれば、不協和音にならずに、この世界に流れる
ただそれだけにすぎない。
靴先がすり減り始めた足元から少し先の闇の中。流れてきた電子楽器の音は・・・「彼」の音楽か。指慣らしの試奏だろう。
俺より若い、大学を卒業したばかりだというスタジオミュージシャン。シンセサイザーの演奏者だが、演奏自体は上手くない。
俺とは違う大学らしいが、学術的に、体系立てて音楽を学んできたのだろう。
特にリフレインと打ち込みのタイミング、聴衆の耳の持っていき方に影響が強くみられる。確かにわかりやすくキャッチーでつい口ずさみたくなる軽快さがあった。
だが、彼の作り出す音楽は、あの鍵盤に触れるタッチで音の強弱や震えが決まるピアノと異なり、はっきりと音が決まっているサイエンスフィクションな楽器に相応しい主旋律1つの単純な音で、俺にはそれが「音楽」になるとは思えなかった。
手すりから一歩先は、灰色なコンクリートが途切れ、青色混じりの黒色が視界を塗りつぶしている。
ビルの隙間をすり抜けていく風の音が下方から聞こえてくる。ビルにぶつかった風のしぶきがここまで届き、一緒に電子音を運んでくる。
それがまるで、音楽に強弱をつけているようで、いやにみずみずしく聞こえる。
彼の演奏は、俺の敬愛するドビュッシーの音楽の特徴である二つ以上の旋律が絡み合い複雑な色彩を音楽で表現するように、一つの主旋律にも関わらず、きらきらとした色を振りまいていた。
気に入らない。
どこか苛立ちを感じたまま、足でリズムを取り、白い紙巻煙草を宙に振るう。
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