第3話、look of love
木目調メインのカフェ。ソファはありませんが木製の椅子とセンスのいいデザイン雑誌や雑貨に囲まれていて、過ごしやすい雰囲気です。
「お待たせしました。」
こちらは静かな声の店員さん。そのまま一口飲んでみると「あら、美味し。」店員さんは嬉しそうな笑顔を向けてきました。
「マスターの淹れるコーヒーで、ブラックならのおすすめです。」
店員さんの視線に促されて顔を向ければ、気難しそうな顔をしたマスターが「武器よさらば」を読んでいました。
「どうぞ、ごゆっくり。」
美味しいコーヒーに静かな時間。ゆっくりと仕事の緊張がコーヒーに溶けますが、壁の時計は約束まで残り1時間を指しています。そろそろ行かなきゃ。
「ごちそうさまでした。」
階段を降りて外に出ると、2人組の外国人が階段入り口付近で困っている様子でした。
「Hello. May I help you?」
私の呼びかけに、人好きのする笑顔に底冷えするような目の南欧系の青年と、見るからにアメリカ人という少し垢抜けない青年がこっちを向きました。
彼らはどうやら道に迷ったようです。
携帯をお借りしてGoogleマップで道を表示します。
満面の笑みで「Thank you!」と言ってくれたのは南欧系の人なのに、感謝の形に握手を求めてきたのはアメリカ人だったのが印象的でした。
さて、今日約束のお店がある「麻布十番駅」へは「新宿」からだと、一度「都庁前」に移動する必要があります。相変わらず、変わった乗り換えです。
都庁前の乗り換えホームへ向かう途中、前方から少し間延びした話し方で、電車に関して滔々と語る声が聞こえてきました。
そのまま階段を降りると、柔らかな声で夢中になって話す若者と、楽しそうに聞いているどこか浮世離れした感じのするおじさまが見えます。先生と書生というのがピッタリな大正ロマン in 令和な2人組です。
先生の鞄にはうさぎのキーホルダー、学生は手に「今昔物語集」。泉鏡花と谷崎潤一郎が現世に再臨。もう、今から乗るのは電車じゃなくて汽車だった。
『都庁前~』
普通に電車がきました。しかし、誰かを待っているのでしょうか?彼らは乗ってきませんでした。
麻布十番駅の出口の右手にオレンジ色の東京タワーが見えました。街中はクリスマス一色ですが、麻布十番会館からは少し早い第九が流れていました。
おや?この演奏は新しい指揮者に率いられた著名な楽団の演奏ですね。
新しい解釈での公演は日本でも話題になりましたし、わかっている古典でもまだまだ新しい試みは可能だと考えさせられました。
彼から指定されたレストランは、とても温かな建物でした。全体は無機質な直線を材質の温かさで中和しながら、細部は逆に特徴的な曲線を描くように切り出されている不思議な建物です。
そのまま近づけば、とても美味しそうな匂いがします。
『カラン』
「いらっしゃいませ。」
声をかけてくれたのは銀色の長髪に長身痩躯のウェイターさん。予約名を告げて中に入ります。
まだ店内は私だけのようで、そのままウェイティングバーで待たせてもらいました。
「スコッチをお願いできます?ストレートのシングルで。」
「かしこまりました。」
入口正面の暖炉には写真とサイン。気になったので聞いてみると、この建物の建築家さんなんだそうです。
今は日本にいないそうですが、この建物の設計で著名なコンペに勝ったとのこと。そういえばニュースで見たことあったかもしれません。
写真には影で顔の半分が見えないのに、眼光鋭いとわかる華奢な人がひとりでこの建物と写っていました。
料理人ひとりとソムリエ兼ウェイターひとりの小さなお店。ソムリエさんがオーナーさんなんだそうです。金髪の料理人さんは優し気な笑顔の人でした。
『カラン』
「いらっしゃいませ」
やってきた彼はとても疲れているはずのに、変わらずに軽快で、さりげなく席に誘ってくれます。
「遅くなってごめん。こっちから誘ったのにすまない。まだ、一緒に過ごす時間は残ってる?」
冷たくも温かい石の空間を流れるのは、戦場のメリークリスマス。
静かに降り注ぐ音色は二人を柔らかく染め上げ、ミントのような爽やかさでクリスマスの魔法を降りかける。
先輩からしたら単なるゼミの後輩でしょうが、あの頃は憧れでしかなかった先輩からのお誘い。
特別な日。
出会えた奇跡を祝って。
「ほんと待たせてごめんね。」
「いえ、楽しかったですよ。普段来ませんから。」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。」
「本当に気にしないでください。ここはいいスコッチもありましたし。」
「うん。だからこの店にしたんだ。」
「ありがとうございます。覚えていてくれて嬉しいです。気を使わせてしまいごめんなさい。」
「いや、僕もこの店、気になっていたんだ。」
ふたりの前に、琥珀色が揺らめいています。
「じゃあ、これからの素敵な時間に。」
「はい。お疲れ様です。」
チリン
重なったふたつのグラスが鈴のような音色が響かせる。
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