第19話  故に

 今回の話はちょっと重いかもしれません。

 読みたくない人は飛ばしましょう!















 Side ???

 

 覚悟を示すとは、どういうことなのだろうか。

 私にはきっと分からないだろう。

 「一体どうすりゃよかったってんだい…?」

 あの子を残して、夫が蒸発した。

 しかもこのご時世にどデカい借金を残して、だ。

 数ヶ月前の合う機会が少なくなってきた時に少しでも怪しんでいれば良かった……。

 ある程度の蓄えはあるが、まだまだ赤子のこの子のことを考えるとそうそう持ちはしないだろう。

 育てる合間の時間は殆ど仕事に注ぎ込んではいるが、夫が蒸発したと知れ渡れば立場も悪くなる。

 そうなったらどうするか……。

 あぁもう。

 どうしてこんな事になったんだ……!




 夫が蒸発して一ヶ月が経った。

 結局、その事が仕事先の会社にバレてしまった。

 ウチの仕事先は縁起を気にする会社だから、まぁ仕事はじきに回って来なくなるだろう。

 というか既に辞職表を叩き付けて来た。

 履歴書に書くんだったら自主退職の方が聞こえがいい。

 さて、何とかして次の仕事を探すしかないか……。

 蓄えからして一か月が限度。

 最悪はお水かねぇ。




 夫が蒸発して2か月。

 まぁ案の定新しい仕事先は見つかることもなく、貯蓄が底をついた。

 そもそもこの狭い世界の中じゃプライバシーなんてあったもんじゃないからなァ。

 こっちの不祥事も大体わかってますってか。

 出来ればやりたく無かったが、この子もいるからなりふり構っていられない。

 面接の申し込みのために、私はスマホを手に取った。

 「面接申し込みですか?」

 「……はい。よろしくお願いします」

 面接は明日。

 結婚記念日であるはずの日だった。

 



 「本日はよろしくお願いします」

 「あぁもうそんな畏まらなくていいよ!取り敢えず座ってねー」

 「はい、失礼します」

 外から見るとピンクネオン塗れのけばけばしい外観だったのだが、室内に入ると一転して白を基本とした大人しい色で構成されている。

 どっちかに特化したらどうなんだと思わないでもないが、雇われに来た側なので心にしまっておこう。

 「さて、●● ●●●さんで間違いないですね?」

 「はい」

 「りょーかい。さて、まずは貴方の要望から聞いておきましょうかね」

 「……?あの、失礼かもしれませんが、審査などはしないのですか?」

 ため息を吐いて座っていた椅子から立ち上がった審査員は、そのまま私の後ろに回り込んできました。

 「そのまま前を向いていてください。……鏡が見えるでしょう?あなたの今の姿は何点だと思いますか?」

 「……60点くらいでしょうか?」

 「うん、合格」

 「え?」

 試験おーわり、と呟いて椅子に戻る審査員。

 今ので一体何が分かったというのだろう。

 「失礼だけど、私から見てもそんくらいなんだよね。自分の価値や境遇をしっかり見据えることができてるって事だし、そういう認識はしっかりしてないとこの業界でトラブルに巻き込まれちゃうしね」

 ……すこし見直した。

 正直な所、服装がしっかりとしたスーツでも喋り方とにやついた顔をしている所為で途轍もなく胡散臭かったんだよねぇ。

 「ま、そういう事で。君がどういう事情を持ってんのかは分からないけど、働くならそれなりの環境を作れるよ。君の要望はどんな感じかな?」

 「はい。その、私にはまだ独り立ちできない子がいます。その子の事を……お願いしたいのですが……」

 「あーはいはいなるほどね、よくある事だからそこら辺の対処はしっかりしてるよ。その子はまだ乳児?」

 「はい、そうです」

 「ん、了解了解。取り敢えず提携してる託児所あるから、そこに無償で入れるけどどうかな?」

 「ぜひお願いします」

 何故だろう。

 何で今までのどの仕事場よりもここが優しいと感じてしまったのは。

 一番忌避していたはずの仕事なのに。




 この仕事を初めて8年経った。

 仕事の具合もだいぶ年期が入るようになっちまった。

 あの子とだいぶ成長して、自分の事もある程度は自分でやってくれるようになった。

 帰る時には寝ていることが多いが、起きている時に会うと構って欲しそうに周りをうろちょろしだすから可愛いもんだ。

 夫に関してはもう諦めた。

 ただ、あの子にも父親がいた方が良いのかなと思った。

 「今日これから空いてる?」

 一仕事終えた後にそう声をかけてくる男。

 その声色は優しく、こちらを労る心が透けて見える。

 信石兵蔵のぶいしひょうぞうという名を持つその男は、私の常連の一人である。

 そして、私の新しい夫でもある。




 「お帰りなさい。……その人は?」

 「そろそろあなたにも紹介しておこうと思ってね。私達の新しいお父さんよ」

 そう言われてもとでも言うかのように首を振る。

 確かにその気持ちは分かる。

 唐突に新しい父親が来ても、母子家庭のスタイルで慣れている以上違和感しかないでしょうね。

 でもきっと、貴方のためになることなの。

 「すぐに慣れろとは言わないから、少しずつ、家族として付き合っていきましょう?」

 「よろしくね?」

 差し出される兵蔵の手。

 ……選択肢なんて、元から無いようなものね。

 回避不能の歪みが正しいモノであることを祈りながら、我が子と新しい夫の握手を眺めていた。




 あぁ、イライラする。

 いくら抑えようと思っても、どうにも止まることが出来ない。

 我が子と兵蔵さんが初顔合わせをしてから……大体1年くらいか?

 あの数カ月後、私達は同棲をすることになった。

 だいぶ資産を持っているらしく、「専業主婦になって一緒に家で暮らしてほしい」と言われた。

 それが間違いだったのだ。

 長い間お世話になった仕事場を辞し、同棲して一ヶ月は優しくしてくれたが、そこを区切りに粗暴になっていった。

 暴言暴力は当たり前、この前なんて「お前はただ仕事やって股開いてればいいんだよ、俺に感謝しろ!」だと。

 本当に、本当にぶん殴りそうになったが、あの子の養育費を払ってくれているのは兵蔵だ。

 だから耐えた。ただひたすらに。

 そんな日々を繰り返していると、我が子へのイライラが溜まっていった。

 その日は、兵蔵からの暴力で家事が回らないときだった。

 あの子は、同棲を始めたときより、何でも出来るようになっていた。

 私がやり切れなかった皿洗いをやっている姿を見たとき、何か胸騒ぎがした。

 私の心に巣食うそれは、我が子が家事をこなしていく毎に膨れ上がり。

 最後の一枚を洗おうとした瞬間、乾いた破裂音が響いた。

 その音は、私の心が爆ぜる音だったのか、それとも頬をはたいた音だったのか。

 ガシャァァァン、と。

 ガラスの割れる音は、果たして皿か彼の心か、どちらの音だったのだろうか。

 分かるはずもない。

 ただ一つ分かるのは、私が我が子の事を叩いた。

 それだけだった。




 同棲を始めて3年。

 DVは益々ひどくなっていった。

 それをそのまま写すかのように、我が子への暴力も止められなくなった。 

 あの頃の、私が守りたかった我が子に戻ってほしくて、それに沿わない行動をしてほしくなくて。

 そう思うたびに、頭を叩き、頬をはたき、罵声を浴びせた。

 それがきっと、我が子にとっての最善だから。

 私のような人生を送らないで済むから。

 そしてその日も、暴力を振るっていた。

 珍しく兵蔵が外出していて、二人だけで家にいた。

 「だからアンタは……ッ!!」

 腕を振り抜く。

 鈍い音と共に倒れる影。

 少しずつ身長も伸びて来たそれは、暴力に対して全くの無抵抗だった。

 「これ全部やっときなさいよ、いいな!?」

 「……はい」

 返事を確認して、背を向けて寝室へ向かう。

 ……頭が痛い。

 軽い衝撃が背後からやって来た。

 少しの痛みと、力が抜ける感覚。

 温かい液体が背中を撫でていく感覚で、私は刺されたのだと気づいた。

 頽れる私と、包丁片手に立つ我が子。

 一瞬にして逆転した構図に、しかし私はそんな事など気にもせず。

 ただ、我が子の目だけを見ていた。

 その黒い瞳は、何も見ていなかった。

 その黒に呑まれるまで、言葉すら交わすことはなかった。

 それが、どうしようもない私達の関係の答えだった。

 














―――――――――――――――――――――――

 人ってね、本当に相手を殺そうと思ったら、相手と自分しか見えなくなるんですよ。


 ちなみに、この物語のテーマは「誰も悪い人を作らない」です。

 

  

 

  




 







 

 




 

 

 

 

 




 

 

 

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