第11話
私に色を与える作業は手術を必要とせず、いつも通りソフトウェアの調整だけだったから、たいした時間はかからなかった。
黒目の横にある端子にケーブルを繋ぎ、いったんカメラをオフにする。そしてしばしの暗闇のあと、より鮮明度を増した視界が戻って来た。
今回の視界は、格段に細かいところまで見えるようになっていた。これまでカクカクしていた輪郭が、明らかに滑らかになっている。
そしてなによりも、そこには本物の色があった。
こんな風なのか。
世界はこんなにも色にあふれているのか。
私は色のついた世界を見たら、泣いちゃうんじゃないかと思っていた。
でも実際は、それどころじゃない。
口の中が乾いて、からからだった。
息が荒くなって、もう少しで過呼吸になるところだった。
強く握った手の中で、爪が深く食い込んでいた。
「大丈夫?いまケーブルを外すから、目を閉じていていいわよ」
香月先生は手際よくケーブルを外し、端子の上にゼリー状の膜をかぶせて塞ぐと、瞼を拘束する器具を取り払った。
私は目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
頭の中に、いま見たばかりの部屋の様子がありありと浮かぶ。カーテンを閉められた部屋の壁が、迫って来るように感じられた。
あまりにも見え過ぎて、あまりにも色があり過ぎて、怖いほどだった。
私は勇気を振り絞って、もう一度目を開けた。
色も世界も、消え去ることなくまだそこにあった。
「見えます」
私の声は、かすれていた。
私は香月先生の方を見た。
目や鼻や口はぼんやりとしたシミでしかなかったけれど、香月先生は髪の長い、素敵な人だった。唇は、ほんのり紅い気がする。
その唇が動くのがわかった。
「ここから先は、視神経と脳が慣れれば慣れるほど、ますますよく見えるようになるわ」
これ以上見えるようになるのかと思うと、気が遠くなるような気がした。
だけど、香月先生がこちらに向けている顔。
これが、笑顔。
ぼやけているけれど、見ているだけでとても幸せな気持ちになれる表情だ。
「もちろんメンテナンスは必要だけど、センサーと神経のマッチングはいいし、データの伝送も順調だから、大きな問題はないでしょう。
でも無理はだめよ。健吾先生から、注意するように重々いわれてるから」
私も笑顔になってみた。香月先生みたいに笑えているかしら。
「大先生も健吾先生も、大げさなんです。私、そんなに無謀じゃないですよ。それに、いまはそれこそ目がくらんじゃって、動けそうにありません」
「一週間くらいはまた検査漬けになるから、ぜひとも動かないでいて欲しいわ。
でもね、大先生も健吾先生も、あなたのことを本当に心配していたわよ。大先生なんて、「わしの目でよければ、くれてやるんだがなあ」とまでおっしゃってたわ」
そんなやさしいこと、私にはいってくれたことがない。いつもは検査に行っただけで、こっぴどく罵詈雑言を浴びせられる。
でも、わかってた。私は大先生からしたら、孫のような存在なのだ。
「先生たちには、早く報告したいです」
「それに、彼氏にもでしょ」
香月先生は腰に手をあててにやついている、と思う。
「はい」
「ああ、親不孝な娘だわ。普通はご両親に真っ先に報告するでしょうに」
今度は手をおでこにあてて天井を仰いでいる。
楽しい人だ。
「す、すみません。そうでした、すぐ電話します」
私は慌てて携帯を探した。
でも本当は、両親にはもう昨日の夜のうちにメールを送っておいた。
電話じゃ恥ずかしいから。
『明日、いよいよ本格的に目が見えるようになります。
もしこれから先、これ以上見えるようにならなくても、あるいはなにかの拍子にまた目が見えなくなってしまうことがあっても、私はお父さんとお母さんに感謝しています。
中学生のとき、ひどいこといっちゃってごめんね。
ずっとごめんねっていえなくて、ごめんね。
じゃあ、おやすみなさい』
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