第7話

 翌日、私は彼のカウンセリングルームを訪れなかったし、彼も私の病室に来なかった。

 その代わり、大先生から直々にお呼びがかかった。

 ああ、また怒られる。

 松浦さんにあんな風に当たっちゃったから、もうさじを投げられちゃったのかも知れない。

 大先生の診察室には、健吾先生もいた。二人揃ってとなると、これは相当な一大事だ。

 案の定、大先生は「松浦君から聞いたんだが」と切り出した。

「視力回復に、だいぶ興味を持っているようだな」

 私はもともと視力がないんだから、回復ではなくて獲得だ、と思ったけど、そんなことより私は彼が私のことをどう話したかの方が気になる。彼の目に、私がどんな風に映っているかの方が。

 健吾先生が、大先生の言葉を継いだ。

「僕の友人が大学病院で人工視覚の研究をしていてね、簡単にいっちゃうと、カメラで撮った映像を直接脳に送り込むというものなんだけど、臨床試験に協力してくれる人を探してるんだ。

 うまくいくとは限らないし、うまくいっても初めて見る世界に対処出来るかどうかわからない。

 その点、ひかりちゃんは精神的にも強いし、好奇心も旺盛だ。ただ前からずっと、目が見えなくても不満はないっていってたから、松浦君に頼んでちょっと探りを入れてもらったんだ」

 探り、あれが?

 あれは探りなんてものじゃない。さんざっぱら興味をかき立てられて、私は生まれて初めて目が見えないことに苛立っている。

 人がどこそこの景色がきれいだったと話しているのを聞こうが、自分がものにつまずいて転ぼうがなんとも思わなかった私がだ。

 松浦さんは、優秀なカウンセラーだ。私はまんまと乗せられた。だけどカウンセラーが、こんな風に人の心を操っていいものなのか。

「それで、どうかな。一度検査だけでも受けてみたら」

「そんなこと、急にいわれても」

「うん、すぐに答えてくれとはいわない。向こうも、気長に探してるようだから」

 私は、考えさせてください、といって病室に戻った。

 戻った病室から、検診や投薬のために一人二人と姿を消していき、とうとう私一人になったとき、松浦さんがやって来た。

 今度彼に会ったら、私はすぐに謝るつもりでいた。

「健吾先生に聞きました」

 この間は、ごめんなさい。

「私に色を教えたのって、このためだったんですか」

 広がっていく世界に手が届かないのが、怖かったんです。

「やっぱり先生にいわれて、毎日付き合ってくれていたんですか」

 あなたと同じものが見えないのが、寂しかったんです。

「いや、そうじゃないよ」

 私はわがままで、あなたにそれをぶつけていました。

「だって松浦さんと話をしなかったら、私、こんなに色が見てみたいと思いませんでした」

 だって、あなたはやさしいから。

「君のところに来たのは大先生にいわれてのことだけど、色の話をしたのは僕の意志。健吾先生から君に人工視覚はどうかって相談される前のこと」

 あなたはすごくやさしいから。

「人工視覚のことは僕も知っててね、それで、話を聞いてすぐ臨床試験に君を推した」

 それは、向かいのベッドのお婆ちゃんにやさしいのと同じ?

「私は実験動物じゃありません」

 お婆ちゃんにも、チョコを持って来てあげたりするの?

「うん、わかってる」

 それが仕事上のやさしさなら、私はそんなものいらない。

「わかってません。先に動機付けしてからゴールを見せるなんて、卑怯です」

「君には、目が見えるようになって欲しいんだ」

「どうして?」

「目が見えないことを、僕は不幸だとは思わない。だけど君は、目が見えた方が素敵なものをたくさん見つけられると思うんだ」

「そのために、ゴディバのチョコまで買って?」

「いや、あれはただのプレゼント」

「どうして?」

「女の子を口説くには、プレゼントくらい必要かなと思って」

「私、目が見えないんですよ」

「知ってる」

「私と付き合ったら、すごく苦労しますよ」

「お転婆は覚悟してる」

「自分がどんな顔してるかもわからないし」

 あなたが好き。

「君はね、とても美人だよ」

 私はあなたが好き。

「嘘ついても、目が見えるようになったらばれちゃいますよ」

「大丈夫、恋は盲目だから」

 私は本当の盲目だというのに、それでもいいというの?

 目が見えるようになりたい。

 彼の姿が見たい。

 彼と同じ色が見たい。

「僕と、付き合ってくれるかな」

 可愛くない私はただうなずくだけでなにもいえなかったけど、本当は「私と付き合ってください」ってずっといいたかったのよ。

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