第6話
その後も、私に色を伝えようという彼の試みは続いた。
茶色は、乾いた土の匂い。
灰色は、雨が降る前の湿った風。
紫色は、絹の手触りと夜の街。
ピンク色は、くすぐったい。
オレンジ色は、手のひらと弾むボール。
「チョコレート色っていうのは、実に見事な名前だと思うよ」
彼は自分で買ってきた板チョコを頬ばりながらいった。
「この味と香りはまさにチョコレート色であって、それ以外のなにものでもあり得ない」
チョコが好きな彼は、いつにもまして嬉しそうにしゃべる。
「そうですか?私のチョコレート色はちょっと違う感じがするんですけど」
そういって、私もチョコをかじった。
この頃には、私が彼のカウンセリングルームを訪れて話をするようになっていた。もちろん、彼の仕事がないときにだ。
別に二人きりで話がしたいとかいうことではなく、同室の患者さんたちの迷惑にならないようにという実際的な理由からだ。
「そうかな。君のチョコはどんな感じ?」
「もうちょっと丸いっていうか、やわらかいっていうか、そういう感じです」
「丸い?」
「うん、なんていうか、ひとつひとつが包装されていて、それを破いてつまんで食べる、みたいな」
私は彼に、チョコを食べる仕草をして見せた。
「ああ、ゴディバとか、そういうやつ?」
「そう、それそれ。ゴディバのチョコ、いいですねえ」
私は満面の笑みを浮かべた。
「それはなに、君、僕にゴディバのチョコを買って来いっていってる?」
「そんなことないですよ。ただ私のチョコレート色のイメージを伝えてるだけです」
見抜かれた。さすがカウンセラー。
「コンビニで買った板チョコでは、イメージが伝わらないと」
「松浦さんのチョコレート色は伝わりました。でも私のチョコレート色とは違うというだけです」
「おそろしい。この部屋に強欲という名のおそろしい生き物がいる」
私たちは二人でお腹を抱えて笑った。
そして次の日、私たちは二人でゴディバのチョコレート色を味わった。
私はすっかり、色を知るのが楽しくなっていた。
ただその一方で、フラストレーションが溜まるのも事実だった。
どんなに色をイメージしたところで、私には本物の色は見えない。彼に色を教わるほど世界は広がっていくのに、私にはその世界を見ることが出来ない。
彼が虹の話をしているとき、私はそんな思いをぶつけてしまった。
「そんなごちゃごちゃしたイメージ、わかりませんよ」
これまでは、私は見えないことをあたりまえのこととして受け入れて来た。
反抗期の頃を除けば、それを不満に思ったことも、目が見える人を羨ましいと思ったこともない。
それが、こうやって彼に色を教わるうちに、見てみたいという欲求があまりにも強くなってしまっていた。
「いくら色を教わっても、私には松浦さんの見ている色は見えません」
私はむすっとして、それ以上なにもいわなかった。
彼も同じように、しばらく黙っていた。
ようやく彼が口を開いたのは、まるまる一分以上経ってからだったと思う。
「ごめん」
それからまた二人とも沈黙して、そのあとで口を開いたのも彼だった。
「今日はもう、戻ろうか」
私はうなずいて、病室に向かった。
違う、本当は色が見えないことなんて、嫌でもなんでもない。
世界が見えなくたって、私はちっとも構わない。
本当は、好きな人と同じものが見られないのが、悔しくて仕方がなかったんだ。
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