第4話
イチョウの姿が見えないのと同じく、私にはイチョウの色もわからない。そもそも色という概念がないからだ。
この辺は、三次元に住んでいる人間が四次元の立体がイメージ出来ないのと同じだ、と健吾先生に聞いたことがある。
健吾先生は——間違っても若先生と呼んではいけない。もう四十過ぎなのだから——本当に大先生の子供なのかと疑いたくなるくらい、物静かな、どちらかというと学究肌の人だ。
という話を健吾先生にしたら、「実は僕も疑ってるんだよ。親父の息子にしては、僕は男前過ぎる」といっちゃうあたり、やはり血は争えない。
松浦さんは翌日も私の病室を訪れて、怪我の様子を訊いてきた。
「ぜんっぜん痛くないです。もう、くっついちゃったんじゃないかな」
私は昨日の夜に、たまりかねて痛み止めを飲んだことを隠していった。
「そんなに早くくっつくんだったら、君の身体は普通の人とだいぶ違うから、研究させてくれって申し出が殺到するよ」
松浦さんは、また少し笑いを含んだ声でいう。
「そうしたら、かなり入院が延びることになるけど、それでもいい?」
いま言い渡されている以上に刑期が延びるのは嫌だし、目以外にも他の人と違いがあるというのもごめんだった。
「嘘ですよ。冗談です」
「わかってるよ。大先生の話じゃ、とても見事に折れてるらしい。記念にレントゲン写真のコピーをあげようかっていってた」
「いりません、そんなもの」
大先生が松浦さんに向かって、レントゲンをぺらぺらさせているのが聞こえて来るようだ。
大先生は私が怪我をするとすぐ怒るくせに、嬉しそうにそれを人に説明する。
「それより、私はいつまた自由にこの部屋を出ていいことになるんですか」
この前の一件で、私は車椅子も松葉杖も取り上げられてしまっていた。懇願の末、トイレに行くときだけ松葉杖を貸してもらっている。
「明日には、車椅子を戻してくれるって」
あまりにあっけない返事に、私は驚いた。
「この患者は移動が制限されると非常に強いストレスを感じるタイプですって、大先生にいっておいた」
それは大先生もよく知っている。しかしカウンセラーからそういわれると、さすがに効き目があるらしい。
「ストレスは治療の大敵だからね」
同じ病気や怪我でも、ストレスがかかると治りが遅くなるのは有名な話だ。
「もっとも、これはプロとしての診断ではないんだけどね」
そうだ、松浦さんはこの病室に仕事で来ているわけではなかった。
かといって見舞いというわけでもなく、本当に私の話し相手、ストレス発散の相手になってくれている。大先生がいっていた監視役と兼任で。
松浦さんは同室の患者さんたちと二言三言言葉を交わすと、「じゃあ、お仕事行って来ます」といって出て行った。
松浦さんの方にはストレスは溜まっていないのかしら。
車椅子を取り戻してくれたことに「ありがとう」すらいわず、ただ「行ってらっしゃい」としかいわなかった私のせいで。
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