第25話【艶めき】

俺が二階の客室から出て屋敷のロビーに向かっているとショスター家の大奥様であるエリナ夫人に出会った。彼女は自室に戻る途中のようである。


そして、彼女は俺に向かい合うと深々と頭を下げて礼儀を正す。伯爵夫人の己よりも俺のほうが格上であるような態度だった。


エリナ夫人は金髪で50歳は過ぎていそうな気品に溢れた美女である。細い体型に豊満な膨らみを有した女性だった。おそらく若いころは相当ながら美人だったであろう。だが、今はくすみが伺える。麗しかっただろう金髪にも艶がない。流石の美女でも老化には勝てないようだ。


頭を上げたエリナ夫人が俺に語り掛けてきた。その口調は生真面目そうで堅物感が見て取れる。まるで俺の母親だ。俺の母親もこんな感じの真面目人間だった。


「お懐かしゅう御座います、骨の魔法使い様。わたくしを覚えてらっしゃいますか?」


覚えていない。てか、この町に来て初めて見る。俺は無言で首を左右に振った。


「それは仕方がありませんね。何せ40年ぶりですから。まだわたくしは10代でしたものね」


言いながらエリナ夫人はクスリと笑ってみせた。こんな真面目な人でも笑えるのかと思う。それに、笑ったほうが美しく見えた。歳よりも可愛く見える。


しかし、情報を獲得できた。どうやら祖父がここにやって来たのは40年も前の話らしい。しかもショスター伯爵が10代のころらしいのだ。それならば相手も記憶が曖昧でも可笑しくないだろう。だから話が噛み合わなくっても流しているのかも知れない。


「私は貴方が主人に差し上げた秘薬のお陰で命を救われた経験がありまして。主人は病に伏せた私に貴重な秘薬を使ってくれたのですよ。それが40年前の幼き日の想い出です」


表情を和ませるエリナ夫人は乙女のように頬を赤らめていた。年齢にくすみが見え始めた年頃でも昔を思い出せば照れるものなのだろう。ましてやそれが眩いばかりの青春の時ならば当然と言った様子だった。


そして、エリナ夫人は軽くお辞儀をするとその場を去って行った。自室に帰って行く。


そのまま俺は一階ロビーに向かうと屋敷を出た。すると今度は玄関前でショスター伯爵と八合わせする。


ショスター伯爵は馬上から降りると俺に対して礼儀を正したのちに何処かに出かけるのかと質問してきた。俺は町を見て回りたいと答える。ならばお供を付けましょうと言われた。余計なお世話である。だが一人の兵士がお供に付けられた。


兵士の名前はスモーキー・チョコペン。ふざけた名前だ。しかし彼は体格の良い好青年出会った。名前とは異なり普通に真面目そうである。まあ、仕方ないかと俺はスモーキーの同行を許す。


それから俺たちは四人で町を見て回る。その際にスモーキーがガイド役を買って出てくれた。それは非常に助かった。


だが、町の人々の視線が痛い。髑髏にダサいジャージ姿の俺を町の住人たちは化け物を見るかのような眼差しで見ていたからだ。アンデッド差別である。


子供なんて俺の顔を見ただけでワンワンと泣き出してしまう有り様だった。流石に子供に号泣されるのは俺も傷付いてしまう。


なので俺は顔を隠すことにした。何が手頃な物は無いかと市場を探して回る。


そして服屋に入った。そこには様々な服が売っている。その中から一着のローブを手に取った。


フードが付いたローブは袖口などに高価な刺繍が施されている。これは良いなと思った。髑髏頭もフードで隠せるだろう。


だが値段が高かった。コックランナーから貰ったお金で買えない値段ではなかったが、ここでこれを買ってしまうと持ち金がほとんどなくなってしまう。それが理由で俺の貧乏性が発揮されてしまった。購入を躊躇してしまう。


俺は壁に下げられた豪華なローブを前に考える。そして、結論的には購入を諦めた。もう少し路銀が溜まってからでも遅くはないだろう。おしゃれは二の次である。これが女の子にモテない理由なのだろうが、自分の性分には逆らえない。


とにかくまずはお金を作らなければならないだろう。向こうの世界では祖父さんから貰った100万があるから贅沢できるが、こちらでは貧乏人だ。先立つものが無ければ旅すら出来ない。


続いて俺は雑貨屋に入った。町の人々がどのような生活用品を日頃から使っているのかをリサーチするためだ。


そして、雑貨屋の棚には様々な生活用品が並んでいる。石鹸に櫛。タオルや手拭い。ランプに油。ハサミやナイフもあった。だが、どれもこれも時代遅れの粗末な物ばかりだった。俺が現実世界のホームセンターで見た商品と比べればガラクタのように低品質ばかりに伺える。やはり文化レベルが違いすぎるのだ。


ならばと俺は企んだ。俺が現実世界から品物を仕入れて、こちらの異世界で捌けば簡単にお金が儲かるのではないかと――。


何せ現実世界の品物はこちらの世界の物と比べれば一級品の高級品だろう。レアリティーも極上のはず。それらを右から左に流せばチョロくも簡単に儲かるはずである。安く買って高く売る。商売の鉄則だろう。


それならば危険な野外でモンスター相手に血生臭い戦いを繰り広げなくっても済むはずだ。これは明暗だと思えた。


俺は雑貨屋で酒瓶をひとつ取る。中身は空だった。粗末な造りの空ビンである。それをレジで二つ買った。値段は銅貨5枚である。中身が入っていなければこんなものだろう。


そして、俺らは町からショスター邸宅に帰る。俺は客間に帰ると時空の扉を出してチルチルたちに言い付けた。誰も部屋には入れないようにと――。時空の扉は他者に見られたくない。


それから俺は近所のコンビニでチルチルの晩御飯にカツ丼と、シャンプーにリンス、それと石鹸を買って帰った。そのシャンプー&リンスを雑貨屋で買った空ビンに中身を移し替える。


これで、よし。


そして日が暮れて晩飯時がやってくる。俺は再びショスター家の晩御飯に呼ばれた。その席に移し替えたシャンプーを持っていく。そこで食事を取らない俺とショスター家の人々で団欒に盛り上がった。


そんな中で俺はフッとエリナ夫人に話を振る。


『エリナ様、実ハ述べますト、珍しイ物を私は持っテいるのですガ』


「珍しい物とは、なんですの?」


首を傾げながら聞いてくる夫人。どうやら俺が持ち出す珍しいと言う言葉に早くも惹かれているらしい。興味津々だった。


その期待を感じ取りながら俺はジャージのポケットから移し替えたシャンプー&リンスが入った瓶をふたつテーブルに置いた。


夫人はテーブルに身を乗り出してシャンプー&リンスを見詰めている。何せ初めて見る不思議な液体なのだ、気になって仕方ないのだろう。


それはドロっとしたピンクと白濁の液体。この世には存在しないだろう未来の液体だ。他のショスターたちもそれが何なのかと見詰めている。


俺はこれが髪の毛を洗うための美容薬だと説明した。それと使い方を教える。


一度に使う量は手の平に救える程度の量。まずはシャンプーで髪の毛を洗ったらお湯で流す。続いてリンスを同じだけの量だけ髪の毛に付ける。そして、しばらくしたら洗い流す。あとは髪の毛を乾かせば髪の毛が艷やかに整えられると伝えた。


だが、説明だけでは理解してもらえなかった。まあ、シャンプーもリンスも使ったことがない上に見たこともないのだ、無理はなからう。


ならばと俺はチルチルをテーブルの側に呼び寄せた。そして彼女の黒髪をエリナ夫人に見せてやる。このゴワゴワな髪質を覚えてもらって俺はショスター家の面々を引き連れて食堂を退室した。


そこからは忙しかった。お湯を沸かしてもらい部屋にタライを運んでもらう。この世界にはお風呂が無いらしい。湯船は無いからタライで我慢する。


とにかく俺はチルチルの頭をタライで洗う。シャンプーで洗いリンスも掛けてやる。それから髪の毛を乾かすところまで実践を交えながら説明してやった。それからエリナ夫人にチルチルの髪を再び見せる。


そのチルチルの髪の毛は艶めきが倍増して輝いていた。美しい毛並みである。


エリナ夫人はチルチルの黒髪を撫でながら驚いていた。しかも興奮している。


「な、なんですの、この艷やかな髪の毛は。まるでシルクの生地のように滑らかで肌触りが心地良いじゃあありませんか!」


どうだ、これが未来の力だと言ってやりたかったが心の奥に本音は抑えておく。


そして、再びシャンプーが入った瓶を彼女の前で振って見せる。


『こノ量で一人が使って30日分テしょうか。まずはドうでしょウ。お試シに使ってみませンか』


「試して宜しいのですか!」


『是非にトも、どウぞ』


エリナ夫人は即座に髪の毛をタライで洗い始める。その様子を嫁や孫娘までもが見守っていた。男たちもソワソワしながら見守っている。


やがてエリナ夫人が髪の毛を洗い終わった。その後に暖炉の炎で髪の毛を丁寧に乾かしていた。時折櫛を入れる。


そして髪の毛が乾き終わると、くすんでいた金髪が蜂蜜色に煌めいていた。まるで黄金の繊維のようである。指先が櫛のように滑らかに通るのだ。それは誰が見ても美しい髪質だった。男たちも惚れ惚れした眼差しで老婦人を見詰めている。


彼女は鏡を見ながら瞳を丸くさせていた。歓喜のあまりに泣きそうである。そんな祖母もの髪の毛を孫娘と嫁が羨ましそうに触っていた。


「骨の魔法使い様、この美容薬を是非にお譲りください!」


祖母の言葉に嫁が続いた。


「私にもお分けくださいませ。お金ならばいくらでも準備しますから!」


おお、嫁さんまでもが食いついた。これは想像以上だぞ。シメシメである。


そこで俺は提案した。


『今ハ持ち合わせノ在庫が御座いマせん。なノで秘薬同様に数日お待チ下さいまセ。暇を見テ製造いたしマす』


祖母も嫁も了解してくれた。更に俺は二人にお願いをする。


『ソれと私は欲しイ物がありマす。それヲ用意してモらえませんでしョうか』とお願いする。


「なんでありましょう……?」


エリナ夫人は怪訝な空気に表情を歪めた。このような高級品だと思われる美容薬との交換条件だ。さぞかし無理難題でもふっかけられるのではと怯えているのだろう。


だが、俺が述べた交換条件に表情を明るくした。


『私ハ洋服のセンスが乏しいノです。デすのでエリナ夫人に私に良ク似合うフード付きローブを選ンでプレゼントしてモらいたいのですヨ。そすレば、そちらのシャンプーとリンスは私カら初回特典としてプレゼントいたシましょうゾ。その後ハ定期的に商品ノ購入ヲ願いたイ』


エリナ夫人は喜んで引き受けてくれた。これで姿を隠すためのフード付きローブが買わなくても手に入るだろう。更には物々交換がひとつ達成される。一石二鳥だ。


そして、翌日からはエリナ夫人に輝かしい艶めきが蘇ったことは言うまでもないだろう。老化でくすんでいたものが消えたのだ。潤いを取り戻して10歳は若返ったように伺える。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る