第5話【カルチャーショック】
漆黒の闇の中で真っ赤だった満月が沈んでいくと空が明るくなってくる。薄気味悪かった墓地に日が差すと少しは奇怪な空気が薄らいだ。
「ふぁ〜〜ん、おはようございまふ、ごしゅりんはま……」
寝起きで口が回らないチルチルが背伸びをする。彼女の髪はボサボサだ。昨日見たときよりかなり酷い。寝癖だろう。そしてチルチルは眠たい目を擦りながら毛布をよいちょよいちょと畳んでいた。
そんな様子を見ていた俺は一度四畳半に戻るとテーブルの上から櫛を取ってくるとチルチルに差し出した。これで髪の毛を梳かすと良いだろう。
チルチルは吊り目を大きく見開きながら差し出された櫛を受け取る。
「こ、これをお使いになっても宜しいのですか!」
なんかチルチルは歓喜しているようだ。興奮している。
それは100円ショップで買った安物のプラッチックの櫛である。そこまで感謝されることでもないだろう。だが、チルチルは笑顔でボサボサの髪を櫛で梳かしていた。上機嫌で鼻歌まで奏でている。
そして、髪の毛を梳かし終わったチルチルは両手で櫛を持って差し出してきた。
「御主人様、大変ありがとう御座いました。お返しします」
いや、返さなくてもいいやっと俺は手を振った。するとチルチルは双眸を見開きながら述べる。
「で、ですが!」
なんかチルチルが恐縮しているな。これは困ったなと俺はチルチルの手から櫛を受け取った。それからその櫛をメイド服のエプロンにあるポケットに無理矢理ながら入れてやる。
これでどうだと俺が腕を組むとチルチルが再び深く深く頭を下げた。
「御主人様、有難う御座います。この櫛は先祖末代まで家宝として我が一族で祀って参ります!」
重たい。流石にそれは重たすぎる。だって100円の櫛だよ。そこまで言うならもうちょっと高い櫛を上げればよかったわ。
そんなこんなしているとキュルルル〜っと腹の虫が鳴る音がした。音を奏でたのは俺でない。だって俺は骨だもの。胃袋だって無いようだ。腹の虫を鳴らしたのはチルチルである。彼女は生身だ。腹だって空くのだろう。
チルチルはお腹を押さえながら気まずそうに言う。
「御主人様、これから朝食の準備を致しますからお待ち下さいませ」
そう言うとチルチルは踵を返して歩き出す。俺はその肩を掴んで止めた。どこに行く気なのだろうと骸骨面で問う。するとチルチルが察してくれて答えてくれた。
「手頃な小動物を狩ってまいります。それから調理になりますので少々お待ちくださいませ」
狩って来るって、コンビニで買って来るとは違うよね。いきなり異世界的なカルチャーショックだった。なかなかワイルドな話である。
俺はチルチルにちょっと待っててとジェスチャーで告げると時空の扉からアパートに戻って台所に向かう。そして、流しの上にあったジャムパンを取ると冷蔵庫から飲みかけの紙パック牛乳を取り出した。そして、異世界に戻るとチルチルにそれらを差し出す。
「こ、これは?」
透明なビニール袋に包装されたジャムパンを受け取ったチルチルが不思議そうに眺めていた。袋の匂いを嗅いでは小首を傾げている。どうやら袋詰のパンを見るのが初めてらしい。
俺はジャムパンのビニールを破くと口に運んで食べるチェスチャーを見せた。それから再びジャムパンをチルチルに手渡す。
そのジャムパンの匂いを嗅いだチルチルが目を剥いて驚いていた。
「な、なんですか、この甘い香りのパンは!」
俺は食べろ食べろとチルチルに促す。するとチルチルは恐る恐る一口だけジャムパンを齧った。
そして――。
「柔らかい、甘い、美味しい。何これ!!」
なんか凄く驚いているな。昨晩スーパーの半額セールで買ったジャムパンなんだけど、まあ喜んでもらえたのなら結構である。
続いて俺は牛乳パックの口を開けると、そのままチルチルに差し出した。チルチルは牛乳パックを受け取ると口から中身を覗き込む。そしてクンカクンカと匂いを嗅いでいた。
「ミルクですか……?」
そう一言だけ呟くとチルチルは牛乳を口に流し込んだ。そして、吹く。盛大にブゥーーって吹いた。
あれ、賞味期限でも切れてたかな。腐ってた?
「つ、冷たい。このミルク、冷たいですよ!」
どうやらチルチルは冷たい飲み物が初めてだったらしい。何せここは異世界だ。冷蔵庫なんて存在しないのだろう。だから始めてでも無理はない。
今度はチルチルのほうがカルチャーショックに見舞われていた。それにしても他人がカルチャーショックに襲われているところを見るのは面白いものである。機会があったらチルチルにはどんどんとカルチャーショックを味あわせてやる。なんだかそれが楽しみになってきた。
それに口元を白濁の牛乳で汚しているチルチルの真顔も卑猥で可愛らしかった。これでわざとじゃないのだから大人にも言い訳が出来るだろうシュチュエーションだ。そう、わざとではないのだ。これは子供が起こした事故である。
それからチルチルは初めてのジャムパンと冷たい牛乳を美味しそうに堪能し終わる。牛乳もすべて飲み干してしまう。その口は白く汚れていた。ワンパクっぽくて可愛らしいことである。やはりこの子の未来は輝かしいな。期待に溢れてしまうぞ。
そして、自分だけ食事を取っていることに気が付いたチルチルが慌てだした。
「す、済みません。わたくしばかり食事を取ってしまって。直ぐに御主人様の分をご用意します!」
俺は慌てるチルチルにジェスチャーで言ってやる。俺は食事とかは取らなくても平気だから、と――。通じたかな?
そして、俺のジェスチャーを見たチルチルが言う。
「私は既に食事を取ったから、ですか?」
ああ、駄目だ。通じていない。どうやらこの子は時空の扉よりも感が悪いらしい。残念。
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