問題を先送りにはできず
その日の桃矢様のお勤めを見守っている中、私は何度目かわからない溜息をついた。
それに彼方さんが声をかけてきた。
「今朝、旦那様に声をかけられてましたけど、大丈夫でした?」
「ええっと……心配かけて申し訳ありません。大丈夫です」
「そうですか。あの人のことですから、奥様に圧力でもかけたのではないかと思いましたけど」
よくよく考えれば、当主様は彼方さんにとっても父親に当たる訳だから、あの人の性格は知っているのか。
どうしたものか。
私は桃矢様に視線を向ける。
気の流れを読むのに苦戦しているんだろう。今日はいつもよりも少し長い。
私は意を決して口にした。
「早く後継ぎをつくれと。あの人、桃矢様のことどう考えてらっしゃるんでしょう。桃矢様は無茶なんてできませんのに」
「はあ……あの人だったらいつかは言ってくるとは思いましたけど」
「もし後継ぎができないんだったら、離縁させるとかなんとか……」
「ああ、それはさすがにないかと思いますよ。桃矢様はそこまで思ってないかと思いますが」
「……はい?」
そういえば、女中さんたちの中にもいたな。旦那様が一番固執しているのは、桃矢様の子供であって、鎮目家の後継ぎじゃないと言っていたような。
彼方さんは複雑そうな顔をしていた。
「あの人が固執しているのは亡くなられた奥様の血筋であって、後継ぎじゃないはずですよ。まあ、そんなこと言ったら桃矢様だってたまったものではありませんし、それが原因で奥様に圧力をかけたなんてなったら、普通に怒るでしょうね」
「そんな……」
「亡くなられた奥様については、残念ですけど俺も桃矢様もほとんど存じませんから。女中あたりに聞いてみてください」
そりゃそうか。
桃矢様を生んですぐに亡くなられているんだから、桃矢様はもちろん異母弟の彼方さんも知りようがない。
でも……。
そこでふと気付いた。
「あのう……たしか彼方さんのお母様は、今は体を崩されて、当主様が別邸に住ませて療養なさっているんですよね?」
「ええ? はい。うちの親はそうですね。それが……」
「たしかお母様は元々は鎮目邸の女中さんですよね? お話を伺いに行くことはできませんか?」
「うわあ……」
彼方さんは変な声を上げた。なんで。
私が思わず見ていたら、彼方さんは髪をがりがり引っ掻いて教えてくれた。
「はい……会いに行こうと思えば行けますよ。ただきちんと桃矢様には許可取ってくださいよ。あの方に変に俺に嫉妬されても困りますんで」
「ありがとうございます!」
私が頭を下げて、お礼を言っている間に、桃矢様のお勤めが終わった。今日はいつもよりも長かったせいか、最近はすぐ気絶することも倒れることもなかったけれど、今日は久々にぐったりとしている。
私は慌てて桃矢様を膝枕に乗せて、カップケーキを差し出した。
「大丈夫ですか? 今日はずいぶんと長かったですけれど……都市開発の地理が原因とは、咲夜さんも少しおっしゃっていましたけど」
「はい……地下だと気の淀みを鎮めるのに時間がかかるというのもありますが……今の都市開発、帝都は人が増えたせいでしょうか。風水師の派遣前に無理に開発を進めたせいで、前よりも淀みがひどいですね。いずれこれは無理が来ると思います」
それに私は思わず黙り込んだ。
これ以上無理を重ねたら、せっかく健康になってきている桃矢様の体調悪化をぶり返すのでは。
だとしたら、今はせめて憂いをひとつでも取り除きたい。
私は桃矢様がカップケーキを少しずつ食べているのを眺めながら尋ねた。
「……桃矢様、相談がございます。少々彼方さんをお借りして、お出かけしたいんですがよろしいでしょうか?」
「どこにですか?」
「……彼方さんのお母様に一度お話をお伺いしに行きたいんです」
桃矢様のカップケーキを食べていた手が止まった。
「それは、なにか意味があるのですか?」
「……わかりません」
「わからなくっても、行きたいんですか?」
「はい。私は残念ながら、当主様のことも、亡くなられた桃矢様のお母様のことも存じ上げません」
このまま放置していたら、本家と分家の問題が再びぶり返しそうだから、子作りしてさっさと後継ぎをつくるのが、その場をしのぐには一番だとは思うけど。それはあくまで一時的な処置だ。
鎮目邸の中の問題は大雑把に言うと三つだ。
ひとつ。桃矢様と彼方さんの異母兄弟の問題。
ひとつ。本家と分家の問題。
そして最後のひとつが一番根深い。桃矢様と当主様の親子関係だ。
今のところ、桃矢様と彼方さんの問題は解決できたものの、残りふたつは全く手が付けられていない。
でも特に当主と次期当主の間の冷え切った関係をどうにかしないと、いずれ大きくなるだろう本家と分家の問題の対処はできないと思う。
桃矢様が健康的に安心して暮らせるようにと願ったら、まずは当主様との関係を改善させないことには、どうすることもできない。
だから、まずは知ることからはじめたいのだ。
私は必死に桃矢様に訴える。
「だから、当事者の方に詳細をお伺いしたいんです……桃矢様に迷惑をかけないようにします。お願いします」
「いろりさん」
私が頭を下げる中、桃矢様が私の頬に手を伸ばしてくると、撫でてきた。それは最近夜に寝る間際にされるような触り方なのに、私はどぎまぎする。
「あ、あのう?」
「これはおそらく、自分や父のために行うことでしょう? 当事者に話を聞きたいのは自分も同じです。自分も母のことをちっとも知りませんから、聞きに行くのならばふたりで一緒に行きたいです」
「桃矢様……」
私はおずおずと、こちらのほうを見守っていた彼方さんのほうに視線を向けた。
彼方さんからしてみれば、いくら倒れた桃矢様に栄養補給のために差し入れしているとは言えども、異母兄夫妻が部屋の中でするようなことをしているせいで気まずいのか、耳が少し赤い。
「あのう……彼方さんのお母様にお会いする際、桃矢様もお連れしてよろしいですか?」
「……俺はむしろ、そのほうが嬉しいです。桃矢様にいらないやっかみを受けたくありませんし。うちの母も桃矢様にはぜひともお会いしたいと思っているかと」
「彼女には幼少期、大変迷惑かけましたからね……」
桃矢様が申し訳なさそうに目を細めたが、彼方さんはばっさりと切り捨てる。
「むしろ母は暴れる子供の対応に張り切っていましたがね。張り切り過ぎた結果が体調悪化ですが、今は悠々自適に生活していますから、あまりお気になさらず」
こうして、私と桃矢様は日付を取り決めて、桃矢様の育ての親で……彼方さんのお母様にお会いしに行くこととなったのだ。
****
彼方さんのお母様はお体を崩されたから、食べられないものはないかと尋ねたものの、意外なことに彼方さんからは「いえ、全く」と答えた。
「あの人はなんでも食べますよ。和食も洋食もなんでも。最近は志那そばも食べに行きますし」
「お体崩された割には、元気ですね……?」
「一時的に元気に動けるだけですよ。前は一日中元気だったんですが、さすがに自分ひとりだけじゃいざ知らず、子供まで養うほどの体力がなくなってしまったんで」
そう考えたら、当主様が今は生活援助しているのも、彼女から根こそぎ人生を奪った責任を取っているのかもしれない。彼方さんの言い分からしてみて、今は元気に生活しているみたいだけれど。
夕餉を取りに本邸の台所に向かうと、女中さんたちは気遣わし気にこちらを見てきた。
どうも私が当主様に呼び出しを食らったところを見られたらしい。
「あのう、奥様。旦那様になにか……」
「いえ。ちょっと言われただけですから、あまりお気になさらず。それより、皆さんに少し相談したいことがあるんですがよろしいですか?」
「相談ですか?」
それに女中さんたちはあからさまにほっとした顔をした。彼女たちにまで私たちの問題を心配させてしまったのには申し訳ない。
「今度出かける際に、彼方さんのお母様にお会いしようと思っているんですが。彼方さんに直接お伺いしましたが、お土産になるものが上手いこと見つからず。なにかお土産にいいものをご存じありませんか?」」
そう女中さんたちに相談を切り出したら、皆は全員顔を見合わせてしまった。
「……彼方さんのお母様ですが、本当になんでも召し上がりましたので……」
「私たちでは無理だと思った尖り過ぎた洋食も平気で平らげてましたしね」
「そんなにおかしなものでも召し上がってらしたんですか?」
「カレーも本場ではナンって呼ばれるパンみたいなものに乗せて食べるんですけれど、日本のパンと違って硬くてあまりおいしくないんですけれど、平気で召し上がるんですよね」
日本だとカレーはご飯にかけて食べるけれど、あれを本場の食べ方しているのか。
話を聞いている限り、ゲテモノが好きというよりも、なんでも好奇心が旺盛で、とりあえず見たり食べたりしてから考える人のようだ。
「だとしたら、珍しいものを持って行ったら喜びますかね?」
「ええ。そりゃもう。あの方でなかったら、癇癪を起こしていた頃の坊ちゃまの面倒は見切れませんでしたし、なんでも楽しく考える方でしたね」
「ふむ……ありがとう」
これはお土産をつくるよりも、なにか買ったほうがいいかもしれない。なにを買おうか。
結局は私は彼方さんに頼んで車を出してもらい、漬物屋さんに足を運んだ。
いきなり漬物屋さんに連れ込まれた彼方さんは、当然ながら困惑していた。
「いったいどういう理屈で漬物屋なんで?」
「いえ。彼方さんのお母様は自分のことは自分でしようとする方ではありませんか?」
「まあ……違いませんね」
「そうなったら、食事は自分でつくるか、食べに行っていると思ったんです。そうなったら、できるだけ日持ちする食べ物のほうがいいんじゃないかと思いました」
「そこは普通に手拭いとかを土産にするのは……」
「消耗品にしては少々嵩張りますから。すみません、なにか珍しい漬物はございませんか?」
私が声をかけると、店員さんはなにかひとつ持ってきた。琥珀色のそれは、気のせいか甘い匂いがする。
「最近名店や一等旅船でも出されるようになった漬物ですよ。カレーライスに添えるのにちょうどいいんです」
「はあ……ひと口いただけますか?」
「どうぞ」
カリッとした歯ごたえに、味付けは他の漬物と比べても比較的に甘めだ。おまけに最近流行りはじめたカレーライスに添えるのにちょうどいい高級漬物だったら、たしかに喜びそうだ。
私は「これをください」と頼むと、彼方さんは苦笑した。
「あの人のことだから、絶対に喜びます。最近カレーライスに凝りはじめましたから」
「彼方さん、思っているよりお母様と連絡を取り合っているんですね?」
「どちらかというと、うちの母は桃矢様の様子を知りたがっていますから、母の近況を知るのはついでです」
そう言って肩を竦める彼方さんは、どこか気恥ずかしそうだった。
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