本家と分家

 それからというもの、私と桃矢様はどうにか本当の夫婦になれるようにと、接触が少しずつ増えていった。

 そうは言っても桃矢様の体の具合が悪く、なかなかそんな風にはならず、せいぜい夜に布団をくっつけて口付けし合い、それ以上のことはなにもできなかった。触り合いになる前にどちらも寝てしまうので、どうしようもない。

 そんな中。とうとう当主様に呼び出しを受けた。

 本邸にある、ひと際豪奢な部屋。

 西洋風の華美な家具や調度品は、亡くなった奥様の趣味だったのか、当主様の趣味なのかは、家具の知識がない私にはいまいちわからない。

 革張りの椅子に座ることももたれることもできずにおろおろと見守っていたら、当主様のほうから「そこのソファに腰掛けなさい」と言われて、私はおずおずと座った。腰が沈んでいく不安は、木の椅子や座布団にはないものだ。

 その中で、いつか出会ったときと同じく狩衣に烏帽子の当主様が背筋を伸ばして立っているのは、本来ならば場違いで浮いて見えるはずだが。不思議なことに、この人が背筋を伸ばして立っていると、辺り一面を「そういうもの」という風に擦り込んでくるのだ。この人の存在感が、この場の常識を塗り替えていく。

 私がソファなる革張りの椅子で大人しくしている中、当主様が口火を切った。


「いろりさん。あなたは我が家に貧乏神の血筋として迎えられた。それはご存じか?」

「はい……そう桃矢様からお伺いしました」

「結構。我が息子は残念ながら体が弱く、自分が妾に生ませた子は風水師としての才があまりにない。このままでは、鎮目家は滅びる」

「それは……」

「最近は夫婦でなにかと一緒にいるとは聞いてはいる。しかし」


 当主様はあからさまに私の下腹部を見た。

 思わず背を向けそうになるが、本当になにもないのだから仕方がない。やがて当主様が溜息をついた。


「……時期に分家から養子を取り、桃矢と離縁させた上で、そちらに流すこともありうる」

「……えっ」


 分家でぱっと頭に浮かんだのは咲夜さん。あの真っ白な人だった。毎度毎度桃矢様にお勤めの依頼をしてくる……。

 ……困る。今まで顔を合わせてきたけれど、特に何事もなく過ごしてきたのだから、ここに来て「主人と離縁しました。今日からあなたが私の夫です」なんて言いたくないし。

 私はそもそも桃矢様とまだ、ちゃんと夫婦になっていない。とうとう声を上げた。


「……大変申し訳ございません、当主様。まだ桃矢様は夫婦の営みができるお体ではございません。ようやっと人並みになったところなのです。まだ猶予をいただけないでしょうか?」


 震えながらもなんとか声を上げてみたが、当主様の視線は冷たい。


「あなたを桃矢に娶ったのは、我が家の血を繋ぐためだ。貧乏神の末裔を娶れるような家系は鎮目家以外にはなく、それ以外の家系であったら、娶った途端に事業は潰れ、一家離散の目に遭い、さんざんな人生を送る……あなたは既にそのような人生を送ってきたのではないのか」

「それは……」

「あなたは鎮目家のものだ。その責務をきちんと果たさぬ限りは、桃矢との離縁も視野に入れさせてもらう」


 当主様は言いたいことだけ言って、立ち去っていった。鎮目家の当主は忙しく、朝は本邸で食事を摂ったら即車に乗ってどこかで会議、気を鎮める案件を複数こなした末に分家との会食。さらに政治家たちと街作りの打ち合わせ……風水を考慮してない街作りはほぼ不可能に近く、気の流れのきちんと通る街並みにすることで、住民たちの健康生活を維持するのだという……この多忙な毎日を送っているのだから、桃矢様のことも私を宛がってからは基本的に放置していたし、桃矢様が少しずつ健康になってきたことも知らない。

 ……というか。無理に子作りなんてしようものなら、桃矢様が本当に死んでいたと思うのに、その辺りも放置していたんだろうか。私は応接室から出てからも、怒りで唇がぶるぶると震えてしょうがなかった。

 心配したのか、女中さんたちが私を呼び出すと、そっとお菓子とお茶を出してくれた。カップケーキと煎茶である。


「申し訳ございません……当主様は坊ちゃまのお母様……奥様が亡くなって以来、仕事にかかりっきりで。正直彼方さんのお母様との関係も完全に義務と契約でしたから」

「彼方さんのお母様ほどに理解のある方もおられませんでしたしね……それこそ彼方さんが出生のことで全く坊ちゃまを恨んでいないのがいい証拠でしょう」

「まあ、たしかに……」


 用意してくれたカップケーキは表面がさっくりとしていて、中はしっとりとしていておいしい。私がたびたびつくっていたワッフルの生地をカップに流し込んでつくったんだろうか。私はそれを咀嚼してから、煎茶を飲む。煎茶も味わい深く、カップケーキだけでなく和菓子にも食事にも合うだろうと思いを馳せた。

 そこで私は聞いてみた。


「私は当主様に見初められて桃矢様のところに嫁いだんですが……桃矢様には他に許嫁はおられなかったんでしょうか?」

「ええ……本来ならば、鎮目家の次期当主となりましたら、釣書は引く手あまたのはずなんですけれど……」

「世の中には銭ゲバと申しますか、風水を軽んじてらっしゃる方が大勢いらっしゃいますから。当主様も定期的に坊っちゃまの婚約の話を持ち込まれては、全て断っていたそうです」

「鎮目家が乗っ取られかねませんしね……」

「まあ、たしかに……」


 鎮目家みたいな大きな風水師の家系であったら、財力も半端ない。私自身はあまりその手の財力に実感はないものの、少なくとも嫁いだ女が持参金なし、花嫁道具なしでの婚姻に簡単に応じ、その場で花嫁衣装を工面できるような家系が貧乏な訳がない。

 でも逆に言ってしまえば、すぐに出せるお金があるってことは、お金を持てる権限さえ持ってしまえばそのお金をいくらでも引き出せてしまう訳で……。

 たしかに家に入れる女性は選ばないとまずかったんだろうと納得した。

 女中さんのひとりが続けた。


「ですから、奥様がいらっしゃって本当によかったんですが、その……」

「世継ぎ以前の問題ですし、いずれせっつかれるとは思ってましたけど、思ったより早かったですねえ」


 私だってなにも考えてない訳じゃない。桃矢様が健康になって寝ている時間が短くなれば、いずれそんな雰囲気になるだろうと思っていた。でも。

 ……体が弱いって知っているはずなのに、それでも子作りをせがむって、これじゃ当主様が桃矢様に死んで欲しいように思える。私はげんなりとしている中、「あのう……」と口をはさんでこられた。


「はい?」

「旦那様はたしかに、厳格な方です。鎮目家を第一に優先しますし、病弱だからと言って坊ちゃまや彼方さんの風水師教育にも手を抜きませんでした。ですが」


 そこで女中さんは言い淀む。彼女だけでなく、他の女中さんたちもなにか思うところがあるようだ。


「ええっと……私はなにか考えが足りてないでしょうか?」

「そういう訳では……ただ、旦那様は亡くなられた奥様を愛しておられましたから、なにも残せないっていうのが歯がゆいのだと思います」

「それって……」

「奥様の血筋ですね」


 それを言われてしまうと、私も当主様をあまり悪く言えなくなってしまう。

 結局私は「お菓子もらっていきますね、桃矢様に召し上がっていただきます」とカップケーキを数個ばかりもらって、中庭に行くので精一杯だった。


****


 その日も、咲夜さんはいらっしゃった。

 咲夜さんは桃矢様と話してらしたけれど、私が「ただいま戻りました」と帰ってきた途端に気まずげにこちらに視線を送った。

 ……もしかしなくても、当主様から既に養子縁組の打診があったのかもしれない。


「あのう、困ります。私、桃矢様以外の妻になりたくありません」


 思わず口にしてしまうと、咲夜さんは一瞬顔を崩したあと、きっぱりと言った。


「存じております。桃矢様とここまで長く続いた人間関係を、このまま斬り捨てる気はございません」

「咲夜さん、その辺で。いろりさんも。父が不愉快なことを言って大変すみませんでした」


 そう言って桃矢様が頭を下げるのに、私はおろおろとする。


「顔を上げてください。本家の嫁が仕事してないと思われても仕方ありませんから」

「ですが……いろりさんや咲夜さんに迷惑をかける気は、これっぽっちもありませんでしたから。自分が不甲斐ないばかりに」

「そんな。そんなことありませんから。お願いですから、顔を上げてください」


 私が助けを求めるように咲夜さんを見ると、咲夜さんは「その姿勢のままでかまいませんから、話を聞いてください」と口を開いた。

 こんなややこしいときでも、お勤めは止まってくれないんだな。そう思っていたら、咲夜さんは意外なことを言ってきた。


「昨今の都市開発計画のせいで、気の乱れが止まらず困っているところなんです。現場に向かっている風水師たちの士気も、気を鎮めても鎮めてもすぐに乱れるもので、下がりつつあります。ここいらでなにかひとつめでたいことがあったほうが、士気が上がるかと思います。おめでたの話は、本当に考えてください……奥様には大変に失礼な話ですが」


 そういえば。

 最近は開発するにも土地が足りないからと、地下にまで開発の手が伸びつつあるらしい。地下にまで入られたらいくら気の流れを常に読み続けている桃矢様であったとしても、現場に行かなかったら気の流れを読み取ることも、ましてや鎮めることもできない。

 いたちごっこが続いているということは、こういうことなんだろう。

 でもな。そのために桃矢様が犠牲にならないといけないの。たしかにおめでたになるのは私だけれど、負担は桃矢様のほうが重い。

 結果として「それでは考えておいてくださいね」と咲夜さんは去って行き、私と桃矢様だけ気が重いまま残されてしまった。


「……あのう、桃矢様」

「すみません。いおりさん。不愉快な思いをさせてしまって」


 ここでまだ謝るのか。私は「いいえ」と言ってようやっと桃矢様を起こすと、桃矢様は複雑そうな色でこちらを見上げていた。

 桃矢様は困った顔で続けた。


「咲夜さんも焦ってらっしゃるから、いろりさんにそんな下世話なことをおっしゃったんだと思います。彼は常に現場の心配をなさっていますから」

「それが……分家のお勤めだからでしょうか?」

「それもありますが。鎮目家も元々は、当主の家系から新しい当主が生まれるという、本家と分家という区切りはなかったのです。一族の中から、一番ふさわしい者がなるべきと、血をどんどんと濃くしていったんです。遠縁同士で婚姻をまとめるという具合に……ただ、それを行っていたせいで、だんだん鎮目家も血が濃くなり過ぎて、体が弱い子供が増えてきてしまいました」

「それは……」


 大昔は、血が濃ければ濃いほどいいというのがあったらしい。でも今は、近親同士だと体が弱くなるから法律でも禁止されている。

 だとしたら、桃矢様の体が弱いのも。私が黙っていると、桃矢様は微笑んだ。


「そのせいで、一族の中で一番血が濃い家が、外から妻を呼ぶべきという話にまとまりましたが……鎮目家の遺産目当てでとんでもない人を家に招き入れる訳もいきませんから、婚姻はなかなかまとまりませんでした。本家と分家に別れてしまったのは、結局は一番要領よく婚姻をまとめられる政治手腕のある方が当主に治まり、体が弱いとされた方を分家と指定したからです……つまりは、自分みたいに体が弱い、今まで分家の特徴とされてきた子が生まれたせいで、分家のほうもざわついてしまっているんです……今のところは、自分の力でなんとか抑えられていましたが、地下の都市開発が進めば、やがて自分の力も及ばなくなります」


 それは……現場の指揮を執っている咲夜さんからしてみても頭が痛い話だし、桃矢様からしてみても死活問題なんじゃ。

 桃矢様はゆったりと起き上がった。


「それでも勤めは待ってくれませんからね。まずは今日の勤めを終えてから考えましょう」

「……あっ、はい」


 私は足早に桃矢様に着いていった。

 カップケーキを携えて。

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