異母兄の話

 私の言葉に、桃矢様はしばらく考え込む素振りを見せた。思えば、ふたりで話をしていてもいつも桃矢様はにこにことしていたから、こうやって考え込むようなことは初めてかもしれない。

 私の言葉は失言だっただろうか。間違っていただろうか。そうハラハラとしていたものの、やがて「申し訳ありません」と頭を下げられた。


「……こちらの都合で嫁いでもらった以上、おいおい説明しようと思って後回しにしてばかりでしたね。気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「い、いえ……私は外から来た身ですから、踏み込んでいい部分と悪い部分があるでしょうに」

「いえ。父があなたを見込んで婚姻の打診をしてくれたんですから、その時点できちんと説明すべきでした……でも、困りましたね」


 桃矢様は普段から白い肌をほんのりと蒸気させた。かつての自分を思い返して、恥ずかしくなったのかもしれない。

 私は慌てて口を開いた。


「あの、桃矢様の昔のことは、少しだけお話を伺っていますので、あまりお気になさらず」

「ああ……聞いてしまいましたか。幼少期、彼方に当たっていた話は?」

「……一応伺っています」

「なら、もう隠し立てはできませんね」


 桃矢様は首筋まで真っ赤に染め上げながら、口を開いた。


「自分と彼方はしばらくの間、彼方の母と一緒に三人で暮らしていました……元々彼方の母は自分付きの女中でした。彼女を取られたように思って、それはそれは彼方に当たっていましたし、嫌われてもおかしくないようなことはしていましたけどね……」


 その辺りは彼方さんが言っていたこととあまり遜色がない。今の彼とはあまりに違うけれど。

 桃矢様の言葉は自嘲混じりで、少し濁った笑みを浮かべながら話を続ける。


「風水師としての修行がはじまったのは、多分彼方が自分付きの女中にまだしがみついていた頃です……今、彼女は父からお金をもらって別邸で生活しています、彼方を産んだ直後も彼方と自分の世話をし続けたことで体への負担が大き過ぎたので、父なりの保証です。大変申し訳ないことをしたと思います……自分はその頃には気の読み取りをほぼ自動的にやり続けたせいで、体力を削っていました。一方、彼方は言われた通りに行うため、普通に考えれば咲夜さんと同じような風水師になれたでしょうが」


 そこでひと区切りして、ひと口みぞれ煮を食べた。それを咀嚼し飲み込んでから、また口を開く。

 まるで懺悔をずっと聞いているような心持ちだった。


「……自分もそうですが、父は彼方の独立を認めませんでした。父からしてみれば、さっさと自分を切り捨てたほうがよかったと思いますが、母の忘れ形見の自分を切り捨てることもなく、さりとて予備でつくった彼方を解放することもなく……結果として、彼は鎮目邸の庭師に預けられて、ここに縛り付けられることになりました。彼方は自分に当てられ続けているときは、泣いて抗議していて、そのたびに彼の母親にたしなめられ続けていたんですが……彼は庭師に預けられた頃から、笑うことしかしなくなりました……」


 そこで桃矢様は自嘲気味に笑う。


「自分は彼方に憎まれても仕方がないんです……彼から怒りを根こそぎ奪ったのは、自分ですから」


 なんというか。

 なんというかなんというか。

 この異母兄弟、互いに互いのせいだと思い詰め過ぎてやいないか。

 彼方さんは五体満足な自分のせいで、桃矢様が癇癪持ちになってしまったと自分を責めている。

 一方で桃矢様は自分の予備として彼方さんは鎮目邸から出ることができなくなり、彼の快活な笑みを見て彼から怒る機会を奪ってしまったと後悔している。

 互いに別に憎んでもいなければ嫌ってもいない。怒ってもいないのに。

 私は「あのう……桃矢様」と口を開いた。


「もうちょっとしたら、庭に長いこといても温かくなりますよね。温かくなったら、庭にどんな花が咲きますか?」

「え? 桜が終わった頃にはつつじが見頃になりますね」

「ではつつじの花を見ながらお菓子とお茶をいただきましょう。西洋では、昼下がりに庭にお菓子とお茶を楽しむお茶の時間があるそうです。お菓子とお茶は用意しますから……そのとき、彼方さんも招待しましょう」

「……え?」


 桃矢様は本気で困ったような顔をしていた。

 私はただ、このまま互いに互いに気を遣い過ぎた結果、互いに嫌われていると思い込んでこじれるのが嫌なだけだ。


「……彼方は自分とお茶なんて嫌だと思いますけど」

「もし本当に嫌なら、庭の手入れを理由に花見の付き添いだって断りますし、職務を盾に桃矢様のお勤めの際に見守っていることなんてありません。おふたりは、少し話をしたほうがいいです……本当だったらお酒でもあればいいのでしょうが」

「すみません、自分は下戸です」

「なら、余計にお茶にしましょう」


 私はそう強く約束を取り付けた。桃矢様は少し驚いたように背中を仰け反らせたあと、おそるおそる私のほうを覗き込んできた。私、どこか失言しただろうか。

 そう思っていたら、ぽつんと尋ねてきた。


「……すみません。あなたに我が家の面倒臭いことに巻き込む気は、本当になかったんですが」

「巻き込んでくださいよ。面倒だからって、そう何度も何度も切られてしまうのは悲しいです」

「切られたって……」

「……音信不通になってしまった兄ですね」


 貧乏が嫌で家出していなくなってしまった兄。そんなに嫌なら、貧乏神をどうにかする方法を模索しに行っていたし、その流れでもしかしたら鎮目家に嫁ぐのが早まっていたかもしれない。

 ただいなくなられて、縁を切られてしまったら、もうどうすることもできない。


「お節介が過ぎるかもしれません。迷惑かもしれません。ただ、互いに嫌ってもいない仲が悪くなるのが、私には耐えられません」


 そう言って、桃矢様に頭を下げたのだった。


****


 それから私は、お茶会に備えてワッフルづくりの練習に励むことにした。

 器に卵を割り入れて砂糖と一緒に泡立て器で混ぜる。そこに塩と牛乳を加える。そこで「あとこちらも」と瓶の中に詰まったなにかを加えた。

 葡萄の匂いな気がするけれど、葡萄の原型は留めてないように思える。


「これなんですか?」

「これは酵母と申します。パンを焼くときにも使います。これを入れると、生地がふっくらするんです」

「葡萄の匂いに思えますけど」

「はい、葡萄酒をつくる酒蔵からいただきました。もう葡萄の味はしませんが、匂いだけは残っているかもしれませんね。焼いたら匂いが残りませんけど」

「なるほど……」


 最近よく見かけるようになったあんパンも、あんこがおいしいのはもちろんのこと、パンの食感は饅頭の牛皮とも違う不思議な柔らかさだと思ったけれど、ふくらし粉みたいなものを入れていたのかと納得した。

 酵母を生地に加えたあと、バターも加える。ここで混ぜるのは泡立て器から木べらに換えるけれど、なんだか生地が今までつくってきたどのお菓子のものよりも重く感じる。


「なんだか……重いですね?」

「はい。これが酵母の力です。少し生地が温かくなりますから、布をかぶせてしばらく膨らませるんです」

「どれだけですか?」

「昼下がりから夕方まで」

「五時間六時間も放っておくんですね……」


 ビスケットなどの記事は一時間放置しておくっていうのは聞いたことがあるけれど、ワッフルはちゃんとつくろうとしたら大変だ。

 しばらく生地を放置しておく間、ワッフルの間に挟むりんごの甘露煮をつくることにした。

 りんごを皮むきにしたあと、四等分に切ってから、それぞれを薄切りに切る。それをバターを溶かした浅底鍋で炒めていく。しんなりしたら、そこに砂糖を加える。

 もうこれだけでおいしそうだと思っていたら、「そういえば奥様は」と尋ねられた。


「香辛料はお好きですか?」

「香辛料と言いますと……洋食に使うものでしたっけ。カレーライスとか」

「はい。ですけど香辛料は大陸の料理やお菓子などにも使いますし、一部は江戸時代から漢方薬として処方されていますから、意外と身近かもしれませんよ」

「漢方薬に使われてたんですか……」


 前に奉公先で漢方医が旦那様になにか処方していたのを見ていたから、匂いくらいだったら嗅いだことはあるかもしれない。

 カレーライスはまだ食べたことがないけれど、食べたことがある人は皆おいしいと言っているから、おいしいものなんだろう。でもあれに使われる独特な匂いがお菓子に使われるというのは初めて聞いた。

 女中さんが見せてくれたのは、たしかに漢方医の処方でも見たことあるようなものだった。


「こちらは?」

「はい、桂皮と申します。りんご菓子にこれの粉末で香りを付けることでりんごの甘さを引き立てる役割がございますが、もし奥様が苦手ならやめておこうかと思いまして」


 ひくひくと嗅いでみると、甘いような苦いような不思議な匂いがする。それの粉末を少しいただくけれど、ものすっごく苦い。


「こ、これ入れて大丈夫なんですか!? ものすっごく苦いですけど!」


 思わずゲホゲホと背中を丸めてむせていると、女中さんが慌てて水を差し出した。


「これはあくまで香りづけですし、味が変わるほどの入れません! ひとつまみくらいですよ! 西洋ではお茶の香りづけに入れるので、味が変わるほども入れません!」

「そうなんですか……」


 ゲホゲホしたあと、試しに甘露煮をふたつに分け、片方はそのままの甘露煮に、片方は桂皮の粉末で香りづけをして、食べ比べてみることにした。

 そのままの甘露煮は、バターの匂いが香り、砂糖とバターの香りが染みたりんごの味がおいしい。


「おいしいです。なら、桂皮のほうは……」


 もっと苦くなるんじゃないかと思ったのに、意外なことにバターと桂皮の混ざった匂いは思っている以上に香ばしい香りに変わっている。なら味はとひと口食べてみると、思わず目を見開いた。

 砂糖と桂皮の混ざった味がりんごによく合う。むしろりんごの素直な甘さに複雑な香りと苦みが加わってより甘さが際立っている。


「すごいです。おいしいです……でもバターと桂皮が混ざった匂いってこんなにいい匂いに変わるんですね……」

「よかったです。この香りを奥様が気に入ってくださって……漢方薬は体にいいからって、一度彼方さんが坊ちゃまにワッフルを焼くとき、桂皮を加えたりんごの甘露煮をつくったことがあるんです。それを坊ちゃまは大変に気に入ってたんですが……その前後で坊ちゃまが倒れたり、彼方さんが庭師の仕事と風水師の仕事を学びはじめたりで、ふたりでお菓子を食べることもなくなってしまいましたから」

「ああ……」


 ふたりで一度ゆっくり話すためにも、思い出のお菓子らしいワッフルは習わないといけないとは思っていたけれど。まさかこんなに重要なものだったなんて。

 甘露煮を放っておいて、そろそろ休ませた生地を確認しようとしたら。その生地は私が最初に器に混ぜていた時の倍に膨らんでいた。


「……ここまで膨らむものだったんですか」

「はい。ここでたくさんぷつぷつと穴が空いていますね? これだけたくさん出たら、休みが完了した証です。あとは型で焼きます」


 出してくれたのは格子型の模様のついた鉄板を取り出された。どうもここに油を塗って生地を流し込んで焼くらしい。

 瓦斯台に火を点けて、鉄板に流し込むと、その鉄板を蓋して焼いていく。

 表と裏と蓋をしたまま焼き、それをカパリと開ける。


「わあ……」


 表面はきつね色に焼き上がっている。

 それをひと口食べてみると、表面はさくさくと香ばしく、中はしっとりとした焼き上がりになっていた。先程膨らませたせいか、生地も気のせいかもちもちとしている。そこにりんごの甘露煮をかけると、桂皮の香りと生地の香ばしさがよく合い、食べていてもいくらでも食べられる甘さに仕上がった。


「おいしいです……」

「よろしかったです。朝の内に生地をつくって、お茶会の直前に焼くのがよろしいかと思います」

「そうですね。それで生地を寝かせる時間も完了しますし」


 あとは庭の花が咲く頃だ。

 庭はいつも彼方さんが丁寧に面倒見てくれているから、つつじの頃はきっと綺麗だろう。

 まだ少し早いつつじの季節が心待ちになった。

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