初めての食事

 その日、初めて食事を共にすることになったとき、私は目を輝かせた。

 ぴかぴかつやつや輝いた白米。米! 米! 雑穀ひと粒入ってない真っ白な米! 最後に白米をもりもりと食べられたのはいつだったかなと、つい遠い目になってしまった。

 出された味噌汁はきちんと出汁が利いている。そして出汁が取ってある。貧乏な我が家では出汁は食べるものだったから具材と一緒に食べていた。油揚げと豆腐のお味噌汁だ。

 魚。青菜の煮浸し。お新香。すごい。魚がある。魚なんて年に一度食べられればいいほうだった。ご飯と一品だけじゃなく、三品もある。有名風水師ってすごい。お金持ち。

 私が目を輝かせている一方、桃矢様の出されたものを見て、私は思わず「え……?」と言葉を濁してしまった。

 私にはたくさんのごちそうを出してくれたというのに、桃矢様の出されたものは青菜を刻んだお粥だった……七草がゆにしたって、いくらなんでも味気なさ過ぎる。


「あのう……桃矢様。今晩の食事、それだけになりますか?」

「ええ。自分はあんまり入りませんから。いろりさんはどうぞ、食事を」

「ええっと……」


 私は体だけは頑丈だったがために、これだけしか入らない人というのを今まで見たことがなく、そんな人の前に食べるのは気後れしてしまう。

 ただ。それでも湯気の立っているご飯を見ているとどうしても食べたくなってしまい、思わずひとつまみだけご飯を食べてしまった……おいしい。

 どうして、雑穀はひと粒も入ってない白米はこんなに甘くて粒が立っていておいしいんだろう……! いつも嵩増しで雑穀を入れたり、粟ばかり食べていた私からしてみれば、ご飯だけでお腹いっぱい食べられそうだったけれど、試しに魚もひと口分食べてみて、目を輝かせる。

 魚もおいしい。これ切り身魚だけれど、どうやっているんだろう。いつもめざしばかり焼いて食べていた私からしてみると、白身の魚は物珍しくって、ついつい口が進んでしまった。お味噌汁も出汁が利いている。これだけしっかりと出汁を取って味噌を溶いたら、そりゃおいしい。お新香も歯ごたえがパリパリしていておいしい。

 私はもう、途中から夢中で食べてしまっていた。おいしい。おいしい。こんなにおいしい。お腹いっぱいになんて食べたことがないのに、これがお腹いっぱいになることなんだというところまで、私は夢中で食べていた。

 最後のひと粒のご飯も名残惜しくも食べきってしまったら、もう私の前に出された御膳は空っぽになってしまっていた。思わず手を合わせる。


「……ごちそうさまでした」

「すごいですねえ、いろりさんは」


 私は思わず凍り付いた。桃矢様はずっとちびちびとお粥を食べている中、なに私はひとりで全部食べ終えているんだ。いくらなんでも駄目じゃないか。

 ダラダラと冷や汗をかきながら、私は振り返った。私の取った恥ずかしい行動にも、桃矢様はちっとも臆してはいない。


「どうされましたか? おいしかったんでしょう?」

「あ、あのう……はしたない真似をしまして、すみません……桃矢様より先に食べ終えてしまって……全然召し上がってませんのに」


 これだけがっつく嫁なんて、有名風水師の家系じゃ駄目だろう。そう思ってしおしおと頭を下げているものの、桃矢様は私の食べ終えた御膳をまじまじと眺めて、にこりと笑った。


「いえ。自分はいつも周りから気を遣われて、誰かと一緒に食事を摂ることがあまりありませんでしたから。奥さんが気持ちよく食事をしているのを見ていたら、久々にお粥が全部食べ終えられそうなんですよ」

「あ、あれ……?」

「はい?」

「今まで、お粥を食べきれたこと、なかったんですか?」

「そうですねえ……」


 小食だ小食だとは思っていたけれど、いくらなんでも度が過ぎてやいないだろうか。

 お粥は私のもらったお茶碗よりもひとまわりくらい大きなお椀に入っている。多分味噌汁を注いでいるお椀くらいの大きさだ。

 それ一杯分のお粥すら食べきれないんじゃ、いくらなんでも体に悪い。


「あのう……桃矢様が召し上がれるものってございますか?」

「ええっと?」

「私に合わせて食事を摂れるんでしたら、私が桃矢様になにか好きなものをつくれたらと思いまして……私も奉公に出ていましたから、そんなにたくさんつくれるものもありませんが」


 こんなんでも、一応料理は仕込まれている。材料がないならないなりにつくれる程度には。どれだけ元気がないときでも、食べていたらその内元気が沸いてくる。一番駄目なのは、食べる元気すらなくって、心が痩せてしまうこと。

 心が痩せると食事をしない。食事をしないと元気が出ないで心が痩せる。心が痩せたままだと余計に食事が摂れなくなる……最悪の悪循環になってしまう。

 しかし桃矢様は私が危惧していても、どこ吹く風だった。


「……あんまり食事について考えたことがありませんでしたね。本当に、熱が出てなかったら元気でお粥を食べていましたから。熱が出ているときは、もう重湯ばかりいただいていましたから、今日は少し固形物が食べられる日だ、みたいに思っていました」

「それ、多分駄目だと思いますよう。わかりました。なにか考えますっ!」


 私は思わず悲鳴を上げてしまった。

 私の旦那様、食に対して無頓着過ぎる! そう思わずにはいられなかった。

 本来、結婚したらその日の内に同衾するものだけれど、桃矢様はお体の具合が悪い上に、風水で見てもらったら「やめとけ」と出たため、その日はふたりとも布団を並べて寝るだけに終わってしまった。

 いつも狭い長屋で、家族三人でギューギュー詰めになって雑魚寝していたから、離れとはいえども広々としていぐさの青々しい匂いの中で眠るのは、私の中でも初めての経験だった。でも。

 お隣で眠っている桃矢様の呼吸は、気のせいじゃないほどに乏しく、寝て目が覚めなかったらどうしようと、その日はなかなか寝付けず、私はそのたびに彼の鼻と口の近くに手をかざして、なんとか呼吸していることにほっとした。

 桃矢様はなにが好きで、なにが食べられて、なにならお体を壊さないか、聞かないとなあ。

 私はそう思いながら目を閉じた。

 隙間風が吹かない家ってすごい。広々としているけれど、きちんと閉め切れば温かい家ってすごい。なんでもすごいすごいと思っていたらやっと眠気が迫ってきてくれて、スコンと眠れた。

 どこでだって眠れることが、私のあまり多くない特技のひとつだった。


****


 早朝。私の目覚めは仕事の関係上、いつも夜明けと共にだった。

 むくりと起き上がると、私は急いで着物に着替える。私の持っている着物は古着屋で買った着物をどうにか継ぎながら着ていたけれど、今日から奥様になる訳で。

 どうしようと思っていたら、着物掛けに普段使いできそうな着物があった。無地の着物は着やすく、私はありがたくもそれを着ることにした。髪はひとつ結びにしてから、簪を突き刺して留めておくことにした。もっときちんとした結い髪もあるけれど、私にはこれが一番しっくりと来る。

 私は離れを一旦出ると、本邸へと向かった。

 本邸では案の定既に女中さんたちがせっせと働いていた。


「あのう……」

「はっ!? おはようございます、奥様!」

「いえ、今日は相談をしたくて……桃矢様、食べられるものってございますか?」

「はあ……」


 一応覚え書きをつくって、台所にいた女中さんたちから話を聞きはじめた。


「とにかく食事を摂れない日が多いですから、基本的に食べているものは重湯かお粥です」

「……飽きませんか?」

「前に出しましたが、どうも魚は白身魚以外は食べられないようで。お体を崩されて医師に白身魚以外の魚を食べさせないようにと言われました」

「白身魚は食べられるんですね……で、青背魚は駄目と。他には?」

「他はあまり食べる機会がないだけで、比較的なんでも食べますね。ただ麺類はすすっているときに喉に詰まりやすいのか、あまり召し上がりません」


 だとしたら、蕎麦やうどんも駄目なんだな。でも、うどんを食べきれないだけで食べられない訳ではないんだから、うどん粉を使った料理は食べられるのかもしれない。


「桃矢様は喉越しのいいものならば召し上がれる感じですか?」

「そうですねえ……ああ、たしか桃矢様、茶碗蒸しは好きですよ」

「茶碗蒸しですか……」


 貧乏人からしてみると、茶碗蒸しは贅沢が過ぎる一品だ。

 出汁にいろんな具材を入れて、それを卵で蒸し上げるなんて、貧乏人からしてみるとこんな小さな茶碗になんて贅沢なことをするんだと思ってしまうが。

 でもそうか。桃矢様は茶碗蒸しだったら食べられるんだ。だとしたら、あれも食べられないかな。


「あのう……すみませんが、材料って集められますか?」

「どのようなものをお使いですか?」

「ええっとですね……」


 私からしてみると、どれもこれも贅沢過ぎて自分ひとりだったら家族のためでもまずつくらないけれど。今回は桃矢様のためと思ったら、頑張ることができた。


****


 卵を器に割り入れ、そこに調味料を加える。そして牛乳。うちの長屋では手に入れるのは難しかったものの、鎮目邸の近くには元士族邸で牧場をやっているところもあるらしく、牛乳は比較的手に入りやすいものだった。

 私も西洋かぶれの家で女中として働いてなかったらあまり知らなかったけれど。万能食だから桃矢様も食べてくださるといいのだけれど。

 出来上がった卵液を茶碗に入れると、お湯を張った土鍋に入れて蒸し焼きにする。

 だんだんと卵のいい匂いが漂ってきた。出来上がったそれを私は御膳に乗せると、匙と一緒に持っていくことにした。

 桃矢様はまだ眠っていた。端正な顔つきは眠っていてもなお様になるけれど、気のせいか青白い。


「あのう、桃矢様。失礼します」

「……どうかしましたか」

「はい。先程まで、本邸に伺って女中さんたちから桃矢様の食事の内容を聞いてきましたが、朝はほとんど食べられず、昼と夜もお粥一杯しか食べられないと伺いましたので。せめて食べやすいものでも食べられたら、少しは違わないかと思いました」

「自分も本当に申し訳ないくらいに食べられないけれど……うん?」


 桃矢様も匂いに気付いたのか、不思議そうに体を起こす。


「これ……茶碗蒸しではないですよね?」

「はい、違います。甘いものですが……一応確認取りましたが、卵も牛乳も問題ありませんでしたよね?」

「うん、食べられるけど……」

「私が働いていた先で教えてもらった甘味です。私の実家では食べられないものでしたが。よろしかったらどうぞ」

「いろりさん、あなたのものはないんですか?」


 そう尋ねられて、私は「一応ございますが……」と言うと、桃矢様はにこりと笑う。


「ならば、あなたと一緒に食べたいのだけれど」

「……かまいませんが」


 そう言ってから、私は一旦台所にまで引っ込み、余った卵液を蒸したものを匙と一緒に持って行く。

 ふたりで額を突き合わせてお椀をいただくというのは、なかなかおかしな光景だった。

 蒸したものをひと口食べると、卵の旨味に牛乳の匂い、そして優しい甘さが口いっぱいに広がる。


「……おいしいね。これはいったい?」

「はい、ポッディングと申します」

「ポッディング?」

「卵と牛乳、そして砂糖を混ぜて蒸した甘味です」


 元々は西洋料理店で食後の菓子として出されているものだけれど、西洋贔屓だった私の奉公先では、たびたび料理人がつくって食卓に出していた。私たち女中も、たまに器から取り出すのを失敗したものをいただいていたのだ。

 料理人曰く「ポッディングは万能食だよ」と言っていた。体にいいと言われている卵に、国で普及活動をしている牛乳、そして高級品の砂糖を使っている菓子が体に悪い訳はないと。

 たしかに体が弱っていたら卵が食べたくなるから、それを主食材に使っている菓子が体にいいと言われているのも頷ける。

 ただ、たまに卵や牛乳が体に毒な人もいるから、一応女中さんたちに話を聞いてからつくったのだ。

 実際に、桃矢様はそれをおいしそうに食べていたから、見解はそこまで的外れではなかったらしいと、心底ほっとした。

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