次期当主の事情

 紋付き袴の旦那さんと私は、宮司さんの前で三三九度をする。

 ふたりでお酒を飲み交わしてから、やっと重い着物を脱ぐことができた。

 化粧を落とされ、それから私は旦那さんの部屋に向かうことになったのだけれど。そこは武家屋敷の本邸から長い廊下を抜けた先の離れだった。


「あのう……旦那様はここで暮らしてらっしゃるんですか?」

「そうですよ」


 女中さんはあっさりと教えてくれた。


「坊ちゃまはお体が優れず、この数日ばかりは熱を出して寝たきりでした」

「そ、そんな方が今日、式を挙げて大丈夫だったんですか!?」

「だからあなた様を呼んだんですよ」


 訳がわからず、私は目を瞬かせた。どうにも鎮目邸の皆さんは、私が貧乏神の末裔だってことはおかまいなしらしい。

 私が訳がわからないままいたら「どうぞ坊ちゃまのことをよろしくお願いします」とお辞儀され、そのまま離れの前に置き去りにされてしまった。

 ……体が弱い人と、いきなり初夜ってことはないよね。それともあれか。生きている内に子供をつくれみたいなことだったら、いくらなんでもあんまりだ。

 昨日の今日でいきなり決まった婚姻だし、向こうも困ってないといいけれど。私はどうやって中に入るのがいいのかと、離れの前の廊下を右往左往としていたら。離れの戸がするりと開いた。


「お嫁さん。いきなりお呼び立てしてすみません」


 相変わらず柳のような人が、私に微笑んだ。

 立てば柳、座ればそよご、歩く姿は青紅葉。彼の柔和な雰囲気に、私は思わず見とれた。

 着ているのは既に重い紋付き袴は脱いで、着流し姿になっている。

 そういえば、病み上がりだと聞いた。私は慌てて「中に入ってください、風に当たります!」と言って、中に入れた。

 私は離れに入り、清涼感漂ういぐさの匂いと一緒に独特のにおいに気付いた。

 粉薬、漢方薬、薬膳酒……とにかく薬の匂いで充満していたのだ。


「これは……」

「すみません。自分が離れで暮らしている理由に、昨日今日でいきなり婚姻がまとまってしまった話を、お話ししないといけませんね。それにそもそも、自己紹介すらしておりませんから」


 旦那様は、たおやかに言った。そして私のほうを心底申し訳なさそうに見つめた。


「……あの」

「僕は鎮目しずめ桃矢とうやと言います。一応肩書きでは鎮目家の次期当主ということになっていますが、体が持つかどうか、ずっと疑問視されていました」

「お体、そこまで悪いんですか?」

「はい。母は僕を生んでからすぐに亡くなりました。今、本邸で暮らしているのは父の次の妻になります」


 ずいぶんと複雑な家庭ではあるけれど。

 でも女中さんにしろ、一度だけあったお義父様にしろ、普通に旦那様を心配していたから、不仲という訳ではなさそうだ。

 旦那様は続ける。


「体が弱いため、父は前以上に風水に力を上げましたが……僕の体は風水だけではどうすることもできませんでした。そんな中、中村家の噂を聞きつけたのです」

「……うちですか」


 タラタラと冷や汗を掻く。

 事業失敗が年中行事。貧乏な長屋生活。元気以外取り立てて能のない家庭で、食事はいつもわびしい。魚も肉も数年に一度食べられたらありがたいほうだ。

 そんなんを連れ帰ってありがたがって大丈夫なんだろうか。私が勝手に心配していたら、旦那さんがにっこりと笑った。


「貧乏神の末裔だそうですね」

「は、はい……お恥ずかしい限り。我が家代々おひとよしらしくって、貧乏神に好かれてそのまんま所帯を持ったらしくて」

「それでも代が続いたのでしょう? 大変に丈夫な血筋とお聞きしています」

「本当に体が丈夫なだけですよ? 貧乏で毎日毎日働き通しで……血筋関係ない母には申し訳なかったですし、兄は私が物心ついたときに『こんな家いやだ』と逃げ出しました。ですから、そのう……」


 いくら私が頑丈だからと言って、旦那様まで楽しい貧乏生活に巻き込んでいいのか。しかも体弱い人に。そう思って、なんとか言ってみるものの、旦那様はにこやかに笑うばかりだ。


「風水の判定をしたところ、互いに住まいを一緒にすれば、いい関係に繋がるそうです。これからよろしくお願いしますね。お嫁さん。お名前を教えていただいてもよろしいですか?」


 そうにこやかに言われると、「離縁してもいいですよ?」と言いづらくなる。

 母と旦那様。どちらの命を天秤にかけるべきか、私だって困っているのだ。


「……中村いろり、でした。今は鎮目いろりになりますが」

「では、いろりさんですね。これからどうぞよろしくお願いします。僕のことも、ぜひとも桃矢とお呼びください」

「……桃矢様、ですか?」

「できればさんで、お願いしますね」


 そうにこにこされて言われると、もうこちらがなにを言っても駄目なような気がする。

 私たちはこうして自己紹介し、夫婦になったのである。

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